第126話 シュナ・ラダー
彼女にとって、里はかけがえのない物だった。
棟梁がいて。親友がいて。同胞がいて。
馬鹿をやって怒られ、馬鹿をやって笑いあった。
彼女は優秀だったが、決して優等だった訳ではない。
けれど。彼女のズバ抜けた才能は忍の憧れで、屈託のない性格が意図せず人を惹き寄せた。
プライドの高い彼女は最後までソレを口にすることはなかったが、そんな日々が彼女にとっての幸せだった。
「―――動いたら、首を落とすから」
同胞の首筋に太刀を突きつけ、シュナは低い声で警告を促す。
太刀で牽制している相手は、同じ里の森精種。
「……すまない。どうして私は君に拘束されているのか、理由を聞いてもいいかい?」
ゴクリと唾を飲み込みながら、親友は何が何だかわからないと言った風に訪ねてくる。
しかしそんな演技に付き合う気はないと、シュナは太刀を握る力を緩めない。
「待ってくれシュナ、何か誤解があるようだ。とりあえず幻舞を降ろしてくれな……っ!?」
片手を太刀に触れようとして、男の顔が蒼くなる。
首元が薄く裂け、血が流れる。
「動くなって言ったよね?」
冷酷な程冷たく、殺伐とした声で、シュナは再度警告を鳴らした。
綺麗な薄桜色の髪から覗く紫紺の双眸は、感情を殺した忍の瞳をしていた。
「……まいったな。彼女が見たら、どんな顔をするだろうか」
苦笑混じりに軽口を叩く男だが、その口元は引きつっている。
「うん。だから。できれば殺したくない」
シュナにとって、リーサは無二の親友だった。出身も種族も年齢も違えど、里に越して来てから仲良くなった相棒だ。
悪ふざけ好きの忍と生真面目なエルフ。
普通相容れない者同士だが、何故か不思議と馬が合った。
いや。初めはシュナがリーサをからかってばかりていて、そんなシュナにリーサも怒ってばかりいた。
けれど、シュナが夜な夜な1人で修行に勤しんでいることがバレたその日から、二人の距離は急速に縮まった(リーサがシュナとの距離を詰めただけなのだが)。
〝3本の弓〟と〝影〟。
どちらも里を背負う精鋭に選ばれ、里や同胞のために切磋琢磨し合った。
そう。シュナにとって、リーサはかけがえのない存在だった。
だからこそ、目の前にいる男をできるなら殺したくはないのだ。
〝3本の弓〟の1人であり、まだ幼い後輩の兄であり、そしてリーサの恋人でもある彼を。
「私は帰省していただけだシュナ。知っているだろう? 身体の弱い母がいるんだ」
「……」
「棟梁にも休暇届は出している。君に拘束されるいわれはないはずだよ」
半日も走りどうしで疲れているんだ。早く里に帰って休みたい。何よりリーサの顔を見たい。
そう宣うラドルに、シュナは一言。
「霧の洞窟の隠し通路」
「―――」
ピクリ。ラドルの表情が固まる。
その様子にシュナは核を突いたことを確信した。
間を開けず、さらに一歩踏み込んだ発言を投げる。
「その先にあった城はなに? 悪の根城かなんか?」
すると観念したのか、ラドルは緊張を解き、肩を落として笑う。
「まいったな。尾行られてたか」
瞬間。シュナの反応を振り切り、ラドルの身体が閃いた。
「―――ッ!!?」
後方に下がりシュナとの間を詰め、太刀の柄を抑えてシュナの攻撃を無効化する。しかしラドルは止まらず、空いた片手でシュナの鳩尾に的確に拳を叩き込む。
見事な体術だった。弓術と剣術に重きを置くエルフにしては、見事な早業と正確さ。そして腕力に乏しいエルフには考えられない威力を以て。
しかしシュナもシュナで常人の枠を超えている〝影〟の1人。
類まれな反射神経でラドルの拳撃を回避して退ける。
「さすがは未来の棟梁候補。今のを躱すか」
「やっぱり里を裏切ったんだ、ラドル」
太刀を軽く振り、シュナは切り替える。
リーサの彼氏だからと、躊躇した結果がこれだ。
