第146話 親愛を込めて慈愛を
瞬きの合間に繰り広げられる攻防。
神の代行者足るヨフィエルと、神の力を借り受けしユーキの戦闘は、ヨフィエルが押されていた。
決して彼女が弱いわけではない。あの死天使サリエルと同等。いや、単純な個体戦闘力だけを見ればそれ以上の実力を有している。にも関わらず押されている。
その理由の1つが―――、
「鈴蘭の蕾玉〝花尺〟!!」
ヨフィエルが放つ無数の鈴蘭の弾丸。軌道を自在に操り、全ての弾丸がユーキに直撃した。
――しかし。
「無駄です」
全くの無傷。ユーキの纏う雷の鎧が弾丸を阻む。
鈴蘭の残骸が花粉を散らす。
「ならば物量で押し切るまで」ヨフィエルは剣を持つのとは反対の腕を天にかざした。
「咲き誇れ〝桜華〟」
ヨフィエルの膨大な魔力が花と化し、空を桃色に染める。億を超える桜の花びらによる全包囲攻撃である。
「……」
降り注ぐ桜の花。ユーキに逃避行はない。
ならばとユーキはミョルニルに魔力を込める。
「黒く集いて飲み込み叫べ」
逃げる必要などどこにもない。全包囲攻撃を凌ぐ、全包囲攻撃の火力で押し切ればいいだけのこと。
「――雷霆父怒」
瞬間。ミョルニルから発される超電圧の放電。黒光りする電撃が桜風吹を飲み込み塵に変えた。
焼き焦げサラサラと消えゆく花びらはしかし、全枚を焼き消すには至らなかった。
だからこそ――。
「黒く光りて地を穿て」
ミョルニルを天高く掲げ、ユーキは第二の攻撃態勢に入っていた。
ゴロゴロと低く唸る雷の声に「まさか……!?」とヨフィエルは遅れて天を仰ぐ。
「――雷霆天裁」
空を埋め尽くす桜の花弁。それよりも遥か上空、天高くから雷は落とされた。
無数の雷柱が桜空を突き破り落下した。
天から降り注ぐ雷はまるで神の怒りのように。無慈悲に大地を焦がした。
雷が収まると、ユーキの視界に巨大な赤い花弁が映った。
初手に雷槍を防いだ椿の花弁は、ところどころが焼き焦げている。
そしてユーキはヨフィエルの片翼が焼き焦げているのに気づいた。
避けきれなかった? いや――違う。
「―――」
鼻を擽る甘い香り。ユーキは真下。無傷のダーリー達を視界に入れる。その足元。青い薔薇が地面を覆い尽くすようにびっしり咲き乱れていた。
「人類を滅ぼすと口にした天使が、その人類を守っていいのかな?」
「………」
黙秘するヨフィエル。ユーキは再びミョルニルを構える。
「まあ、なんでもいいけどね。その慈愛が君の命取りだ」
再度、衝突――。
華が舞い、雷が散る。
幾度目かの剣交の後、ヨフィエルの剣が途中から砕けた。好機とばかりにユーキは1歩踏み込みミョルニルを振るう。
対するヨフィエルもまた、1歩踏み込んだ。
「水仙の槍〝白亞〟」
瞬時に左手を捨てる判断を下し、ヨフィエルは右手に純白の槍を携えて――。
「――――ッ」
だがそれでも、雷の鎧を貫くことはできなかった。
「何度やっても同じことだよ。君の攻撃じゃこの鎧は破れない」
黒く変色する左腕を抑えるヨフィエル。槌に砕かれ雷に焼かれた彼女の左腕は見るも痛々しい。細く白く華奢な腕は原型を留めていない。
「知っていますとも。守護神アテナ様の盾に続く最強の防具『覇我の鎧』」
「だったら……」
「――ですから」とヨフィエルは微笑んだ。
「初めから破ることなど考えてはおりません」
その発言の直後だった。
「――――え?」
ユーキの視界が盛大にブレた。
ソレを皮切りに、次々と発現する症状。
視界が定まらずフラつく身体。込み上げてくる吐き気に、震える手足。終いには耳鳴りまで鳴り始めた。
その感覚はまるで酷い『酔い』のように。
空中での制御を失い、ユーキは地面に落下した。
「ようやく効いてきましたか」
