第143話 ダーリー・ウェンブリー
今からざっと450年程前。
世界の法則を捻じ曲げ、禁忌の領域に触れ、唯一神の怒りを買った国。それが旧アルデュビュア帝国である。
天界より召喚された唯一神の眷属《七大天使》によって国ごと滅ぼされた。……かに見えた帝国だが、3男アルファム・E・アルデュビュアが奇跡的に逃げ延びたことにより、帝国の血筋は途絶えなかった。
アルファムは帝国皇帝に代々語り継がれて来た避難地の1つ『霧の洞窟』の隠し回路に身を隠し、その場所に新たな『帝国』を築いた。
帝国人は大きく2種類の人種に分類される。
1つはゼストやユリウスなどの"外"から来た人種だ。シュナやマーズ、好き好んで帝国に来た者もいれば、ライムなどアジトの場所を知ってしまい無理やり帝国に攫われて来た者もいる。
そして2種類目は帝国の"内"で産まれた者――。
ダーリー・ウェンブリーは後者である。
彼は外から攫われてきた女が孕まされた子どもだった。
帝国に攫われて来た男は毎日過度な肉体労働を強いられ、女は性欲の道具とされ子どもを産ませ続けられる。
帝国で産まれた子どもは、12の歳に2つの道に進ませられる。
1つ目の道は連れ去られてくる奴隷どもと一緒に死ぬまで肉体労働、女であれば性欲の玩具にされる道。
そしてもう1つは、兵士になる道だ。
剣の才能があったダーリーは後者に進ませられる。
兵士の道は険しかった。
実力主義である帝国では、弱い物は死に強い者が生き残る。
上官は兵士を殺しても罪に問われず、逆に兵士が上官を殺しても罪は問われない。むしろ喜ばれる。
兵士が上官を殺したという前例もあるにはあるが、たった数件。腐っても上官なのだ。上官を殺すことが、そんな簡単なはずがないのである。
クソがつくほど理不尽な上官がいれば、超がつくほどお人好しな上官もいる。
そしてとても残念なことに、ダーリーの上官となった醜鬼種の男は、クソが付くほど理不尽な上官であった。
「貴様ァ、上官のオデ様に逆らうのかぁ!? オデ様がヤレと言ったらヤルんだよォ!!」
上官の命令に逆らえば、立てなくなるまで殴られ続ける。
「今、オデ様のことを見て笑ったな!? 笑っただろォッ!?」
上官の機嫌を損ねれば、顔の形が変形するまで蹴られ続ける。
正に理不尽を形にしたような男だった。
ストレス発散のために弄ばれ、そうやって、死んでいく奴をダーリーは何人も見てきた。
この世界でのルールをいち早く理解し、順応できない者から死んでいくのだ。
「――君はサボるのがほんとに上手だね。ダーリー」
空を思わせる澄んだ色の髪。見た目はダーリーと同じ人間族のそれだが、彼の眼は美しい紅色をしている。人間族と悪魔種の混血である。
「上官にもバレてねぇってのに、相変わらずデイルさんの洞察眼には敵いませんねぇ」
デイフィル・アデマン。ダーリーと同じ、親の顔も知らず帝国で産まれ帝国で育った少年だ。
「まぁね。君のことならなんでもお見通しだよ」
デイルは爽やかな笑みを浮かべる。
「実は魔力を扱えるのに隠してるってこととか、ね」
「……いつから気づいてた?」
絶対に誰にもバレていないと確信していた秘密を安易に暴かれ、ダーリーの笑顔が凍る。
「え、冗談のつもりだったんだけど……」
少し申し訳なさそうに笑うデイルに「やられた」とダーリーは目元を押さえた。
「ごめんごめん。でも、魔力が扱えるってすごいことじゃないかダーリー」
「別にすごいことじゃないだろ。だってデイルも使えんじゃん」
「あ。バレてた?」
「……冗談のつもりだったんすけど」
「知ってたよ」
デイルは良い奴だった。明るくて、面倒みが良くて、人気があって、実力もある。
ただ1つだけ、彼に欠点があるとするならば――。
「本気を出せばダーリーならいいポジションまでいけると思うんだけどなぁ」
「ヤダね。俺は楽して生きたいんだよ。上に立てば責任とか付き合いとか色々めんどくせぇだろ?」
「そうかな。下で一生理不尽を強いられるより、上に立った方が楽だと思うけどな僕は。
それこそ君なら、努力すれば七帝将だって夢じゃない」
「まず俺、"努力"って言葉好きじゃないんだよな」
「どうしてだい? 僕は好きだよ努力。自分を猛らせるいい言葉だと思うけど」
「だからだよ」
「?」
「なぁデイル。努力って言葉にはどんなイメージがある?」
「頑張る、とか前向きなイメージかな?」
「俺にとって努力って言葉はさ、やりたくないことを無理やり頑張るための呪いの言葉さデイル」
「……」
「例えばそうだな。ゲームに勝ちたいって思ったら、努力するか?
違うだろ。アレは努力じゃない。だって楽しんでやってんだから。好きなことを楽しんでやってるうちは、それは努力なんかじゃない。
だけど、少しでも楽しくないって思った瞬間、それは努力になっちまう」
「……」
「努力って言葉を使えばいかにも美談に聞こえるかもしれねぇけどな、それはやりたくないことにやる理由をつけてるだけさ。
俺は努力してる。頑張ってる。だからどうした?
