第120話 刃と影
時刻は帝国幹部会議から数日後のお昼時。
場所は帝国軍刃領。若葉色の芝生が生い茂るただっ広い訓練場のそのわきで、ハンモックに背中を預け、ダーリー・ウェンブリーは怠惰を貪っていた。
「ほらー。起きて下さいロード〜。見張りのお時間ですよ〜」
そんなダーリーをユサユサ揺さぶるのは、彼の部下足るライム・イーパーだ。
「イヤだね。俺はもう見張りなんて行かないね」
「また言ってるー。この数日でそれ言うの何回目ですか?」
ゴネるダーリーに、もう聞き飽きましたとばかりに苦笑するライム。
ここ最近、2人は毎日このやりとりを交わしている。
「だってよライム。元老長の野郎。これからも見張りの任が継続だ〜なんて。俺は聞いてないね。初耳だ」
「それはきっとロードが会議中居眠りしていて聞いてなかったんじゃないですかー?」
ライムの言う通り、ダーリーは居眠り常習犯だ。
めんどくさがりで暇さえあれば速寝する彼にとって、長ったらしい会議など苦痛でしかない。
真実を言い当てられたダーリーは「うっ」と言葉に詰まる。しかしそこで折れるダーリーではないのだ。
「……に、してもだ。こういうのは普通平等に交代ずつだろ!? ライムだってこんなめんどくせぇ見張りなんてやりたくねぇだろ?」
責任転換――からの同意を求む訴え。どれだけ見張りやりたくないんだこの人はと。ライムは空笑いで応じる。
ダーリーは空を仰いだ。見上げた太陽は相変わらず濃霧に遮られ、眩しい日差しは地上に届かない。
「あー、めんどくせぇ。もういっそ見張りサボっちまおうか」
「それも毎日言ってますよロード」
「あー、人生1回休みとかになんねぇかなー」
「ダメですよロード。そしたら制約発動しちゃって1回どころか人生ずっと休みになっちゃいますよー」
「まぁそれはそれで―――」
いいかもしれねぇなと、そう言いかけたところで、ダーリーは言葉を切った。
「なんだよダーリー。相っ変わらずダルそうな顔してんな〜」
ダーリーの視線の先に現れたのは、帝国式の軍服に身を包む薄桜色の髪をショートにした女だ。
ダーリーと同じく七帝将を務めるシュナである。
歳はダーリーよりも3つ下(ちなみにダーリーは今年で32を迎える)。
軍服の上は指先の隠れる程度に長い作りのオーダーメイド。その胸元からは、白く育ちのいい果宝が2つ並んでいる。
「してねぇよ。こりゃめんどくせぇ顔だ」
「おっと、ライム〜。お前アタシが帰ってきたときどこ行ってたんだ〜こら?」
サボってたのかぁ?と細い腕でライムの肩を抱くシュナに、ライムが苦笑を浮かべた。
「いやー、あの時はロードに『おいライム。風呂入んのめんどくせぇから俺の代わりに入ってきてくんねぇ?』って言われてお風呂に入ってまして〜」
「お前バカか。流石にそれはめんどくさがんなよダーリーてか言われて入る方も入る方でしょっ!!」
ケタケタ笑いだすシュナに、ダーリーが目を瞑ったまま問うた。
「で。何しに来たんだシュナ? 俺は昼寝があって忙しいんだ。めんどくせぇ案件ならあと1年後とかにしてくんない?」
帝国には、何か緊急の用がない限り他領への行き来は原則禁止という法律じみた暗黙の掟が存在する。
これはダーリーやシュナが七帝将に着任するずっと前。それこそ数百年前から続いているだろう掟だ。
帝国は種族国籍問わず、様々な強者を求めている。だからこそ種族同士の諍いが絶えない。
肌の色が違えばイジメが起こり、種族が違えば争いが始まる。どこの世界でもそこは変わらない。
同じ折の中に様々な猛獣を飼っている時点で仕方のない問題なのだが、戦力を増強したい帝国にとってはマイナスでしかない。せっかく集めた猛者を失うのは見過ごせなかった。
問題解決のため。帝国は七人の将軍を立てた。7人それぞれに領土を分配し、なるべく争いが起きないよう部下を振り分けて。
そんなこんなで、他領への立ち入りは暗黙の掟となった。
あとはそう、トップの者となれば、何かとプライドが高い奴が多いのだ。
剣がその最たる例だろう。
「なんだよダーリー。理由がなきゃ会いに来ちゃだめなのかよー?」
「や、別に」
まぁ細かいことを気にしないダーリーにとってはそんなルールどうでもよく、シュナもシュナで言っても聞かない性格であるが。
「あー。でも俺これから昼寝するから、用がないなら帰ってくれると助かる」
