第153話 最悪の吉報
気を失っているザイン。ヴィレン達は表情を硬くしたままラフリスの治療を見守っていた。
カマエルの戦闘でザインの身体はボロボロだった。
特に最後の交戦。拳で撃ち抜かれた右腹がかなり酷い。目を背けたくなるほど悲惨な傷跡。しかし。外傷ならまだ治癒魔法でどうにかなる。
問題はザインの身体を侵食し続けるヒビ――。
「ダメです。私の魔法では、神々の代償を治癒することはできません……!!」
ラフリスの最上位治癒魔法を以てしても、治療したところからまたヒビ割れが伝染していく。
力不足を嘆くラフリスの額を汗が伝う。
現在進行形で崩れゆくザインの身体が、刻々と迫るタイムリミットを告げていた。
―――どうする……どうすりゃいいんだ……?
何も手伝えることがないヴィレンは、必死に頭を回転させ打開策を探していた。
治癒魔法で治らない傷。力の代償。神々の呪い。
人の常識が通じない神の領域。
ザインの身体を侵食し続ける代償が神の力であるならば、同じ神の力で対抗すれば……代償を打ち消せる可能性があるのではないか?
ヴィレンの脳内はさらに思考を加速する。
そしてヴィレンはカルラの存在を思い出した。
「カルラ! フィーナを助けたときみたいに、お前の力でどうにかならないのか!?」
致命傷を負ったフィーナを全快にした、不死の勇者の力なら、あの力ならどうにかなるかもしれない。ザインを助けられるかもしれない。
希望の兆しが見えたヴィレンだったが、カルラは申し訳なさそうな顔をして首を横に振った。
「わりぃレンレン、それは……できないんだ」
「できないって、何だよ……? あの力を使えば!!」
「ヴィレンさんっ」
食い下がるヴィレンに、堪らずウィーが声を荒げた。
今カルラの身体がどうなっているのか、その真実をウィーだけが唯一知っている。
ウィーの刹那気な表情に、ヴィレンは息を呑んだ。
「ザインを治してやりたいって気持ちは俺も一緒さレンレン。でも、あの力を使うには『条件』が足りねぇんだ……」
拳を握りしめ、カルラはギリッと歯を食いしばっていた。
本当なのだろう。カルラが嘘をつくような男ではないことをヴィレンは知っている。
また振り出しに戻る。なにか他に方法はないのか……とその時だった。
「ったく。うるせぇな」
その声に。その場にいる誰もが即座に反応した。
ラフリスの治療を受けているザインが、頬を歪めながら笑っていた。
「落ち着いて眠れや、しねぇだろうが。でれすけ」
「師匠……」「ザインさん!」
「―――ッ」
ザインの顔には玉の汗が浮かんでいた。
辛いのだろう。苦しいのだろう。痛いのだろう。
ヴィレンがここまで消耗し弱りきったザインを見るのは初めてだった。
それでもザインは笑い続ける。
どんな状況でも強がれ。笑ってみせろと。ザインは弟子達への教えを体現していた。
だが。ザインの身体のヒビは刻々と命の灯火を蝕んでいく一方。
もうザインに残された時間は僅かしかないと、ヴィレンの直感が告げていた。
「「………」」
世界から音が消えた。
ダンジョンは静まり返り、周囲は誰も声を発さない。
ザインとの別れを邪魔しないように。偉大な勇者の最後の言葉を聞き逃さないように。
誰もが無言で、ザインの言葉を待っていた。
「………」
地に寝転がり天井を見上げるザインの視力はほぼ失われている。
ぼんやりと見える白い天井。音が遠く、鼻はもう匂いを感じ取れない。
眠かった。ただひたすらに。
気を抜けば、安眠への誘いに応じれば、今度こそ永遠の眠りへと落ちることをザイン自身が知っている。
死を肌に感じる。生温かく、安堵満ちる死を。
ザインは呼吸を整えた。
「……なぁ、ヴィレン」
弟子の名を呼び、またひと呼吸置いて、それから―――。
「俺の………『家族』にならねぇか?」
アドラスがザインに言ったように。
