第122話 霧の奇襲
周囲が霧に包まれた空間というのは、白闇が互いの姿を隠し、湿った空気が臭いすらも掻き消してくれる。
「――――」
音を殺し。殺気を沈め。リーサは静かに矢筒から5本の矢を抜いた。
どのような場所からでも対象を1発で暗殺できるよう、リーサは予め矢に工夫を施している。
今回彼女が取り出した矢は、白い塗装を済ませた白矢だ。
慣れた手つきで矢を掛け弦を引き絞る。するとギシギシッと弦が鈍い悲鳴を上げ始めた。
そしてリーサは詠唱を開始する。
「私はこの世に平穏を求む者也。
天地万有に宿る、大いなる力の根源よ。
森羅万象を司る、大いなる力の理よ。
平穏を望む私の呼びかけに応じ、我が矢に大いなる風の加護を。
敵を射ち貫く『疾風』の風を――」
大気が穏やかに渦巻き、白矢に風と魔力が纏わり付く。
「上位 風魔法《疾風付与》」
はち切れそうになるまで弦を引き、そして詠唱終了と同時にリーサは矢を射った。
拘束を解除された矢は、風の加護を受け正に疾風の如く疾駆する。
目にも止まらぬ速さで、岩肌に腰を下ろす対象目掛け一直線に駆け抜けた。
敵の見張りの数は4人。そのそれぞれに向かい、4本の矢が4人を狙う。
リーサはエルフの中でも最も弓使いに優れた〝3本の弓〟に抜擢されたことのある実力者だ。
ある事件がきっかけで自らその地位を降りたものの、彼女を超える腕前の弓使いは現在存在しないだろう。
歴代の三弓の中でも、リーサの実力は圧倒的だ。
元棟梁ラクアを含め、その実力は勇者にも引けを取らない。
他の三弓ですら、一度に射ることのできる弓はせいぜい3、4本が限度である。それ以上ともなれば精度が格段に落ちてしまい、的に当てることも難しくなってくる。
それにプラスして《付与魔法》の使用ときた。《付与魔法》を使えば威力や速度は上昇するものの逆に精度が下がってしまう。
それを使いこなせるリーサは、やはりエルフの中でも別格なのだ。
この絶好の悪天候の中、彼女の狙撃を交わせる人間はそうそういないだろう。
着弾後、岩肌が盛大に弾け――はしなかった。
あまり派手にやりすぎれば他の帝国兵に気づかれる可能性があるためだ。
威力ではなく貫通力を最大限に高め優先した結果、矢は敵をそして岩をも貫通し、衝撃音を限りなく殺した。
霧で見えづらいが、エルフの眼ならば十分に戦況を把握できる。
「――チッ。やはり躱すか……シュナッ!!」
舌打ちし、リーサは矢筒から次なる矢を取り出し構える。
奇襲は失敗した。2度目の矢の色など黒でも赤でも何でもいい。
「3人殺りましたが、本命は外しました」
リーサの報告に、すぐ後ろで待機していた2人の勇者がそれぞれ獲物を構えた。
「上場っす。後は手筈通りにいくっすよ〜」
「了解ッス」
リーサが2発目を放つと同時に、ウィーとカルラの2人は飛び出した。
「――あっはッ。こぉ〜わ。エゲツねぇの」
頭部を正確に狙った白矢に、シュナは思わず苦笑した。
瞬時に反応できたのはシュナだけのようで、後方を確認すると付き添いの部下が3人動かなくなっていた。
「ラクアかぁ? ……いいや、リーサか」
知り合いの名前を口に出し、今度は嬉笑する。
「待ってたよ♪」
立ち上がり、2発目の矢をなんなく躱し、シュナは目を細めた。
2つの影が、霧を裂くようにしてシュナに迫る。
まず先に攻撃を仕掛けたのはウィーだ。
腰のポーチからクナイを取り出し投擲する。左右両方合わせ計8本。
飛翔するクナイを認知した瞬間、同じくシュナも8本のクナイを取り出し迎撃した。
2人のクナイは寸分違わず空中で激突し、飛翔方向が反れた。
しかしクナイはただの揺動ただの挨拶。
間合いを詰めたウィーが、腰の短刀を抜きシュナに斬りかかる。
小柄な黒髪を目にした途端、シュナは軽く目を見開き、破顔した。