転落したユーキに続き、地に舞い降りるヨフィエル。
割れるような頭痛に頭を押さえつけながら、ユーキは辛うじて下を動かす。
「何を……?」
「毒です」
即答するヨフィエル。
「百合と鈴蘭。そして水仙。どれか1つの鱗粉でも吸い込めば、常人であれば即死する猛毒です」
ユーキの視界に広がる、青い薔薇――。
「薔薇の香りで、匂いを消したのか……」
つまりユーキの攻撃からヴィレン達を護ったのは、このための布石。
不自然なく毒を盛るために、思考を誘導させられたと合点が行くが、もう遅い。
「終わりです、ユーキ」
新たにヨフィエルが右手に握るは、紅い華の剣。
「……かないんだ」
霞む視界の中、揺らぐ足を地につけユーキはミョルニルを構えた。
「負けるわけにはいかないんだ。僕は勝たなきゃいけない。勝って、うちに帰るんだ……」
力なくユーキは笑った。
精一杯の虚勢だった。
「―――覇我の槍」
大槌がその姿を長槍に変える。
雷を纏いし雷神の槍。
しかし最後はあっけなく。
迫るヨフィエルの華剣をユーキが避けれるはずもなく、左肩の鎧の隙間に吸い込まれ、華剣がユーキの鎖骨に突き立てられた。
「――命の節に咲け〝彼岸花〟」
緑の王国に根を張る巨大樹。その枝から生成される《ヤドリギの矢》の上位互換。
華剣はユーキの魔力と生力を吸い、やがて柄頭に蕾をつける。
連動して鎧が剥がれ、槍が槌に還り、ユーキの膝が落ちる。
毒と魔力低下。死の淵で、朦朧とする意識の中で、ユーキは震える右手を伸ばした。
「僕は……あの場所に帰りたかった。それだけで、僕は……」
何かを掴もうと。何かに縋ろうと。
必死に伸ばすユーキの手を、ヨフィエルが優しく取った。
「ええ。わかっています」
慈愛の微笑みで。まさしく美天使に相応しきその親愛を以て。
「あなたの犯した過ちは、この慈愛のヨフィエルが許しましょう。あなたの罪を許しましょう。
ですから安心して眠りなさい。
大丈夫。次に眼を開けたその時、あなたはきっと――」
そして蕾が開花し、鮮やかな赤い花を咲かせた。
次第に薄れ始めるユーキの身体。最後は儚げにその存在を消失させた。
「………」
余韻の後、ヨフィエルは振り向いた。
視線の先には、無言で武器を構えるカルラ達の姿があった。
その瞳には恐怖と逡巡。
―――おまえは敵なのか、と。問いかけている。
「私達天使皆が皆、人類の絶滅に賛成しているわけではありません。だからこそ400年間も長きに渡り議論が続いたのです」
「1つ聞きたいことがある。ヨフィエルとやら」
「私が知り得ることならば。ですがその前にまずは――」
リヴィアの問いかけに対し、ヨフィエルは空を見上げる。
「アレをどうにかしてもらえませんか……?」
ヨフィエルに続き空を見上げたヴィレン達の眼に映るのは、黒雲から産み落とされた巨大な雷の塊。
雷霆宝珠。ユーキの最後の悪足掻きである。
「あの雷塊が地上に落ちれば、数多くの犠牲者がでてしまう。私にはもう、アレを止める魔力は残っていません。ですからどうか力を貸してはもらえないでしょうか、勇気ある子どもたちよ」
彼女の言葉通り、ユーキの戦闘でヨフィエルの身体はズタボロだった。
天使にトドメを刺すなら弱っている今が絶好の機会。この機を逃せば人類にとって大きな厄災と成りかねない。
「リヴィア。俺に力を貸してくれ」
だが。ヨフィエルは二の次だ。言われなくともあの黒雷をどうにかしなければ、ヨフィエルどころか全員終わる。
「おまえに言いたいことは山ほどあるレン」
ヴィレンの頼みに、リヴィアは深いため息をついた。
「落ち着いて話し合うためにもまずはそうだな、あの雷を斬らなくては始まらん」
くすっと、リヴィアは笑った。