第131話 絶対命令
帝国本陣。霧の洞窟抜け穴、湿地草原地帯岩盤上。
ゴツゴツとした岩肌に腰を降ろし、ダーリーは浮かない顔で空を見上げていた。
「――ロード」
帝国会議後、去り際に呼び止められ、ダーリーは驚きを隠さず後ろを振り返った。
「珍しいな。ジョーカーが喋るとは……」
ダーリーの視線の先にいるのは道化の仮面を被った人物。背丈はダーリーと変わらないが、その機械的な声音とトーンは、彼の性別を特定できない。
帝国の眼であり耳である、隠密部隊道化を指揮する七帝将『忠義』の二つ名を冠するジョーカーである。
「シャドウヲ殺メタノハ、不死ノ勇者カルラ・カーター。封縛ノ勇者ウィー・リルヘルス。ソシテ元【三本ノ弓】筆頭リーサ・アルテッサ」
ジョーカーの語る言葉に、ダーリーは表情を崩すことなくただ一言。
「見てたのか?」
ジョーカーは頷いた。
「ピエロノ一人ガ見テイタ」
「そうか。それで、何故それを俺だけに伝える?」
ダーリーはぼりぼりとうなじを掻きながらそう言った。
その仕草には、己の中に浮かび上がる憤怒を押さえつける意味があった。
何故見ていて助けに行かなかった?と叫び出したい気持ちを堪える。燃え上がる感情を沈める。
ジョーカーに当たるのは筋違いだとわかっているからだ。
それに今更怒鳴ったところで、シュナが生き返る訳でもない。労力の無駄である。
無駄は無駄でしかなく、無駄以外の何物でもないのだから。
そんなことより、帝国会議で開示されなかった情報を何故ダーリー1人に伝えるのか。その意図をその旨をジョーカーから聞き出そうとしたのだが……
「オ前ガ責任ヲ感ジル必要ハナイ。考エ過ギハ真面目ナオ前ノ悪イ癖ダ」
それだけ残し、ジョーカーは通路の奥――闇へと溶けた。
「………」
ジョーカーの発言の意図は分からない。ただ、奴は自分の情報も握っているということをダーリーは改めて認識した。
少々考え、それから軽いため息を1つ。
「考えるだけ無駄だな」
疑念を抱いたところで、ジョーカーがどこまでダーリーの情報を熟知しているかなど到底わかりはしない。
意識を戻し、ダーリーは再び嘆息した。
「敵討ちなんて俺の柄じゃねぇし……あんな幸せそうな死に顔してりゃ、毒気も抜けるってもんさ」
今は亡き、紫紺の瞳の忍を思い出し、ダーリーは微かに笑った。
「ったく。あん時後悔したかって後悔してろ、ねぇ。嫌な遺言残しやがって……」
見上げた空には霧がかかり、今日も今日とて曇天だ。
合わせ鏡のように。やる気のないダーリーと同じように。
「ロード。どこに行くんですか?」
立ち上がり、1人部隊に背を向けるダーリーに、ライムが声をかけた。
「……便所だよ」
そう言って、ダーリーは振り返る。
「俺が戻ってくる間、ライム。ロードの指揮はお前に任せる」
端的に命令を下し、それからライムの後ろに整列する部隊に向け声をかける。
「いいか、お前らー。俺からの絶対命令だ。絶対に死ぬな。ここは最終防衛ラインじゃねぇ。気負う必要はねぇし死守する理由もねぇ。数人くらい見逃したって構わねぇ。
だから、死にそうになったら逃げていい。以上」
部隊としては異質な絶対命令に、シュナ死亡により合流した影の部隊は顔を見合わせた。
反対に刃の部隊に動揺する者は一人もいなかった。
むしろダーリーがそう言うことを見越し、彼らは自信と誇りを以て応える。
七帝将の中で、笑顔と活気に溢れる部隊はここだけだろう。
彼らの反応を横目に、ダーリーは満足気に再び部隊に背を向ける。
すぐさま彼の背中は霧に飲まれ見えなくなった。