第110話 黒衣の化物
カルラの情報によれば、エルザベートは"裏通り"で見かけられたらしい。
裏通りとは、一言で言えばヴェルリムの闇の部分。人身売買から薬物、売女、死体処理など表に出せないモノが一色端に詰められた違法地帯である。
噂は何度か耳にしたことはあったが、実際"裏通り"がどこにあるのかわからなかった。
それも説明されれば納得が行く。
裏通りに行くには表通りを1本外れる必要がある。上位の魔族が戯れる迷路のような路地を進んでいくと、行き場のない袋小路にぶつかる。
道がないからと引き返さず、眼前の壁を抜ければ裏通りへと入れるらしい。
恐らく悪魔の結界だろう。路地で上位の魔族が戯れているのは差し当たり自分達に都合の悪い連中を裏通りに入れないためだ。
「こっちだレンレン。あの角の先!」
カルラの背中を追いながら、俺は一人焦っていた。
少なからずエルザベートは俺はのことを憎い存在だと思っているはずだ。
アリシアのこともそうだし、魔王城での一件もそうだ。
プライドも権力も全てを失ったあの男には、もう失うモノは何もない。何をしでかすかわからないという面で、ああいう輩ほど恐ろしい者はいない。
人混みを上手くかわしながら、俺はカルラと共に裏路地へと向かう。
その途中で、他よりも一回り巨躯な魔族が俺の目を引いた。
鬼牙だろうか。群れの数が極めて少ないオーガを町中で見かけることは珍しい。
俺の知る中でオーガは魔王軍幹部の《壊獣》バルガー・ベッドだけだ。
南方に位置するオーガの里からヴェルリムへ上京してきたのだろうか。何よりオーガがフードを被っていることに驚いた。
しかし、今はどうでもいいことだ。すぐに興味を戻す。
そのオーガらしき人影を避けた直後のことだった。
微細な殺気が俺の肌を刺激した―――。
ちょうど今避けたオーガの背後。同じく黒衣のフードを被った連中の中に、紅い瞳と目があった。
「見つけた――――」
フードで顔は見えないが、奴がエルザベートであると直感がそう言っている。
即座に右足を斜めに踏み込み進路を真横に変更する。
武器は持ち合わせていない。
俺は強く拳を握った。
「エルザベート・ブラッド―――ッ!!」
サリエル戦で身につけた魔力法。1箇所に"纏う"のではなく、"流して"関節や筋肉の動きをサポートしてやることにより、攻撃力と俊敏性をもう一段階進化させる。
「なに―――ッ!?」
エルザベートの憤怒が驚愕に変わっていく。
奴の反応は遅い。避けるにせよ反撃にしてくるにせよ、俺の拳がエルザベートを捉えるのは時間の問題だった。
そのまま思い切りエルザベートの顔面に拳を叩き込もうとして、
「―――いい動きだ」
俺の拳は横から現れた巨大な手掌によって受け止められた。
断じて加減したつもりはない。
触れた感覚で分かる。
間違いない。コイツはただの鬼牙じゃない。
俺の背丈の倍程もある鬼牙を見上げ、殺意を込めて睨みつけた。
「いい動きだ、じゃねぇ。邪魔すんなよオーガ」
オーガの掌がゆっくりと俺の拳を包んでいく。
ギリギリと骨が軋み始めた。いくら身体や魔力を鍛えようが、腕力で魔人が鬼牙に勝つのは不可能だ。地力が違う。
俺は左足で地面を蹴り上げ、空中で回転を加え、右足踵で鬼牙の顔面を狙った。
「男と手を握る趣味はねぇんだ」
踵は狙い通り鬼牙の顎に直撃し、右手の力が微かに緩む。
今度は左足で鬼牙の鉄板のような胸板を足場に、俺は鬼牙から距離を取った。
鬼牙は蹴られた顎を撫でながらせせら笑う。
「クククッ。まだこの国にも美味そうな獲物がいるではないか?」
顔面を蹴った際にオーガのフードが破れ、いかにも凶暴そうな容姿が露わになる。
鋭く尖った大牙は鬼牙の証。
片目は潰れているようだが、もう片方の金色の瞳はギラギラと野生の輝きを放っている。
俺のスピードについてこれる反射神経。加えて俺の一撃が全く効いていない。
この鬼牙は強い。恐らく、俺よりも――。
奴と闘ってみたいと思うバカな自分がいる。
きっと師匠の元で鍛錬をつけたせいだ。自分よりも強い相手を見つけると、どうにも身体が疼いて仕方ない。
今の俺がどれだけ強いのか、試したくなってしまう。まるでイカれた戦闘狂だ。
そんな疼きをグッと堪え、俺はフードの集団の中に向き直った。
「おいエルザベート。隠れてねぇで出てこいよ。それともさっきのでビビっちまったか?」
「…………」
流石にこの程度の安い挑発に乗るほどエルザベートも馬鹿ではないようだ。
けれど、エルザベートはプライドだけは誰よりも高い吸血鬼である。
どれだけ幼稚な挑発だろうと、奴にとっては耐え難い屈辱に違いはない。その証拠にフードの袖から見える拳がプルプルと震えていた。
「まぁ仕方ねぇか。幹部を降ろされ家も追い出されちまった、無能で可哀想な『吸血鬼』だもんな――?」
吸血鬼に対し吸血鬼という発言は最大限の侮辱であるということを俺は知っている。追加でエルザベートの嫌がりそうな『無能』や『可哀想』といった単語で煽っていく。
案の定、エルザベートは怒りを抑えきれなかった。
「貴様は私に殺されたいらしいな。あまり調子に乗るな劣等種。貴様のせいで、貴様のせいで私はッ!!」
「――てめぇの諸事情なんてこっちはどうでもいいんだよ。それよりおまえ、リヴィアをどこへやった」
明らかにエルザベートの表情が変わった。
わざとらしくエルザベートは額に手を当て考えるフリをしてみせた。
「ああ……リヴィアというのは、コレのことか?」
エルザベートの合図に合わせ、奴の後ろに控えていたフードの一人が両手でナニカを持ってきた。
ソレは包帯に巻かれた終焉の剣の姿だった。