第150話 練磨の天使
不敵に微笑むザイン。カマエルは小首をかしげて見せた。
「……1対1を望むのか。別に俺はお前達全員を1度に相手にしても一向に構わないのだが」
「はっは、調子に乗るなよ? てめぇの相手なんざ俺一人で充分だろ。
それになんだ。俺は協調性ってやつを持ち合わせていなくてな。仲間をぶった斬っちまいそうで共闘じゃ全力が出せねぇ」
ザインは太刀を抜き、真横に構えた。
「つうわけでテメェら、絶対に手を出すな。これは忠告じゃねぇ警告だ。邪魔したら殺す」
手を出すなと釘を差し、ザインは再度笑った。
「そんじゃ行くぜ?」
「来い」
そして瞬く間に戦闘は始まった。
太刀を振るうザインに対し、カマエルは素手で闘う。
ザインの太刀の真横を正確に弾き、斬撃を全ていなすという離れ業。
まだ本気を出していないとはいえ、カマエルの動体視力とスピードがズバ抜けているのだ。
「確かに大口を叩くだけのことはある。一撃一撃の重みが物語っている。お前がどれだけ研鑽を積んできたのか。俺にはわかる。感じる」
「ごちゃごちゃと五月蝿ぇヤツだ。舌噛むぜ?」
ザインの手にする太刀が鈍い赤色に発光する。
「天地蓋世 不破ノ太刀"神薙"――」
ザインが放つ斬撃は6つの紅い爪となりカマエルを襲った。
しかし蝿を払うかの如く、カマエルは6つの斬撃を素手で粉砕する。
斬撃が散り火花が舞う。
「……だからこそ。高みへと踏み込んだお前にはわかるはずだ。感じるはずだ。お前では俺に勝てないと」
カマエルの言葉の最中、火花の隙間から紅の太刀は迫る。
「――天地断絶 無我の太刀"斬空"」
確かな感覚があった。太刀を通しザインの手に伝わる感触。
「だから言ったろ? 舌噛むって、よ……」
しかし――そこには無傷のカマエルがいた。
「……おいおいまじか」
海を割り空を斬る斬撃。手加減はなかった。全霊を込めたつもりはないが、全力の一撃だった。
直撃しておいて傷1つついてないだと?
はは、バケモンが……
「少し強く打つぞ――?」
「―――ぁ"?」
何もわからなかった。
何も感じなかった。
自分の身に何が起きたのか。
ザインは飛んでいた。空宙を舞っていた。
そしてようやく、殴られたのだと気づく。
殴られたと気づいた時には、50メートル程吹き飛び白壁に激突していた。
「いいざまだな、ザイン」
若い男の声だ。
気づけば、ザインは戦場に立っていた。
大地に突き立てられた無数の武具。転がる屍。鉄の香り。
ここは『戦神アレス』の世界である。
「……俺は、死んだのか?」
「死んじゃいねぇよ。アイツの一撃を喰らって一時期的に意識が飛んだだけだ」
「……そうか」
これは安堵か。それとも悔苦か。
ザインは苦笑した。
わかっていることは1つ。
「ははっ……こりゃ笑えねぇ。勝てる気が微塵もしねぇ奴と殺り合うのは初めてだ」
今まで何度もの死線を潜り抜けてきた。
天使サリエルと戦った時でさえ、ここまで絶望しなかった。
全力の一撃でさえ、傷1つつけられなかった事実が大きい。
もはや生物としての次元が違うのだ。
「怖えか?」
「ああ、怖え」
アレスもそれをわかっている。
カマエルがどれだけ人知を超えた怪物なのか。
ともすれば、その牙は『戦神アレス』にさえ届き得る可能性を秘めている。
今のザインに、勝機はない。
「逃げてもいいんだぜ?」
アレスの発言に、ザインは――
「馬鹿を言え。俺は逃げねぇ」
真っ直ぐにアレスの瞳を見つめ、不敵に笑うザインに、アレスもまた喜笑する。
「ソイツを聞けて安心したぜザイン。逃げたら俺ッ様がテメェを許さねぇからなぁ!」
そしてザインは言った。
「名を教えろ、アレス」
その台詞をアレスが聞くのは3度目だ。
1度目は白髪の男。魔族から仲間を守るために男は言った。
2度目は金髪の女。人生の伴侶を殺されその仇討ちのために女は言った。
そして今回が3度目だ。
「死ぬぜ?」
「かまわねぇ。俺はカマエルを……クソジジィでも勝てなかったアイツをぶち殺せりゃぁなんでもいい」
1人目は恐怖に震えていた。
2人目は憤怒に泣いていた。
初めてだった。笑っている男は――。
「なら再度問うぜ、ザイン・ドラグレク。戦場においてテメェは背を向けないと誓えるか?
敵がどれだけ強大だろうが最強だろうが関係ねぇ。逃げねぇと誓えるか?」
「ああ、再度誓うぜ戦神アレス。俺は逃げない。例え相手が神だろうが天使だろうが関係なく、この命潰えるまで戦うと誓おう!」
アレスは1歩前へ出た。
こんな楽しそうな顔をしている男を、アレスが断る理由はない。断れる理由がない。
戦神が戦おうとする者を止めるわけにはいかない。
アレスは右の拳を突き出した。
遅れて、ザインがアレスの拳に拳を重ねる。
「気張れよバカ野郎。テメェは俺が出会った人間の中で最強だ。
誇れ。この戦神アレス様がテメェを認めてるんだからよぉッ!!」
❦
「―――ッ、てぇ……」
意識が戻ると、次に激痛が訪れる。
カマエルに殴られた左半身が悲鳴を上げていた。
左腕を持ち上げ閉開してみる。問題ない。動く。
ゆっくりと立ち上がる。
カマエルが静かに言った。
「頑丈だな。よく鍛えている。しかし今のでわかっただろう。お前では俺に傷1つつけられないということを」
「……っとにおしゃべりな野郎だな」
ヴィレンが心配そうな顔でザインを見つめていた。
そんな馬鹿弟子に向けて、ザインはニヤリと笑ってみせた。
「黙ってそこで見とけ。そして目に焼きつけろ。俺の生き様ってやつをな」
肩に担いだ太刀を、静かに振り下ろす。
己の魔力を沈め、気持ちを沈め、想いを馳せる。
そしてザインは、詠唱を紡いだ。
最初で最後の詠唱を――。
「汝、器の主足る我が欲し求め願い給う。
戦場を駆ける一振りの刃。戦乱を好み戦場を蹂躙する我が主神よ。
今こそ器を器足りえんとする時成り
汝の器足るこの我に、汝が"闘争の理"を――。
代償をここに。真名をここに。《戦》を司りし汝の名は――アレス・フォール・ダリアス」
膨れ上がる魔力を、ザインは一気に解き放った。