ザインがフウガとライガに言ったように。
そしてあの日と同じように。
「……何言ってんだ」
静寂の後、呆れたようにヴィレンは笑った。
「今更だろ……親父」
「へっへ。そうか。今更か」
ザインはゆっくりと目を閉じた。
「……死ぬんじゃねぇぞ、バカ息子」
満足そうに。満たされたように。笑っていた。
それがザイン・ドラグレクという男の、最後だった。
❦
ザインを背負い、ヴィレン達はダンジョンを降りた。
幸い追手はなく、登りと同じ時間でダンジョンを後にすることができた。
連合のキャンプ地に到着すると、キャンプ地の守備を任されたガドロフとウェルガーがヴィレンの方へ歩いてきた。横たわるザインに対し、胸に右拳を当て頭を下げる。
自らの主君や王に対する冒険者流の最敬礼を以て。
「騎士王ザイン・ドラグレク。貴殿と共闘できたことを、我々は誇りに思う。感謝を――」
一時の共闘ではあったが、彼らにとってザイン・ドラグレクという漢は少なからず敬意を評すに値する存在だったのだ。
そんな漢の元で剣を学べたことをヴィレンは誇りに思う。弟子として……息子として鼻が高かった。
「天使をぶっ殺せたことは行幸だ。しかも死亡者は1人だけ」
ウェルガーの顔から、笑みが消える。
「だが。ザイン・ドラグレクの抜けた穴はでけェ」
「ウェルガー……」
「落ち込んでる暇はねぇって1発殴ってやろうと思ったが、その必要はねェみてェで安心したぜ」
ニヤリと笑い、ウェルガーはヴィレンの肩を叩いた。
「いい顔してるぜ。今のテメェはよォ」
大切な者を失ったヴィレンに対し、ウェルガーなりの気遣いだったのだろう。
余計なお世話だと言い返そうとして、ヴィレンはその言葉を素直に受け取ることにした。
あまり悪い気分ではなかった。
そんな時だった。キャンプ地がザワついたのは。
始まりは誰かの一声。動揺。警戒。不審。興味。そこかしこで冒険者や魔族がコソコソと話し合う。
ウェルガーが軽く舌打ちした。
「なんの騒ぎだァ?」
冒険者達が左右に別れ、できた道から一人の魔族が現れた。
細長の猫耳に黒い毛皮。布服は手足の部位が破れ、泥と埃に塗れている。
魔族の中で最速の種族。黒瓢種の男だった。
「かっ、はぁ……、はぁ……ッ」
男はかなり疲弊している様子だった。
長らく走り続けてきたのだろう。息を乱し、足取りもフラフラと危うい。
見れば血相が悪く青白い。今にも死んでしまいそうなほど危険な状態にある。
しかし男は差し出される手を払い、歩みを止めない。男が目的の人物――即ちヴィレン達を見つけた途端、早足になり駆け寄る。
身体の限界に膝が折れ、何度も躓きながら。
尋常ではない男の様子に、ヴィレンは何か胸騒ぎを覚えた。
男の形相からして、黒の王国で何かが起こったことは間違いない。
そしてこの時点で既に1つの疑問が生じている。
そもそも黒の王国で何か問題が発生した場合、報告に来るのは魔王軍最速の足を持つシャム・トイガーの役目なのだ。
ヴィレンの憶測を裏付けるように、男は言った。
「報告します。今から約1日前、黒の王国に《第四天使ガブリエル》が襲来しました」
「―――は?」
一瞬男が何を言ったのか、理解できなかった。
ヴィレンだけではない。ウィーも。カルラも。エスティアも。
「黒の王国は壊滅。《魔王》バロル・バルツァーク様並びに『鮮血の勇者』アリシア・ツェペシュ両二名がその命と引き換えに、ガブリエルを討伐致しました……!」
「その命と引き換えに………?」
今日で2度目の衝撃。頭が真っ白になっていく。
ザインの死に続き、アリシアの悲報。
「天使を2体も……流石は勇者だ!! これなら勝てる、勝てますよ!!」
どこかで誰かが何か言っている。嬉しそうに声を弾ませて。
まだ若い冒険者の男だった。その笑みに悪意はなく、純粋に天使2体を倒した吉報を喜んでいた。