今の攻撃には、明確な殺意がこもっていた。
ラドル・ディッファニーは裏切り者だ。
忍として、裏切り者は処罰しなければならない。
「リーサには悪いけど、死んでもらうしかないかなー」
木の葉を踏みしめ、突撃しようとしたシュナに、ラドルが言った。
「シュナ。こっち側に来ないかい?」
「……」
「こっちにくれば〝力〟が手に入る」
「……力?」
「ああ、そうさ。力さ」
そう言って、ラドルは手短の木に片手を添える。幹の太さはラドルの胴体くらいだろうか。
直後、バキッ、バキバキバキンッ!! 乾いた破砕音をたて、木が地面に倒れた。
エルフでは考えられない、並外れた握力。
「すごいだろう? これが力だ」
ラドルの目は恍惚に鈍く輝いていた。
本物だ。疑う余地はない。
シュナはクスリと頬を緩めた。
そして、地を蹴った。
「生憎アタシは力を求めてない。そんな得体の知れない力に興味もない」
力を求めた男は言った。
「それは欲しくとも力を手に入れられなかった私達への冒涜だっ」
力に魅せられた男は言った。
「力を授かれば分かる。この力の偉大さをッ!!」
力に溺れた男は言った。
「どうしてわからない!! どうしてわかろうとしない!!」
確かに彼は強かった。しかし1対1で、しかも幻舞を使う忍にエルフが勝てるはずはなかった。
力に溺れ技を極めなかったエルフに、負ける影ではない。
同じ三弓でも、与えられず努力して力を身につけたリーサの方が強かった。
軽く痛めつけ、四肢を拘束し問を投げる。
「アンタに力を与えた奴は誰?」
「……それは言えない」
「じゃ、あの場所にいる連中の目的は?」
「……それも言えない」
質問に口を割ろうとしないエルフに、シュナは嘆息しラドルが背負っていた矢筒の中から1本の矢を取り出した。
「待て、シュナ……それはっ!!」
先端に鏃のついていない、白い枝。
「なら吐けよ。アタシは尋問が得意じゃないから、これぐらいしかいい方法が思いつかない」
それは3本の弓の名手にだけ渡される《ヤドリギの矢》。
その矢の恐ろしさを知っているラドルの顔が蒼くなる。
「待ってくれ、頼むそれだけは嫌だッ!! あの場所にいけば、全てが分かる。だからっ!!」
「……とか言って、アタシを騙す気でしょ? 罠があるってわかってんのに、わざわざ行くバカはいないよ〜?」
「罠はないっ、本当だ!! アイツ達は純粋に力だけを欲している。力あるものは拒まない、シュナなら幹部の席にだって迎え入れられる!!」
「へぇ、そりゃすごい。幹部なら高待遇間違いなしじゃん?」
「そうだっ! だから一緒に……!!」
表情を明るくさせ、安堵を浮かべるラドル。
「あっ、ひとつ聞いてもい?」
思い出したように口を開くシュナに、ラドルはコクコクと頷いてみせた。
「ああ、なんでも聞いてくれ。私が答えられる範囲でなら」
「リーサはこのこと、知ってんの?」
「知るわけないだろう。あの場所から出られるのは私1人だけだ」
「そっかー。それなら安心した」
心の枷が外れたように、シュナは晴れやかな顔で、一寸の迷いもなく――矢を突き刺した。
「は……?」
ラドルの喉から間抜けな声が鳴る。
「それじゃ、質問の続きを初めようか」
ザザッと血の気が引き、ラドルの顔は見る間に蒼白となった。
❦
「――痛い痛いいたいいたいいたいいたいぃッ!!?」
森の中に絶叫が響き渡る。
「だったら速く答えなよ。ほんとに、死んじゃうよ……?」
ラドルは瀕死だった。
頬はコケ、顔は病的なまでに白い。
2分。たった2分で、ヤドリギはラドルの体内血水分を吸収し、彼の身体を犯し続けた。
根が皮膚を破る度、ラドルは喉が張り裂けんばかりに悲鳴を上げる。
「だからッ!! さっきから言ってるだろうっ!? 言わないんじゃなくて、言えないんだよぉッ!!」
その言葉のくり返し。泣きじゃくりながら、ずっとそうくり返していた。