「ふーん。そりゃ残念。見張り代わったげよと思ったんだけどなー」
「お、マジ?」
ぱちっとダーリーの片目が開く。
「こないだのお返し」
「こないだの俺ナイス」
「どーする? とりま次の会議まででいい?」
「次の会議までしてくれんの? 女神かよ」
「女神だぜ? 敬え。なんだったらキスしてくれてもいいけど?」
「いやそれは流石に女神様にバチ当たりだろ」
何食わぬ顔で逃げるダーリーに、シュナはくすりと笑う。
「意気地なし。まぁ、そういうチキンなとこも大好きだよ」
イチャつく2人のやり取りを側から見ていたライムが、純粋な疑問を抱き、それをそのまま口にした。
「ロードとシャドウは付き合ってるんですか?」
「いや全部アタシがフラレてんの」
恥じる様子もなくサラっと答えるシュナに、ライムは咄嗟に声を上げてしまう。
「えぇ!? 逆ならともかく……ロードが?」
「なんだ逆ならって」
「だってシャドウめっちゃ美人さんじゃないすかロード!! 頭沸いてるんスカ?」
「おまえ時々辛辣だよなライム」
ダーリーは口もとを引きつらせた。
一方で、褒められご機嫌なシュナが脇にライムを抱え、頭をワシャワシャ掻き乱す。その毎ライムの頭が大きな弾力に押し返される。
「可愛い奴だなおまえ〜。今度お姉さんがご飯奢ってやるよ」
「ほんとですか!? 美人で気前も良くておっぱいも大っきい!! この人のどこがダメなんですかロード!?」
ダーリーがポリポリと頬を描きながら、
「ダメってわけじゃねぇんだが……付き合ったところでって話だ」
瞬間、2人の顔が大きく引きつる。
「うわぁ、聞いたライム? このヤリ男発言。こんな大人になっちゃダメだぞおまえは」
「シャドウこそ。こんな男よりいい男はいっぱいいますよ!」
和気あいあいとダーリーの悪口を言い合う2人に、流石の彼も頭に来たのだろう。
ダーリーは思わず口を滑らせてしまった。
「……誰と付き合おうが一緒さ。お前の傷は誰にも癒やせねぇし誰にも埋められやしねぇよ」
ぼそっと呟かれた台詞は、それでも十分聞き取れる大きさだった。
ライムは即座に己の上司を庇おうと頭を回すも顔を渋めた。
今の発言に対しては、ダーリーが悪い。
「ロード。それはいくらなんでもシャドウに失礼じゃないすかね……?」
シュナの顔を伺うライムの目の前で、突然彼女はダーリーの腹部に片膝を乗せた。
「おまっ……!?」
ダーリーの悲鳴と同時に、背にしたハンモックがギシリと軋む。
そのまま顔横に掌をつき、ダーリーの逃げ場を塞いだ。
「………!!」
咄嗟にライムは腰の短刀に右手を伸ばしていた。
今の発言、見方によっては馬鹿にされたと受け取ってもおかしくはない。
しかも無遠慮にシュナのプライベートに一歩踏み込んだ発言だ。
頭にきたシュナがダーリーに斬りかかることを予期したライムだったが、しかしどうやら杞憂だったようだ。
シュナは武器を手にしていないし、何より殺気が感じられなかった。
「ほんとだよ。失礼どころか的外れ。ダーリー。アンタは何もわかっちゃいない。わかった振りをしてるだけ。わかっている振りをしたいだけ」
互いの鼻と鼻とが接触しそうな距離で、シュナがダーリーの瞳を覗き込んだ。
ダーリーの漆黒の瞳と、シュナの紫紺の瞳が見つめ合う。
「傷がどうとか関係ないだろ。誰かに癒やしてもらおうとか埋めてもらおうとか。
アタシがそう思ってると、本気で言ってるわけ?」
殺気はない。しかしシュナの声音は低く、誰からの反論も許さない。
そしてシュナは、萎縮するダーリーにいっそ挑発的に笑って見せた。
お返しだと言わんばかりに。ダーリーの胸の内の深い場所に鋭利なナイフを突きつけて。
「そんなに傷つくのが怖いか?傷つかせるのが怖いか?ならアンタは一生そのままだ。
後悔したかったって、後になってから後悔してな」
最後に意地悪く微笑んだ後、シュナは立ち上がる。
「じゃ、アタシ見回りいくから。また今度ご飯誘うわライム」
そのまま出口のある方へ歩き出し、数歩進んだところでシュナの姿は空気に溶けるようにして消えた。
「………」
2人の間には、微妙な空気だけが残った。
大きく深呼吸し、ダーリーは再び空を見上げる。
「……ったく。痛いとこつきやがって。俺は後悔なんてめんどくせぇもん、なるたけ背負いたかねぇってのに」
見上げた空は変わらず鈍天が広がっていた。