第140話 氷華の魔女
昔々、あるところに魔法使いの女の子がいました。
彼女の魔法は海を凍らせ、天候さえ雪へと変える、それはそれは偉大な魔法使いでした――。
幼い頃。魔法を習っていたフィーナに、マーリンがよく聞かせてくれた昔話『凍てつく氷華の姫と過を犯した勇者の物語』。
しかしやはりそんな少女も最初から強かったわけではありません。
毎日魔法の練習を欠かさず頑張っていたのです。……ふふ、今のフィーナくんと一緒だね?
フィーナはその昔話が大好きだった。
毎晩マーリンに読み聞かせてもらい、隣で眠る兄とリヴィーは聞き飽きた顔をしながらフィーナに付き合ってくれていた。
今思えばマーリンが適当に作ってくれたおとぎ話なのだろう。
フィーナが魔法の練習に耐えられるように。
――でも。それでも。
フィーナは今でもあの昔話が大好きだった。
そんなある日のこと。少女はいつも通り仲間達と一緒に悪い魔族を倒しに行きます。
でもその日少女が出会ったのは、すごく強くて悪〜い魔族。
少女では手も足も出ず、勝てそうにありませんでした。
魔族の攻撃が少女に向けられた時、少女は目を閉じました。
しかし。
いくら待っても少女に攻撃が当たることはなく、恐る恐る少女が目を開けると、
少女の目の前に、1人の少年が立っていました。
それが氷華の少女とお調子者の少年の出会いでした。
「――だいじょぶ。フィーナならできるさ」
背中を支えられたフィーナが振り向くと、濁金色の髪の男が微笑んでいた。
フィンブルの冷気にカルラの髪や肌が白く凍っている。
ブレかける精神。すぐさま視線を戻し、集中。
「そんな簡単に……どこから来るんですかその自信は?」
「フィーナちゃんのこと信じてるからな、俺!」
カルラは笑う。呆れたフィーナも苦笑する。
「怖い?」
怖くて足がすくむ。腕が震える。
自分だけならいい。あの炎龍に負けたとき、炎龍は勢いを殺さず後ろにいるアリシア達のことも喰らうだろう。それが怖かった。
自分1人に委ねられる運命。責任。プレッシャー。
最前線で戦う力のある者は、みんなこんな気持ちで戦っているのだろうか。
「逃げちゃいたいだろ、ぶっちゃけさ?」
「はい。逃げちゃいたいです、ぶっちゃけ」
今だけ、弱音を吐いてみる。
後ろにいる少年は自分が弱音を吐露する時なんと言うだろう。なんて言ってくれるだろう。
たぶん、フィーナが今一番欲しい言葉をくれる。
少年は優しい。とても優しいから――。
「俺が支えてやるよ」
だから少年は少女を甘やかさない。
「大丈夫さ。今度は俺が隣にいてやるから」
ほら。彼だけは、今自分が一番言って欲しい言葉をくれる。
「……なんですかそれ。今逃げたいかどうか聞いておいて」
フィーナは苦笑した「それなら1つ、お願いしてもいいですか?」そして左手を持ち上げる。
冷気で凍傷になりかけている指は既に感覚がなかった。
「握っていてもらっても、いいですか?」
「おう。一生握っててやる!」
フィーナの小さな手を包むカルラの手はとても暖かった。
「ありがとう、ございます」
繋いだ手の温もりを感じながら、フィーナは今尚押されている氷鳥を見やった。
もう、恐怖はなかった。
『ピュアァァァァァァァァッ!!』
フィーナの想いに応えるように、フィンブルが雄叫びをあげる。
強くイメージを思い描く。
ピキ、ッ―――。
ソレはかつて《氷華の魔女》と呼ばれた少女が、少年を守るために編み出した魔法。
ピキピキッ――。
その魔法は生命、物質に至る全存在の自由を理不尽に奪う魔法。
「な――そんな、私の炎が……!?」
全て――そうそれは魔法も例外なく、燃え盛る灼炎ごと呑み込み時を凍結する。
この魔法の前では全てが無意味無力。
炎龍を凍てつかせ、マーズを呑み込み、それでも氷鷹の勢いは止まらない。止められない。
幾枚もの天井を突き破り、地下を抜け自由なる大空へ踊り出た。
氷河の軌跡を描きながら、やがて氷鷹は天空、雲の中に飲まれ消えいった。
「――あ」
ふわり、ふわり。ぽつりぽつり、と。
急激に冷やされた雲が涙を凍らせた。
大気を覆う霧もまた同じく。冷気にその姿を白へと変える。
吹き抜けとなった天井。白い粉がダーリーの肩に腰を据えた。
視線を上げるダーリーの瞳が、その暗くやる気ない瞳が――。
「………ぁ」
霧に覆われた湿地地帯に初めて、太陽の光が届いた瞬間だった。
「フィーナちゃんっ!!」
急いで駆け寄ってきたアリシアに、カルラがフィーナの身体を預ける。
魔力不足でフィーナは1人で立ち上がれないほど消耗していた。
そこでようやくフィーナは気づく。
自分が未だにカルラの手を握りしめていたことに。
「あ……す、すみませんっ」
すぐさま手を離し、握っていた左手を胸元に押し付ける。微かに残る温もりと感覚を逃さぬように。
そんなフィーナの頭に、ぽんと手が乗せられた。
「上出来だよくやった。さすがは俺の見惚れた女だな」
ニカっと笑い「後はよろしくシアちゃん」と残しカルラはフィーナに背を向ける。
「こっから先は俺達の出番だ」
「まさか私のノヴァが……」
カルラの視線の先では辛うじて全身の凍結を防いだマーズが笑っていた。
空を仰ぐマーズの身体は右腕と右胸から上部分を残し凍りついていた。
「でも、まだよ。まだ終わってないわ」
ここからが本番よ、とでも言うようにマーズの魔力が溢れだす。
「まだこんなに魔力を残してやがったのか」
「往生際が悪いぜウィザード」
カルラとダーリーが駆け出すも、マーズが次なる魔法を発動する方が速い。
「最上位極炎魔法 紅淵の――」
マーズが魔力に真名を与え魔法が発動する。部屋中が火の海に飲まれる、その直前だった。
「――十番目の終焉 万象を断絶せし終閃」
「な――ッ!?」
マーズの右横。床に散らばる瓦礫の中から、闇を纏う漆黒が姿を現しマーズの右腕を斬り落とした。
黒を纏う少年。その手にもやはり少年と同じく、周囲の光を呑み込むかのような純黒の剣。
少年の姿にダーリーは安堵し、カルラは分かっていたかのように笑う。
そして銀と金、2人の少女の顔は華のような笑みを浮かばせて、
「ヴィレンくんっ!」「兄さんっ!!」
漆黒の少年――ヴィレンはしてやったと苦笑する。そしてすぐ全身の負傷に頬が引きつった。
そんなヴィレンと入れ替わるように、カルラがマーズの懐に。
紫黒の刀身が鈍く光を放ち、
「不死身は俺1人で十分さ」
その言葉の直後、マーズの視界が転落した――。