第129話 戦闘開始
喉を乾かせる湿った空気。地平線まで続く黄土を踏みしめ丸3日。霧の洞窟へと向け魔王軍は進軍を開始していた。
そして現在霧の洞窟手前の開けた大地にて、帝国軍が待ち構えていた。
総数は魔王軍の軍隊の約半分、10万にも満たぬだろう。構成員はほぼ魔族。最上位から下位までのありとあらゆる魔族が顔を揃えている。
中には指名手配された荒くれ者から、人探しの掲示板にあった者、そしてエルザベートの姿も確認できた。
そして彼らを率いるのは帝国軍七帝将〝牙〟元・魔王軍幹部のゼストである。
「さぁ、存分に我を楽しませよッ!!」
―――同刻。
峡谷を渡り、山岳を駆け、フウガ率いる紅焔騎士団もまたユリウス率いる帝国軍〝剣〟と相対していた。
両軍睨みを利かせる中、帝国軍の先頭に立ったユリウスが腰の長剣をスラリと抜く。
太陽の光を反射し輝く銀鱗の刀身。それを天高く振りかぶり、
斬――――。
ユリウスの振り下ろした空振りが、斬撃となり紅焔騎士団を強襲する。
直後、衝突。砂煙を巻き上げ、双方の視界を砂色が覆う。
砂塵が収まり視界が晴れると、ユリウスの瞳が巨大な壁を捉えた。
「――お返しだぜ」
瞬間、薄淡となった煙を裂きながら炎を纏いし大鳥が帝国軍を襲った。
それを合図に、両軍の戦が幕を切って落とされた。
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右から迫る豚醜種を切り裂き、勢いを殺さず左の人狼種を横薙ぎに払う。
これで何体目だろうか。30を超えた辺りから数えるのを辞めた。
幾百の屍を跨ぎ、また幾百の魔族を屍に変えながら、俺はただひたすらに前線を駆け抜けた。
「レンレン、みんな、こっちが薄い!!」
カルラの掛け声に反応し、俺とフィーナとアリシアの3人がカルラの後に続いた。
俺達に立ち止まることは許されない。止まれば立ち所に囲まれ、数に押し殺される。
カルラとアリシアを前線に道を切り開き、フィーナを中衛に援護職とし、俺が殿を務める。
戦闘が始まって既に一刻は経過しただろうか。遥か左後方から地響きと共にゼストの嬉笑が轟く。
恐らくバルガー達が応戦しているのだろうが、いつまで保つか。はっきり言ってゼストの実力は師匠にも引けを取らない。
いや、ゼストだけでないのだ。
帝国軍全ての人員の戦力が規格外すぎる。
下位魔族である子鬼種でさえ、中位魔族の人狼種と渡り合える実力を備えている。
《代償魔法》の情報は戦闘前にカルラから伝えられている。
しかしそれでも、まさかここまで魔族軍が押されるとは誰が想像しただろう。
馬鹿げた話だ。およそ2倍の数の差が、今にもひっくり返されようとしているなんて。
現に魔族軍が帝国兵を一体落としている合間に、帝国兵は魔族軍を2体落としている。
鼻に付く鉄の香り。踏みしめる屍の感触。倒れ行く同胞達。
俺やカルラ、アリシアにとっては2度目の大戦。しかしフィーナにとっては初めての地獄だ。顔を蒼白にさせるフィーナだが、しかし彼女が足を止めることはなかった。
それは一心にリヴィアを助けるためである。妹の背中を見守りながら、俺もまた握る剣に力を込め、そして……
―――首筋に走る冷たい冷気を感じた。
意識するよりも速く、身体が反射的に反応する。そうなるようそうできるよう作り上げ極め上げた戦術の一つ。
右回り振り向きざま、振り上げた剣で敵の剣を高く弾いた。
途方もない衝撃。火花散る重い鉄音。風になびく銀の長髪。黒地に金のラインが刻まれた帝国式の軍服に包まれた白い肌。そして、こちらを睨みつける血のように紅く細められた瞳。
殺気を隠すことなくむしろ撒き散らしながら、銀髪の吸血鬼は憎悪を叫んだ。
「――貴様だけは許さぬぞ、最弱のッ!!」
「エルザベート……!!」
間を開けず飛来する剣の突貫を躱しながら距離を取る。しかしその全てを避けきれずに頬が切れた。
油断したわけではない。俺の知っているエルザベートとは別人の如く剣のキレが増している。
これが制約の代償によって得た力なのか。
鬼気迫るエルザベートの刃が、徐々に俺を追い詰め始めた。
「くッ……!!」
ここに来て益々実感する。己の実力不足を。神器の力を――。
「――兄さんっ!!」
戦場に広がる戦闘音にかき消されそうになりながらも、俺の耳朶に銀鈴の声音が触れた。
瞬間、俺とエルザベートの間に氷壁が発生する。すかさず俺は距離を取り、カルラ達の元まで後退した。
「助かる、フィーナ!」
妹に援護魔法の礼を言うのとほぼ同時。分厚い氷壁にピキリと亀裂が走り粉々に弾け飛ぶ。中から不気味な笑みを称えるエルザベートが姿を現した。
「囲まれちまったな……」
ぼそりとカルラが苦笑する。
エルザベートと交戦していた俺に合わせ、カルラ達が進行のペースを落とした結果だ。
「わるい……」
なりふり構わず進んでいればこうして囲まれることはなかっただろうが、その場合確実に俺は孤立していた。
しかしそのせいで今、パーティー全員の命が脅かされかかっているのだ。
「ヴィレンくんのせいじゃないよ!」
「大丈夫です。今ならまだ巻き返せます!」
未だ希望を捨てず、戦闘を継続するアリシアとフィーナ。しかし現実は残酷だ。
鬼牙種に単眼種。悪魔種に吸血鬼種。制約のおかげでどいつもこいつも1ランクレベルが跳ね上っている。
迫る肉の壁を切り裂き応戦しているが、長くは保つまい。肉の壁に圧殺されるのは時間の問題だろう……。
「これで終わりだアリシア。この私を裏切った罪に懺悔しながら死ぬといい」
壁の奥で、エルザベートが1人せせら笑う。
再度、視界を埋め尽くす魔族に息を飲んだ時――。
「――何が『この私を裏切った罪に懺悔しながら死ぬといい』ですか? 寒気を通り越して吐き気を覚えます」
迫り来る帝国の魔族が、目の前で血と肉の残骸に成り果て、転がった。
代わりに複数の白い貴服を纏った魔族の姿が視界に入る。
風に揺れる銀髪。エルザベートやアリシアと同じ紅い瞳。
彼の姿を捉えたエルザベートの顔が苛立ちに歪んだ。
「カインズ……ッ!?」
そして。カインズの隣に立つ、銀髪をたなびかせる初老の吸血鬼を見据え、エルザベートは驚愕に眼を見開いた。
「終わるのは主の方だ。我が愚息よ」