「3名の勇者が亡くなられたことは残念ですが、でもそれ以上の収穫だ! あの天使を―――」
そんな冒険者の男の腹に、無慈悲な蹴りが叩き込まれた。
全力で叩き込まれた、男が反応すらできない速度の蹴り。腹のプレートが粉々に砕け、男は積荷の中に吹き飛んだ。
場がシンと静まり返る中、蹴りを放ったウェルガーが静かに言った。
「黙れ。蹴り殺すぞ」
積荷に塗れ白目を剥き失神している男に、ウェルガーの言葉は届かなかったのだが。
「レン!!」
フリーズするヴィレンの手が強く引かれた。
「……リヴィア」
目の前には2匹の馬が用意されていた。
「早く乗れ、レンレン!!」
そのうち片方の馬に跨り手綱を握るカルラの姿があった。背中にはウィーを乗せている。
余裕のない表情。しかしカルラの瞳は光を失っていなかった。
「俺はこの目で確認するまで信じねぇからな……!!」
「………!!」
ヴィレンだけではない。ショックを受けているのはカルラも同じなのだ。
ヴィレンは遅れて馬に飛び乗り、リヴィアを後ろに乗せた。
「行こう、ヴェルリムへ……!!」
「おう!」「ああ!」「うっす!」
そしてヴィレン達4人は、馬を走らせた。
❦
黒瓢種の男の報告通り、ヴェルリムは陥落していた。
見る影もないほど無残に。そして凄惨に。
建物という建物全ては倒壊し、街には怪我人が溢れ返っている。
片脚を失った人狼種。片腕の欠損した闘牛種。
彼等達を見過ごし、ヴィレン達は必死にフィーナとアリシアの姿を探した。
けれども2人の姿はどこにもなかった。
そしてヴィレン達は、とある場所へと足を運ぶ。
ずらりと並んだ何千人という魔族が、顔の上に白い布を被り寝そべっている。
この戦いで命を落とした魔族の死体安置区域である。
両親の亡骸の前で猫耳種の少女が泣いていた。
二度と目を覚ますことのない恋人を前に、醜鬼の男が歯を食いしばって泣いていた。
「ヴィレンにゃん?」
ふいに名を呼ばれ、ヴィレンは振り返る。
そこには魔王軍幹部シャム・トイガーの姿があった。
「……シャム! 無事だったの、か……」
段々とヴィレンの言葉が薄れていく。シャムは松葉杖をついていた。そして松葉杖を付いたシャムの左足は、太ももから先がなかった。
「にゃんて顔してるにゃ。命があっただけでみゃーはついてるのにゃ」
そう言って、シャムは死体の列に目を向けた。シャムの視線の先で眠っている吸血鬼種の屍。
ウラド。そしてアルキュラの死体だった。
「―――っ」
あまり接点が無かったとはいえ、見知った顔の死は少し込み上げてくるものがある。
「なぁ、シャム。アリシアとフィーナは、生きてるんだよな……?」
「それは……」
シャムは口ごもる。ということはアリシア達の居場所を知っているということだ。
シャムの肩を掴もうとしたヴィレンの背に、声が投げかけれた。
「―――兄さん?」と。
振り返ったヴィレンの先に、頭部に包帯を巻いた銀髪の少女の姿があった。
「フィーナッ!!」
「兄さ―――」
駆け出そうとしたヴィレンよりも早く、濁金髪の男がフィーナの元まで走り、そして抱きしめた。
「良かった。本当に、良かった……!!」
驚きと羞恥に、咄嗟に振り払おうとしたフィーナだったが、カルラが震えていることに気づき、そっと手を降ろしされるがまま抱きしめられた。
「うおっほんッ」
「「――――!?」」
ヴィレンのわざとらしい咳払いに、フィーナとカルラが軽く飛び上がる。
じろりとカルラを睨んだ後、今度はヴィレンがフィーナの肩に手を置く。
「無事で良かったフィーナ。アリシアは?」
「………」
フィーナは口ごもり、目を伏せた。
「………なんで、黙るんだよフィーナ。アリシアはどこに」
するとフィーナは、胸に当てていた左手を出しそっと開く。
フィーナの手の中に握られていたのは、紅い宝石のついた指輪だった。