「あっはッ! これは驚いた。まさかあなたが来るとは予想外だ、棟梁っ!!」
同じく腰の短刀で応戦するシュナに、今度はウィーが言葉を投げる。
「久しぶりっすねぇシュナ。ちょっとは大人っぽくなったんじゃないっすか?」
「そういう棟梁はあの日から全く変わらない、なッ!!」
強引にウィーを跳ね返し、突撃してくる2人目の攻撃をシュナが防いだ。
紫色の刀身の剣と相対しながら、シュナは問を投げる。
「んで。アンタは、忍じゃないな?」
「助っ人頼まれた、ヴィレンってんだ。永久の勇者って言ったらわかるかい? 可愛いお嬢ちゃん」
笑顔で嘘を吐くカルラに、シュナは笑いながら短剣を振った。
「嘘つけ。殺すぞガキんちょ♪」
「いやいや嘘じゃねぇって。好きな子がいなきゃ惚れてたかもしれ――」
「そっちじゃない。アンタは不死の勇者カルラ・カーターだろう? 面は割れてんのさ」
「んだよ。つまらねぇのー!!」
笑顔のまま言葉を返すカルラだが、いつの間にかカルラの剣がシュナの短剣に押されている。
リーチ差など関係ない。技術も去ることながら、単純にシュナのスピードがカルラを上回っていた。
押されるカルラに、リーサの援護射撃が飛ぶ。
「あっぶな〜ッ!!」
嬉しそうに驚くシュナ。態勢が崩れた隙に、カルラとウィーが追い打ちをかけた。
「あれ〜。もしかして手加減してくれてる? でも勇者が2人相手とか。か弱い女1人に恥ずかしいとは思わないわけ?」
しかし2人相手でも、シュナを攻め切れない。そればかりか逆に押されている。
勇者2人が。たかが忍相手に。
「カルラさ〜ん。いい加減本気だして下さいっすよ〜。可愛い女の子相手だからって、手加減してたら後でフィーナさんにチクっちゃうっすよ〜?」
「そりゃ困るな。ウィーこそ、元部下だからって手心加えすぎじゃねぇーか?」
冗談を交わす2人の顔に余裕はあるが、それはシュナも同じこと。
その3人の戦闘の僅か後方で、1人の少女が意識を取り戻した。
リーサに狙撃され即死したと思われていたが、どうやら急所は外れていたらしい。
目を覚ました少女は、眼前で巻き起こる戦いを目の当たりにし、ようやく何が起きたのかを察した。
「敵襲……!? 応援を呼ばねば……うぅッ!!」
痛みに頬を引きつらせ、それでも少女は立ち上がった。戦場に背を向け、少女は帝国の城へと走り出す。
最初に気づいたのはウィーだった。
血に濡れた背中を見つけ、叫ぶ。
「カルラさん!!」
言われて初めてカルラも気づく。
「やべぇぞウィー、逃がすと不味い!!」
ここで応援を呼ばれれば、シュナを殺すことはできなくなる。
第一の目的である帝国の在り処は掴めたが、この場で帝国の主戦力を削って置きたくもあった。
それにあのリーサの顔を見れば、ここまできて撤退することはできないだろう。
放って置けばリーサは1人でもシュナに立ち向かっていく確信があった。
カルラがシュナを引きつけ、ウィーが少女の背中を追いかけようとした瞬間、シュナの姿が忽然と消えた。
2人が警戒し身構えたその視線の先で。
「どうして、ですか……!? シャド、ウ……」
苦悶の表情を浮かべ、少女が目を見開いた。
「――どうしてって、そりゃあさ。せっかく遊んでんのに邪魔されたら嫌じゃん?」
少女の腹部を短刀で貫いたシュナが、優しく微笑んだ。
少女の身体から短刀を引き抜くと、少女は膝をつき前のめりに倒れる。既に少女は死んでいた。
「アイツらは私の獲物だ。誰にもやりゃあしないぜ」
頬についた返り血を拭いながら破顔する女に、カルラとウィーは同じ感情を抱いていた。
情報が漏れるより何よりも。応援を呼ばれることなど既にどうでも良くて。
「そこまで落ちたんすか、シュナ」
「いくら忍と言えどもさ、仲間は殺しちゃダメだろ?」
怒りが彼らを、そして後方で一部始終を見ていた彼女を奮わせていた。