やりたくないなら辞めちまえって俺は思うね。
だから俺は努力って言葉が嫌いで、付け足すとめんどくせぇことも大嫌いだよ」
ダーリーの持論を聞き終えたデイルは苦笑と共にただ一言。
「捻くれてるねぇ〜君は」
「褒め言葉として受け取っとくさ」
「でもさダーリー。君のそういう考え方、僕は好きだよ」
年齢の一緒だったデイルとは、それなりに気が合った。
今まで合った奴の中で一番親しい友達。今思うと、めんどくさがりなダーリーに合わせてくれていたのかもしれない。
ダーリーはめんどくさいことが嫌いで、デイルは理不尽が嫌いだった。
そしてデイルは、人並み以上に『正義感』が強かった。
それが彼の、唯一の"欠点"だった。
デイルが死んだのは、それから2ヶ月後のことだ。
女好きのオークの上官が、嫌がる猫人種の少女を無理やり自室に連れ込こもうした現場を、よりにもよってデイルが目撃してしまった。
女の子が涙を流しながら『――助けて』とでも言ったのだろう。
いや、言わずとも正義感の強いデイルなら見過ごしはしない。
予兆はあった。
ダーリーが止めていなければ、デイルが何度オークの上官に襲いかかったか数え切れない。
それほどデイルはオークを憎んでいた。
ダーリーが現場に駆けつけると、血だらけの親友が立っていた。
「デイ、……ル」
左腕。肘から先がなかった。
血の海に沈むオークの上官。近くにはオークのモノではない、人族に似た片腕が転がっている。デイルの腕だ。
「あ……」
ダーリーを見つけ、緊張が溶けたのか、デイルが崩れ落ちた。その身体をダーリーが受け止める。
デイルの身体は、見た目よりはるかに軽かった。
「ねぇ、ダーリー。帝国の外には……広大な大地が広がっているらしいんだ」
目を閉じ、デイルは思いを巡らせた。
「地平線をどこまでも青い塩の海があって、自然が綺麗な動物達の森があっ、て……」
「もういいデイル、これ以上喋るな……!」
「……それで、空には太陽が出ているんだ。霧なんかかかっていない、晴れた空が……」
空に手を伸ばすデイルは、嬉しそうに、それで悔しそうに笑った。
「ああ、一度でいいから、君と2人で見てみたかった……な」
それが、デイルの最後の言葉だった。
満たされたようにデイルは眠った。
あの時、デイルと一緒にオークに立ち向かっていたら、と後悔しない日はなかった。
後悔を引きずることが、こんなにも辛く、めんどくさいモノだとは思いもしなかった。
少しして。ダーリーに部隊から移動命令が下った。
移動先は帝国守備軍《怠惰の刃》。
入隊してすぐ、ダーリーは当時の七帝将『万能』のフィザロ・レイダーに呼び出された。
小部屋に2人きり。ダーリーとフィザロは向かい合う。
「よぉ少年。なんでお前がここに呼ばれたか解るか?」
「……さぁ、俺が一番不思議っすよ」
フィザロは笑った。そして薄紫色の瞳を細める。
「他の奴らの眼を騙せても、俺の眼は騙せねぇってわけさ」
「さぁ、なんのことだかさっぱり」
「とぼけるなよ。魔力の気配も消せてねぇ青二才が」
「……ハハ。そんでその青二才に何の用っすか?」
「んむ。単刀直入に言うと、俺は今『後継者』を探しててな」
「後継者、ですか……」
ダーリーの視線が外れる。
「なんだその嫌そうな顔は」
「いえ。なんでも」
と首を振ろうとした途端、
「――なんでもじゃねぇ。俺はなんだその嫌そうな顔はって聞いたんだぜ?」
フィザロから放たれたプレッシャーに、ダーリーの背筋が凍る。
目の前にいるのは醜豚種とは別次元の怪物なのだと、ダーリーは再認識した。
唇を湿らせ、慎重に言葉を選び、ダーリーは答えた。
「はい。恐れながらロードの後継者という言葉に、自分などではあなたの期待に応えられないと思いまして……」
「つまり。お前を選んだ俺の眼が間違っていると。俺の眼を否定するんだなお前は?」
「……いえ、そんなことは」
言葉に詰まるダーリーに、追い打ちをかけるようにフィザロは続ける。
「ならお前は俺の後継者になると、それでいいか?」
有無を言わせぬ物言いに、ダーリーは頷く他なかった。
「……はい」
途端、フィザロの押しつぶすかのようなプレッシャーが消えた。
「はーい。言質取りましたー。良かった良かった〜。改めてよろしくな、ダーリー・ウェンブリー」
背もたれに体重を移しニコニコと表情筋を緩めるフィザロに対し、ダーリーはヤラれたとばかりに愚痴を溢す。
「……魔力で脅して強引に言わせただけじゃないっすか」
「今なんか言ったか?」
「いえ。何も」
「ならいい」
それがフィザロとダーリーの出会いであり、ダーリーにとって運命の分岐点であった。
なるほど『後継者』とは良く言ったモノである。
「めんどくせぇ……」
フィザロが口にしたのは半ば信じられないような計画。復讐。野望。策略。そして希望――。
それは盛大な程バカげた話だった。
「――けど」
それはダーリーにとって、帝国というこの腐りきった国に一泡吹かせてやれる絶好の機会だった。
「おもしれぇじゃねぇか……っ」
ダーリーは努力という言葉が嫌いだ。
いかにも自分は頑張っているんだ。辛いことでも頑張れる。ソレは己を鼓舞する呪いの言葉。
だからダーリーは努力が嫌いだ。
だからダーリーは剣を取る。
剣を振り、己を鍛え、信念を燃やす。
辛くなどない。めんどくさくなどない。むしろ自分の成長が楽しいと感じる。
だから――、
好きでやっている鍛錬に努力なんて言葉は似合わない。
この時間を、努力なんて言葉で一括りにされたくない。
努力なんて言葉で終わらせたくはない。終らせるつもりもない。
だからダーリー・ウェンブリーは、
――努力が嫌いだ。