第130話 エルザベート・ブラッド
さて、今回はエルザベート・ブラッドの話をしようと思う。プライドが高く、他者を蔑むエルザベートは、きっと多くの者達に嫌われていることだろうと思う。
けれどどうか、彼の過去を知ってやって欲しい。彼の歩んできた道のりを、知ってやって欲しい。
エルザベート・ブラッドが吸血鬼となった理由と、彼の生き様を――。
エルザベート・ブラッドは、由緒正しき吸血鬼の家系ブラッド家に生まれた長男である。
……いや。細かいことを言うのであれば、書面上の長男であり、正しくは彼は4男なのだ。
エルザベートの3人の兄達は、ブラッド家として名を背負うための実力が足らず、出来損ないとして『選別』に回された。
吸血鬼という種族にとっては極々当たり前の話。よくあることだ。
最上位の魔族としてその地位を築くために、彼らは力を持って産まれてこなかった者を処分し、力を持って産まれてきた者だけを生かした。
そうやって、吸血鬼種は最上位の魔族としてその地位を確立してきた。
そんな中、良くも悪くもエルザベートはブラッド家に生を受けた。
父ウラドの濃厚な血液を摂取し続けた優秀な母体から産まれ落ちたエルザベートは、……しかしウラドの期待を超えるには至らなかった。
赤点ラインスレスレの合格で、エルザベートは吸血鬼として生きることを許された。
だが。いや、だからこそと言うべきか。
そんなエルザベートに課された毎日は過酷そのものだった。
ブラッド家の跡取りとして昼は剣術を叩き込まれ、夜は知識を詰め込まされた。
休むことを許されぬ地獄の日々に、エルザベートは毎晩のように枕を濡らしながらも、それでも必死に生に足掻いた。
どんなに痛めつけられようが、エルザベートが理不尽に従者に当たることはない。
遠い父の背中を目指し、歯を食いしばりながら苦痛に耐えた。
母親に似て、優しい吸血鬼だった。
そんな幼少期を超えエルザベートが18の年を迎えた頃。彼は1人の少女に出会う。
白く痩せた身体。美しい金髪。怯えた瞳。
彼女をひと目見た瞬間、エルザベートは生まれて初めて胸の高まりを感じた。
「彼女がお主の婚約者だ、エルザベート」
動悸が起こり、呼吸が乱れ、目が釘付けになる。
「わたしはアリシア……、アリシア・ツェペシュと言います。よろしくお願い致します……エルザベート様」
それがアリシア・ツェペシュという少女との出会いである。
エルザベートは考えた。どうしたら彼女は自分の物になるのかと。
いや事実上既にエルザベートとアリシアの間には婚約関係が結ばれているのだが、エルザベートはアリシアに自分のことを好きになって欲しかった。
なら、どうすればいいのか考える。
考え込み、悩み抜き、エルザベートは周囲に目を向ける。
豪華な服に大粒の宝玉で飾られた貴服は、吸血鬼種として裕福な家系の印である。
常に余裕を保ち、プライドを備え、微笑を讃えて堂々と道を歩む男爵達。
道端で男爵を見据える女達は、頬を蒸気させながら熱い視線を注いでいた。
その光景にエルザベートは解を得た。
――ああ、そうか。傲慢不遜であればいいのだと。
身近に模範がいるではない。そう、父がそうだ。
誰にもへり下らず、誰よりも偉く、誰よりも強くなればいい。
そうやってエルザベートは《吸血鬼》というモノを学んだ。
そうしてエルザベートは《吸血鬼》というモノを知った。
それが正解なのだ。《吸血鬼》としての正解なのだ。
優しさを捨て、プライドを作りエルザベートは変わっていった。
他者を見下し踏み潰し。邪魔な物は排除し欲しい物を奪い取る。
その成長ぶりをエルザベート自身、実感していた。
我先にと群がる吸血鬼の女。
1歩屋敷を出れば、たちまち待ち構えていた吸血鬼がエルザベートを囲った。
気分が良かった。
居心地が良かった。
生きている心地がした。
自分は他の男よりも優れている。
金に力に権力。魔王軍幹部の席を手に入れるのも時間の問題だ。
それなのに――。
何故か彼女だけは違った。
不器用な愛想笑いを浮かべ、頬を引きつらせて……。
どうしてなのか。
まだ足りないのか?
