第127話 贖罪
「―――と。これが『帝国』の実態となります」
峡谷の崖下。絶壁に突き立てた短刀を足場に、薄桜色の髪をした女がウィーに報告を終えた。
ウィーとカクが話合している最中、突如峡谷に降り立ち、突然帝国の実態を暴露し始めた彼女の話を、ウィーとカクは身を固くしながら聞いていた。
片膝を付き頭を下げるシュナは、ウィーの言葉を待つように口を閉じる。
「寄せ集めの精鋭ってわけっすか。なるほどなるほど。それなら今のシュナのバカげた力にも合点がいくっす」
シュナが語った力の正体。帝国の真の隠し玉。疑わしくもあったが、この状況で嘘を吐いているとは思えなかった。
その証拠に。
「そしてそれが、命の誓約の代償っすか?」
俯くシュナの胸元。忍服の隙間から垣間見える左胸に、無数の亀裂が走っている。その傷が、シュナの言葉の真偽を肯定している。
記憶にあるラドルの死体にも、同じような傷跡があったはずだ。
「はい。分身に過ぎない私に痛みはありませんが、上にいる本体には誓約が発動していることかと」
嘘をついているようには見えなかった。彼女の言葉は、信じるに値するものだ。
ただ1つの発言を除けば、シュナの言葉に嘘偽りはない。
「正体がバレたからラドルを殺した。うちにはどうも、そこだけが納得いかないんすよね。
こうして契約を破ってまでうち達に情報を流す忠義があるのなら、アンタさんはあの場で口封じのためにラドルを殺していない。
まるで自分1人が全ての責任を背負うとしているように、うちの目にはそう見えて仕方がないっす」
確信していた。シュナがラドルを疑っていたようにまた、ウィーもラドルの行動に思うところはあった。
しかし、ウィーは動かなかった。
シュナの実力を信用し、彼女に任せていたのだ。その結果が、まさかあんな事件を生むとは夢にも思わず。
ウィーが見つめる先で、無言を貫くシュナが顔を上げた。
そしてカクとウィーの2人は同時に息を飲む。
「「………」」
そうだ。そうだった。忘れていた。
この忍は、そういう子だったと。
つられてウィーも口元が微笑む。
「アンタがそれで納得しているなら、うちは構わないっすよ」
崩れ始めるシュナの身体は、迫るタイムリミットを告げていた。
1つ呼吸を挟み、瞼を閉じ思い出す。シュナ・ラダーという1人の忍のことを。彼女との思い出を。
あまりにも拙い一瞬。走馬灯のように想起される記憶。干渉に浸りたい気持ちを抑え、ウィーは瞼を開けた。
そしてウィー・リルヘルスは引退した元棟梁としての威厳を再び纏う。
「王国を代表して、シュナ・ラダーという1人の忍に敬意を。アンタさんの生き様は、戦いは、うちとカクさんが見届けたっす。
よく今まで、1人きりで戦ってくれたっすね」
「ああ。誰が何と言おうが、おまえは里の誇りだシュナ。そして俺の……自慢の義娘だっ」
ニカッと破顔する幼き頃の憧れと、鼻を啜りながら笑顔で見送ってくれる義父の姿を紫紺の瞳に焼き付ける。
しかし、我慢できず、シュナはその瞼を閉じる。
「あぁ……その言葉が聞けただけで十分です。私は……アタシは幸せだ」
頬を伝い溢れる雫が大河に落ちる頃には、シュナの分身は風に攫われ消滅していた。
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――脳が思考を止めていた。
身体が硬直して動かない。
状況がいまいちよく飲み込めないまま、ただ一点を見つめている。
何が起こったのか。今自身の身に何が起こっているのか。理解できず固まっている。
「――――」
氷を溶かすように、少しずつ鮮明になっていく脳内。
視界に映る桜のように美しく、綺麗で……そして憎くて仕方のなかった薄桜色の髪。
何か言わなければと、必死に喉を震わせ、声を上げた。
「どう、して……?」
リーサの喉から出たのは、そんな言葉だった。
左脇腹に押し付けられる柔く硬い異物。ヤドリギの矢の矢筈。
リーサが相打ち覚悟で放った矢はシュナに命中した。そして迫るシュナの刃を受け入れようとして目を瞑った。しかしリーサが体感したのは肉を裂く刃の感触ではなく、確かな重みと温かみに包まれた。
「何を、何をしている、ふざけるなッ!? 離せ、私から離れろシュナ!!」
「……」
いくら叫ぼうと抗おうと、シュナはリーサの身体から離れようとはしなかった。
ミチミチッとシュナの体内をヤドリギが犯す音が聞こえる。それでもシュナは一言も発さず、無言のままリーサを抱きしめ続けた。
「償いのつもりか!? 私は決してお前を許さぬぞッ!!」
「……」
「……お前は裏切り者だ!! 死ぬことで償えると思うな! お前には一生その罪を背負い続ける義務がある!! だから、離せ……っ!!」
「……」
聞いているのかシュナ!! 耳元で叫び続けるリーサの声が、シュナの耳に途切れ途切れ響いては消える。
終わりが近づいていた。
視界は霞み、音が遠のき、匂いが消える。世界が色褪せていく。
ヤドリギが身体を犯すことよりも速く、制約の代償が身体を蝕んでいる。
確定された終わり。抗うことのできぬ死の香り。
これから死に行くというのに、不思議とシュナに恐怖はなかった。
しかし。まだここで息絶えるわけには行かない。
自分にはあと1つ、役目が残っているのだから。
シュナは瞼を閉じた。
これでいい。これでもうリーサは復讐に囚われずに済む。シュナ・ラダーという仇を自らの手で裁くことによって。
後悔はない……と言えば嘘になるだろうか。
ある男の顔が脳裏をよぎった。
アタシが死んだとなれば、アイツはどんな顔をするだろう。その表情を拝めないのが残念でならない。
でもまぁ、アイツの中の後悔に残ってくれさえいればそれでいいかなって。
ほら。後悔したかったって後悔しろバーカ。こんなイイ女、そうそういないっての。
心の中でシュナは満面の笑みを浮かべてそう言った。
心の中で対面するソイツは酷く悲しそうな顔をしていた。
それを最後に、シュナの意識は永遠に途絶えた。