第12話 責任の重み
「――は?」
突然場に沈黙が訪れた。俺を含め皆、アリシアの言葉を理解できなかったようだ。
それからたっぷり3秒後、民衆の視線が俺に注がれる。
「レン。意味がわかるように、詳しく、説明してくれないか?」
「いや、俺にもさっぱりだ」
説明して欲しいのはこっちだ。いくら記憶を探っても、アリシアどころか、他の女性ともそのような行為をした覚えはないのだから。
「まさ、か……」
何かに気づいた様子のエルザベートが、震える声でポツリと呟いた。いったい何を想像してしまったのか、その顔からは人を小馬鹿にするような笑みが抜け落ちていた。
「まさかじゃねぇよ!」
と、不本意ながらも俺はエルザベートの誤解を解こうとしたのだが。
「そのまさかよエルザベート」
「まさかも何もねぇよ……」
アリシアが俺の弁解を平気な顔で無碍にしてくれやがる。
「リヴィア、お前もなんとか言ってくれ」
俺はリヴィアに助けを求めた。いつも近くにいる、言わば一心同体と言っても過言ではない彼女ならば、俺が無実であることを証明してくれるだろうと思ったからだ。
しかし、振り向くとそこには――。
「・・・・・・私たちの関係もここまでのようだな」
感情のない冷めた眼でこちらを見つめるリヴィアの姿があった。
「待てリヴィア、誤解だ、早まるな!」
まずい。このままではまずい。非常にまずい。かなりまずい。
「アリシアお前のせいだぞ! どう責任とってくれるんだ?」
そういいながら全ての元凶であるアリシアのほうに振り返ると、至近距離に彼女の顔があり――。
「何言ってるのヴィレンくん? 責任をとってくれるのはキミでしょ?」
「は!? お前……!!」
肩に何か柔らかなものが押しつけられる感触。公衆の視線、悲鳴、視線。しかも隣にいるリヴィアの眼が軽蔑のそれへと変わっていて。
「いいからじっとしてて!」
とてもじゃないがじっとしていられる訳がなかった。いや、じっとしている訳にはいかなかった。
公衆の面前でこの勇者様は何がしたいのだろうか。行動の意味が不明だ。このことが万一銀髪の魔人にでも伝われば・・・・・・これ以上は危険だと俺の中の本能が叫ぶ。
だが、アリシアの次の言葉で、彼女がなぜ急にこんなにも大胆な行動に出たのか、その意味が明らかになる。
「これが証拠よ」
肩に当たる感触に気を取られていたせいで気づくのが遅れたが、服の襟首が肩のあたりまで下ろされていた。そこででようやく合点がいく。
右の首元――そこにある2つの小さな点のような傷。その傷が今、公の前に晒されたのである。これは昨日、アリシアが俺の血を飲むときに時に彼女の牙が刺さってできた傷だ。
「この傷がどうしたんだよ?」
行動の『意味』は理解したが、まだ『理由』が分からない。証拠とは一体何のことなのだろうか。まさか『初めてを捧げた』という意味深な発言がこれに関係しているのだろうか・・・・・・。
「へ? まさか本当に何も知らないで、私に血を飲ませたの?」
間の抜けたような声で。きょとんとした顔で問いかけてくるアリシアに、俺は正直に首を縦に振る。するとアリシアは額に手を当て苦笑した。
「吸血鬼ってのは、血を吸って強くなったり栄養をとるイメージなんだが、違うのか?」
「イメージって……。まぁ大方当たりなんだけどね。でも多分1つだけ勘違いがあるみたい」
「勘違い?」
「うん。それも一番おっきな勘違い」
アリシアの白い手が俺の首元にある傷跡を優しくなぞっていく。
「男性の吸血鬼は好きな生き物から血を吸うことができる。でもね・・・・・女性の吸血鬼は違うの」
「・・・・・・」
「私たち女性の吸血鬼はね、ある定められた日まで、『女性』以外の血液を摂取してはいけない決まりになってるんだよ」
「なんで女性の血以外飲んじゃいけないんだ?」
アリシアは「それはね」と愛おしそうに傷跡を見据えながら続ける。
「もし女性以外の血・・・・・・即ち男性の血を摂取した場合、その女性の吸血鬼は『初めて飲んだ男性』以外の血を飲むことができなくなっちゃうんだ。
だから、吸血鬼の女性が初めて男性の血液を摂取した瞬間、その男性との"事実的婚姻関係"が成立するの」
「・・・・・・は?」
頭の中が真っ白になっていく。理解してはいけないと、考えては駄目だと、俺の中で何かが必死に叫んでいるような気がする。
アリシアはそんな俺の心境など分かるはずもなく、薄っすらと頬を赤らめながら、
「つまりね、私はこれから先・・・・・・キミの血以外飲むことができない体になっちゃったんだよ?」
「はぁ!?」
そして、追い打ちをかけるようにして彼女は言った。
「責任とってくれるって、言ったよね?」
「いや、責任って、それは……」
確かに、俺は昨日言った。言ってしまった。だからアリシアは昨日、あれほどにも血を飲むことを遠慮したのか、とようやく理解が及ぶ。まあ、理解したところで後の祭りなわけだが。
「だから私は、吸血鬼などに血を飲ませるべきではないと言っただろう……」
リヴィアが呆れたふうに呟いたような気がするが、それに反応できるほどの余裕は今の俺にはなかった。思考がブラックアウトし、脳が考えることを拒絶している。
事実的婚姻関係? 冗談だろ? 今何歳だと思ってるんだ?