まだ私は君に相応しくないのか。
そうしてまた、エルザベートは吸血鬼として成長していった。
それから数年後。事件は起きる。
白の王国との大戦の日である。
エルザベートは一切の躊躇なく人間族を屠った。その屍を踏み砕き、服や髪を紅く染めながらエルザベートは戦果を上げた。
戦の余韻に浸りながら、エルザベートはすぐさま意中の相手の元へと歩み寄る。
「どうだいアリシア。私の活躍を見ていたかい? 愚かで浅ましい人間族を皆殺しにする様を」
「……」
しかし。アリシアの瞳は、エルザベートを見ていなかった。
「……アリシア?」
「あ、すみませんエルザベート様……!」
ハッと我に帰り振り向くアリシア。彼女の視線の先にいたのは、黒い髪をした魔人種の少年だった。
「奴は確か……」
永久の勇者……。
「……チッ」
それからだ。エルザベートがヴィレンを目の敵にするようになったのは。
同時にアリシアがヴィレンを意識するようになったのは――……。
「―――」
今まで積み上げてきた物が壊れる音がした。
最愛の女性が血契を交したと聞いた時、エルザベートは頭が真っ白になった。
唯一の希望が裏切られるというショックは、計り知れない絶望そのモノである。
食欲が沸かず、気力は失せ、吐き気が込み上げて来る。
魔王軍幹部を降ろされたことよりも、アリシアを失ったショックの方が遥かに大きすぎた。
心に穴が空いたような喪失感を、エルザベートは怒りに変えた。でなければ己を保つことができなかった。
エルザベートはアリシアを愛していたのだ。
心の底から彼女を愛していたのだ。
だが今。エルザベートはあろうことかその愛した女に牙を剥いている。
父と弟を相手取りながら、去っていくアリシアの背中を見つめて、エルザベートは思う。
いつからだろう、と。
いつから私は道を間違えてしまったのか、と……。
もう二度と触れられないその髪を想って。
どうしたらいいのか。
今自分は何をどうするべきか。
父と弟を殺め、ヴィレン諸共アリシアも殺す。
そうすれば自分は救われるのか……?
エルザベートにはわからない。
何が正しくて何が間違っているのか。
もう、どうでも良くなった――。
瞬間。エルザベートは噛み付いた。隣にいた帝国兵に噛み付いた。
音を立て血を貪り尽くす。
響き渡る絶叫。仲間の驚愕の瞳。敵の不審な紅眼。
どうでもいい。
次から次へ、片っ端から喉を潤していく。
「まさか……カインズ、エルザベートを止めろ!!」
「はい、父上!!」
エルザベートの奇行の意図を察したウラドがいち早く行動に移る。しかし2人の間には帝国の肉壁が立ち塞がり、距離は埋まるどころかむしろ離れていく。
その合間にもエルザベートは仲間の血を取り込み続けた。
吸血鬼にとって血はドーピングだ。瞬間的に己の力を上昇させ、増幅させる。
だが、摂取量には限度が存在する。
度が過ぎたドーピングは、己の身体を蝕む毒となる。
「うッ……ぐっ!!」
口元を手で覆い、軽く吐血する。
エルザベートの摂取量は既に限界を超えていた。
頭が朦朧とし、身体中に激痛が走る。
しかしそれでもエルザベートは血を求めた。
そうして、やっと、ソレは完成する。
「……はぁ、はぁ……っ」
エルザベートは高々に剣を空に掲げた。
彼の視界が捉えるのは黒と金の後ろ姿。
「これで終わりだ……アリシア」
ソレはブラッド家に伝えられる奥義、秘術。限界までドーピングした力を一点に、一瞬に注ぎ込むことにより爆発的な威力を生み出す鮮血の刃。
その業の名は……
「ブラッディー・ブラディウス――」
振り下ろされた刃が、衝撃となり斬撃として飛翔する。
前方にあった帝国兵のことごとくを巻き込み、斬り裂き、屍へと変えながら。
その刃が遂にアリシアとヴィレンの背中に迫り、そして――。
2人の横を通り過ぎ、置き去りにし、1本の道が開けた。
振り返ったアリシアの驚嘆の瞳と、エルザベートの瞳が絡み合う。
何も言わず、エルザベートは笑ってみせた。
それで十分だった。
「――ぐッ……!!」
突然走り出す胸の痛み。
ブラッディー・ブラディウス使用による反動とはまた違う胸の疼き。
これは叛逆だ。帝国に対する反乱だ。
制約が代償を求め、胸の痣を焼き始めた。
確信する死の誘いに、エルザベートは寒気を覚えた。
その瞬間、エルザベートの視界に2つの影が降りる。
その姿を捉え、エルザベートは即座に後退しようとして……止めた。
直後――ドスッ、と。
肉を穿つ重い音と同時に、エルザベートの体躯に冷ややかな異物が2本突き刺さった。
「安心しましたよ、兄さん」
「なんのことだい……?」
吐血しながらも知らん顔を決め込むエルザベートを見て「それくらい見抜けない僕達ではありません」カインズは薄く微笑んだ。
「まったく。最後まで世話のかかる愚息だお主は」
そして、カインズと同じくエルザベートを貫いたウラドがその重たい口を開いた。
愚息と罵られようが、これでいいとエルザベートはそう思う。
気に食わないが、アリシアのことはあの男に任せた。
唯一の心残りと言えば、最後まで父の期待に沿うことができなかったことだろうか。
幼少の頃から追い続けてきた背中に、最後まで届かなかったばかりか、泥を塗る始末。
本当にまったく、出来損ないの愚息で申し訳ない……。
意識が途絶える間際、彼は聞いた。
「――制約などには殺させはせん。楽に逝け。我が愛する息子よ」
父から送られた最初で最後の息子という、永劫彼が求めて止まなかったその賛美は、確かにエルザベートに届いていた。