第135話 マーズ・メイリッチ
世界の歴史を求めるようになったのはいつの頃だったか。
世界の始まりを知りたいと願ったのはいつの日だったか。
マーズ・メイリッチ。彼女が求めて欲する物、それ即ち知識――。
知りたいと喰らう貪欲さこそが、彼女の長所であり短所である。
かつて《六色の魔女》に上り詰めたマーズが何故、帝国に付いたのか。
その理由もまた、彼女の貪欲が所以なのだ。
《亜神》フェンリル。青の王国唯一の獣の神は、マーズにとって興味の尽きない存在だった。
世界に獣を放ったのは自分であるとフェンリルは語る。
しかしいくら神と言えども、彼にも知らないことは余りある。
例えばそう、世界の始まり、とか。
それについては三大神。最も成通しているのは《創世神》ブラフマーだとフェンリルは言った。
だが、マーズにとって世界の始まりよりも興味を惹かれた出来事がある。
それは――神代の終末。
神々の闘争の結果。唯一神についてである。
世界の王となるため、唯一神の座を巡って14の神々がこぞって1つの席を争った、椅子取りゲームである。
太陽神ラー。月夜神ルナ。嫉妬神ヘラ。鬼神エリニス。生命神イグニス。大地神ガイア。亜神フェンリル。雷神トール。戦神アレス。守護神アテナ。
そして神々最強と謳われし三大神。創世神ブラフマー。維持神リシュヌ。破壊神リヴィアを加えた13の神と、"もう1人の神"によってゲームは進められ、そして終わりを告げた。
見事13の神々に勝利した"もう1人の神"は唯一神の座を手に入れ、世界の王様になりました。
しかしここでふと疑問になのは、唯一神とは誰なのか、だ。
しかしフェンリルの記憶から"もう1人の神"の存在は抹消されていた。
そればかりではない。ある一定の期間から神戦に置いての記憶も欠落し、ただ自分が敗北したという実感だけが残っているという。
意図的な記憶操作と大胆な歴史抹消。
唯一神の能力は対象の記憶に干渉することのできる力なのか。それとも唯一神としての権能の一部なのか。
しかしそこでふと疑問に思うことがある。
『――どうして唯一神は己の存在を隠蔽したのか』と。
この事象のどこにメリットがある?
唯一神という神々の王の器を手に入れ、恥じるよりも誇るべきであろう?
それを何故、と。
元より椅子取りゲームをしたという記憶を埋め込まれた、と考えるのであればそれも納得がいく、のだがフェンリル曰く。
『神々の戦いは存在した』と。我々は敗北したのだと。
考えれば考える程に興味が湧く。
唯一神という存在について。
歴史と記憶から忘れ去られた14番目の神について。
マーズにとって知識欲こそが彼女の存在理由そのものなのだ。
「――私にも分からん。思い出したくとも思い出せない。これほどむず痒いというのに」
「やはり、ですか……」
思っていた通りの――フェンリル同様――答えに、マーズは肩を竦めてみせた。
「三大神といわれる貴方様ならば、と少し期待していたのですが残念です」
「残念とはご挨拶だな。だが小娘、それを知ってどうするというモノでもなかろう?」
「いいえリヴィア様。私にとってはソレが重要なのです。ソレを知るためだけに、この10数年を帝国で過ごして来ました」
青の王国を経ち、世界を周り、帝国を見つけ住み着いた。
滅んだはずの帝国がどうやって今まで隠れて生き続けて来たのか、マーズの知識欲が答えを求めた。
それだけのはずだったのだが、帝国にある文献や資料。様々な知識から代償魔法に至るまで。マーズの興味を引きつけるには十分だった。
それに加え、帝国に置いての実験材料の豊富さ。
青の王国では絶対に行えない禁忌とされる魔法の研究に事欠かない自由さも相まって、マーズは帝国に縛りつけられた。
その実験の集大成として、神器を持ち運べる呪符の開発に成功したのだが。
表向きは勇者の戦力剥奪。持ち帰ってきた神と会話することこそがマーズの本命だ。
「私は知りたいのです!この世の摂理を!心理を!真実を!!」
「知って、どうする?」
リヴィアの問いに、マーズは断言する。
「納得します。満たされます。飢えない飢餓から開放されるのです」
狂気にも似た彼女の有り様に、在り方に、リヴィアは思う。
「貪欲だな。まるで獣のようだ」
知識という名の獲物を狙う獣。その欲望には際限がなく、飢えることしかできぬ悲哀の獣。
組んでいた腕を広げ、獣はクスっと笑う。
「人とは心ある獣の名です。骨を支える皮と肉。細胞と臓器がある。眼があり鼻があり耳があり、考える脳があり、血が流れている。ただ他の獣よりも少し頭がいいだけのこと。
私達人間と獣、何が違うのでしょう?」
自らを獣とするその考えに。リヴィアもまた。
「ふふ、いいだろうおまえ。気に入った」
それから足を組み換え、1つ呼吸を挟み、
「……神戦について。私は何もおまえに教えてやることはできん」
「だが」と言葉を続けるリヴィア。
「違うことなら教えてやれる」
「……と言うと?」
「私達が何故三大神と呼ばれているのか、おまえは知っているか?」
その発言に、マーズは息を飲んだ。
思考する。言葉の意味を噛み締め、四方北方から意図を解体する。
「それは貴方方が最強の神だから、では?」
当然行き着く答えは『最強』となる。
「間違っていなくもないが、そんな単純な話ではない」
そして神は妖艶な微笑と共に語りだした。
世界の始まりを。成り立ちを。行く末を。
「―――――」
「―――――」
話を聞き終えたマーズは、震えていた。
「……フェンリル様は教えてくれませんでした」
「当たり前だ。あ奴は知らぬからな。これを知っているのは私とリシュヌとブラフマーの3人だけだ。それ故の三大神」
「その話が本当なら……では、世界を創ったのは……」
「ああ。そうさ。ブラフマーの奴ではない。創世神などと大層な二つ名を掲げているがな」
「ならば、世界はどうなるのですか? 本来あるべき"筋書き"とは異なっている今……」
止まらぬ知識欲の猛威。暴威に対しリヴィアはピシャリと言った。
「どうもこうもならない。私達は……いや私は失敗した」
目を伏せ、淡々と真実を口にする。
「破壊神としての役目を果たせなかった。それだけの話だ」
口にして。
それから。
彼女は、笑った。
「だが、これで良かったのかもしれんな」
ふっ、と微笑んで、視線を変える。
「神から堕ちたおかげで、私は多くのモノを失い、そしてまた多くのモノを手に入れた」
後悔と幸福。過去と現在。
その呑まれそうな黒紫の瞳からは、彼女の真意は読みと取れない。
唯一わかることとすれば、それは――
「私は………」
その言葉を塗りつぶすかのように、部屋の壁が破壊された。壁が壊れ帝国兵が壁を突き破り部屋に転がり込んだ。その帝国兵を追いかけやってきた黒髪に、リヴィアは目を奪われる。
視線を感じて、黒髪の少年の瞳もまた、リヴィアを捉える。
「リっ――」言いかけ、少年は口を閉じる。
言葉を探し、見つからない。
それからひと呼吸置き、正面からリヴィアの瞳と向かい合い、少年は口を開いた。
「迎えに来たぞ、リヴィア」
その言葉に、リヴィアは――
「待たせすぎだ、バカ者……」
嬉しそうに口の端を緩めた。