現実から逃げようとしたときだ。どこからか乾いた笑い声が響いたのは。
「フフ、フハハ、フハハハハハハ!」
エルザベートが壊れたように笑っていた。楽しそうに、おかしそうに、嗤っていた。広場は静まり返り、エルザベートの笑い声が不気味に響く中で。あいつも俺と同じように現実から逃げているんじゃないかと、そういうふうに見えてならなかった。
「フフ、そうかい。私のアリシア・・・・・・いいや、アリシア・ツェペシュよ。正直驚いたよ。まさかこの私が動揺してしまうとは。
ああそう言えば、君のお父上はこの件を知っているのかい?」
「あなたには関係ない」
「関係ないとは、寂しいことを言うね。だけど確かに、今のキミにとって、今の私には関係のない話だ。そして、今の私にとってもどうでもいい話でしかない。今私が言いたいことはただ一つ」
エルザベートは腰に下げてある純白のレイピアを、ゆっくりとした動作でひき抜いた。彼は笑っていた――否、哂っていた。
「――よくもブラッド家の顔に泥を塗ってくれたな小娘がッ!!」
冷気と殺気が混じった雄叫びを上げながら、エルザベートがアリシアに迫る。
俺は咄嗟にアリシアの前にでようとしたが、アリシアの左手が俺の行く手を阻んだ。ちらりとこちらを振り返ったアリシアは「大丈夫」と小さく微笑んだ。
「私を裏切ったことを後悔して死ねッ!!! アリシア・ツェペシュ!!」
エルザベートのレイピアが、アリシアを串刺しにすべく一直線に向かってくる。
そして、レイピアがアリシアに直撃する直後。
「――なに!?」
金属と金属がぶつかり合う甲高い音が木霊した。
アリシアに向かい刺突されたレイピアが彼女の胸に当たる瞬間、真上へと弾かれたのだ。
「――チッ!」
エルザベートが舌打ちをしながら、大きく数歩後退する。
先程まで何もなかったアリシアの手には、いつの間にか血のように赤い紅色の剣が2本握られていた。
鮮血の勇者アリシア・ツェペシュ。吸血鬼種に代々引き継がれる神器"始祖の鬼血"に適合し、その能力により自分の中に流れる血液を操り戦うことができる。
アリシアの能力は耳にしたことがあったが、実際に見るのはこれが初めてだった。
今アリシアが持っている剣も、自身の血液を操り、創り出したものだろう。
「だからさっき謝ったじゃない。ごめんなさいって」
アリシアは余裕のある笑みを浮かべる。
エルザベートは動かない。彼もかなり強いようだが、アリシアとの実力差は歴然だった。身体から迸る魔力の量はエルザベートのほうが上だが、なにせ質が違いすぎる。
「ほう。なかなか強いなあの勇者。一度戦ってみたいものだ」
リヴィアがそんな感想を口にするのはいつぶりだろうか。つまりはそれほどまでにアリシアが強いという訳だ。
しかしプライドを傷つけられたエルザベートは、実力差がわかって尚止まらない。
エルザベートが追撃を与えようと細剣を構え直し、彼の後方にいる護衛たちが抜剣した時だった。
ズッ、という威圧感が俺にのしかかった。いや、俺だけではない。隣にいるリヴィアに、目の前で戦っているアリシアとエルザベート。戦いを観戦している魔族たち。そして、ヴェルリムの町全体が震えていた。
「なにが、起こって……?」
俺は状況を確認しようと、周囲に視線を巡らせた、丁度その時。
大地を揺さぶるような、重低音の聞いた声が町全体に木霊した。
『――首都ヴェルリムに住まう、全魔族たちよ。これより、第1級厳令を告げる。現在ヴェルリムに存する勇者と、幹部はこれより30分後、城の玉座の間に集合せよ。
遅れた者には処罰を与える。また、かの者の集合を害した者には死を与える。繰り返す。これは第1級厳令である』
声はそれだけ告げると、町全体を圧迫するような威圧感と共に消失した。
『女性の吸血鬼は初めて飲んだ男性の血液以外摂取できない身体になる』書きたかったことの1つ目ですね笑 これを書くために数ヶ月費やしました。いやぁ、頑張った頑張った。でも、これは書きたいことリストの内の1つに過ぎないからね。道のりは長いが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいなぁ、なんてね笑