内心、シュナは焦っていた。
ヤドリギを使えば、ラドルは口を割るだろうと思っていたからだ。
ヤドリギは拷問にもうってつけの道具でもある。
しかし、これは不味いなとシュナは思う。
あまりの激痛に、肉体よりも先に精神が先に死ぬ。
情報を吐く奴は1分もしないうちに吐き捨てる。
「………んだ……」
そろそろ限界か、と助けに入ろうとしたシュナの耳に、か細い声が聞こえた。
「そういう、契約なんだよぉ……。それが『帝国』の『魔女』の呪……」
その呟きの直後。
「ァ、ガッ……グァアアアッ!!」
身体をくの字に折り曲げ、今までとは比にならぬ形相でラドルは苦しみ始めた。
「ちょっと、おい、ラドルっ!? アンタ何をッ!!」
演技ではなく、今にも死に絶えそうな様子で歯を食いしばるラドルに、シュナはすぐさま駆け寄る。
しかし――。
「ああ……帝国万歳。皇帝陛下万歳……」
天を仰ぎ白目を剥くラドルはもう、死んでいた。
「おい、ラドル……?」
立ち上がり、そして数歩後ずさる。
焦燥に顔を蒼くしながら、シュナの脳裏は情報を整理する。
『帝国』『皇帝陛下』『契約』『魔女』。
言いたくないのではなく"言えない"、というラドルの発言。その言葉の意味することが、『死』とするならば。『帝国』など特定の発言を自白した瞬間に命を奪われる呪いを受けていたのだろうか。
ヤドリギの苦痛に耐え切れず、ラドルは自ら命を絶った。
「―――っ」
やってしまった。やらかしてしまった。
ラドルを、追い詰めて、殺してしまった。
どうする。どうする。どうすればいい。
頭を掻きむしり、シュナは考える。
まずは、この場で起こった顛末を、情報を棟梁に届けることが優先だが……。
果たしてリーサは―――。
「――そこにいるのは、シュナか……?」
瞬間。シュナの時が止まった。
最悪だ。最悪のタイミングで、今1番懸念していたことが、1番見られてはいけない者に。
固まったまま動かないシュナの背後。ガサッと音を立て枝の上から木の葉の絨毯を踏みしめる音が聞こえた。
「こんなところで何、を……」
シュナの目の前で息を引き取るエルフに、白金髪のエルフの顔が凍りつく。
段々と目を見開き、信じられない者でも見るかのように、
「ぇ、ぁ……ラド、ル?」
シュナの横を抜け、リーサは無残な恋人の元に膝をつく。
その光景に、シュナは紫紺の瞳を反らした。
大方想像はつく。帰りが遅いラドルを迎えに来たのだろう。
本当に最悪のタイミングだ。
二の腕を抱きながら、シュナは喉を震わせた。
「落ち着いて聞いてリーサ。ラドルはスパイだったんだ。ラドルの動きは前々から何か怪しいと思ってて、それでアタシはこの1週間ラドルの後をつけてた。そしたらラドルは……」
落ち着けと言いながら、1番落ち着けていないのはシュナである。
真っ白になる頭で、言い訳のように、頭に浮かんでくる単語を早口で並び立てる。
「ラドルを殺したのは、お前なのか、リーサ?」
静かにリーサは言った。
その静けさがシュナにとって恐怖以外の何者でもなかった。
「違……ッ、ラドルは突然死んだ!! 情報を吐いて、それで……1人でっ!!」
「なら。このヤドリギの矢は誰が使ったんだ?」
「……ラドルが口を割らないから……でも、殺す気はなかったんだよ!? 危なくなったら、助けようと……本当だ、信じて、リーサ」
「信じるもなにも、……ラドルは死んだ」
ゆらりと立ち上がったリーサの瞳には、大粒の涙が絶え間なく流れていた。
「……」
揺れる水面の奥で、煮えたぎる深緑色の瞳を目にした瞬間、シュナは何もかもが手遅れだと悟る。
「お前が殺したんだ。ラドルを殺したのはお前だシュナッ!!」
激昂に駆られたリーサは、涙を流しながらシュナに襲いかかった。
シュナの必死の言葉は、最後までリーサの心に届くことはなかった。