第10話 空の皿
「ふあぁぁ・・・・・・!」
窓のカーテンの隙間から差し込む朝日に照らされ目が覚めた。盛大なあくびと一緒に身体を伸ばし、眠気を覚ます。
部屋に時計はないが、時刻は朝の7時から8時の間くらいだろう。日々の生活習慣により、だいたいの起床時刻が決まっているからだ。
俺は比較的朝が弱い方である。というより、目を覚ましてから二度寝をするまでの微睡みの時間が好きなのだ。
普段ならこのまま二度寝に入るところだが、残念ながら今日はできそうにない。
昨日の事件を思い起こし、二度寝をしたい気持ちをぐっと抑え、目を擦すった。
ベッドから出たくないと甘える肉体に鞭打ち、やっとの思いで起き上がる。まだいくらか頭がボッーとするが、そのままの足で部屋を出た。
階段を降りると、玄関でそわそわしているフィーナを見つけた。
どうやら彼女も俺に気づいたようで。
「――あ。おはようございます、兄さん」
「おはよ、フィーナ」
軽くフィーナに笑いかけた後で、俺はあることを思いだした。
「・・・・・・もしかして、今日って買い出しの日だったか?」
「違いますよ、買い出しは明後日です」
「そ、そうだよな……」
さっきまで買い出しのことなど完全に忘れていたのだ。そんな奴が買い出しに行く日を覚えいるはずもなく、俺はホッと胸を撫で下ろした。
「珍しいですね。あの兄さんがこんな時間に起きてくるなんて」
「まぁ、今日は色々と忙しくなりそうだからな」
なにせ掟破りだ。しかも、掟の中で1番重いやつ。あの王様のことだ、今すぐにでも魔族の大軍を率いて白の王国に攻め行ることになってもおかしくはない。
「今日もハントに行くのか?」
「その予定なんですけど……」
フィーナは口を尖らせながら、壁に寄りかかった。フィーナの消え入りそうな語尾から察するに。
「なるほど。時間になっても、昨日のアイツらがまだ来ないと」
フィーナはコクンと頷いた。昨日のアイツらと言うのは、あの蛇牛犬の中位魔族共だ。
「道にでも迷ってるんですかね?」
「いや、流石にそれはねぇだろ……」
フィーナの本気か冗談かわからないボケを軽くスルーし、俺はダイニングへの扉を開けた。
すると、よく焼けたパンの香ばしい匂いが部屋の中から漂ってきて、空腹の俺を刺激する。
ダイニングでは黒髪の少女が美味しそうにパンを食べていた。
「なぁ。それ、俺の分じゃねぇの?」
俺はリヴィアの前にある、空っぽになった2つの皿をみつめて言った。
「ん。おはよう、レン」
そう言い、まるで何もなかったかのようにリヴィアは食事を再開する。
「おはようじゃなくて、それ、俺の分のパンだよな?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
少し間があき、口の中にあるパンを飲みこんだ後、リヴィアは堂々と言い放った。
「違うぞ、これは私のパンだ」
俺はもう1つの皿を指差しながら。
「じゃあ、そっちの皿にあった分はどうした?」
そこにパンがあった証拠に、皿の上にはパンくずが散乱していた。
だが、リヴィアはその皿には一切目をくれず、至極当然のように答えた。
「私が食べた」
なんて自信なんだろうか。凄すぎて立ちくらみがしてくるレベルだ。
正直で大変よろしいが「これはフィーナの分だ」とか、そんな言い訳を聞きたかった自分がいる。
「なら、それは俺のだろ?」
「そうなのか?」
「そうなのか、じゃねぇよ。普通に考えて皿が2つあるんだから1つは俺の分だろ」
「そうだったのか。それはすまないことをしたな」
そう言いながら、リヴィアは俺の分のパンを頬張る。
「食うのかよ……」
まぁ、あまり朝食を取らない俺にとっては、朝飯など食べても食べなくてもさほど問題はないのだが・・・・・・。
俺はリヴィアの真向かいの席に座り、彼女の食いっぷりをしばし眺めていた。
「それで、今日はどうするんだ?」
リヴィアがパンを食べながら聞いてきた。
「どうするもこうするも、昨日あんなことがあったんだ。きっと黒の王が何かしら動く。
とりあえずは、町の様子を探りながらアリシアのところにでも行ってみようかと思ってる」
「アリシア・・・・・・あぁ、あの吸血鬼のことか」
リヴィアは浮かない顔でパンを一口口に含み、少し考え込んでから飲みこんだ。
「私は反対だな」
「なんでだよ?」
理由を問うと、リヴィアは横に視線を流し、吐き捨てるようにして言った。
「――吸血鬼は嫌いだ」
きっと、リヴィアは2年前のことを思い出しているのだろう。
「そうか? 俺はそんなに嫌いじゃねぇけどな」
「・・・・・・忘れたのか?」
パンを食べるリヴィアの手が止まった。
いつになく本気だ。本気の殺意だ。今のリヴィアに力はないが、ここでふざければ首が飛ぶ、それくらいの意志が伝わってくる。
「いいや」
俺は正直に首をふった。
忘れられるはずなどない。夢にまで出てきたのだから。
あの汚らしい顔を思い出すだけで吐き気が込上げてくる。聞いただけで頭痛がしてくる声に、楽しげに哂う口。そして。まるで玩具を見るかのような、あの眼――。
「なら……!」
これだけ怒りを露わにしているリヴィアを見るのは何年ぶりだろうか。
答えはすぐにでた。きっとそれは2年ぶりなのだろう、と。
「俺が嫌いなのはあの男だけだ。だから吸血鬼が嫌いなわけじゃない」
「・・・・・・」
「アイツみたいに、吸血鬼の中にはクソみたいな野郎もいる。
――が、全員が全員クソなわけじゃないだろ?」
「そんなことは……」
「少なくとも、アリシアは違う」
「なぜそう言い切れる?」
なぜ、か。理由を上げれば多々ある。礼儀正しい、とか。可愛いから敵だと思いたくない、とかとか。
だが、これといった理由は見つからなかった。
「なんとなく、じゃだめか?」
「・・・・・・」
リヴィアの視線が再度横に流れた。少し間が開き――。
「ダメだな。ダメダメだ」
緊張の糸が切れたように、彼女はふっと笑みを溢した。
先程までの殺気が嘘のように消え去り、今の出来事が夢の続きのような、そんな気がしてくる。
リヴィアは残りのパンを一口に食べ終え椅子から立ち上がると、ドアの方へと歩きだした。
「行かないのか?」
不思議そうな顔で見つめてくるリヴィアに、俺は本当に夢でも見ていたんじゃないのかという錯覚に陥る。
「早くしろ。私の気が変わらないうちにな」
もう、そこにいるのはいつも通りの黒髪の少女だった。
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ダイニングから出ると、玄関にはフィーナの姿があった。
「まだ、来ないのか?」
「――はい」
「よくもまぁ、時計の見方も分からない能無し共とパーティーを組もうと思ったものだな」
リヴィアの辛辣な言葉に、フィーナは少し肩を落としシュンとした。
「も、もしかしたら、何か事件に巻き込まれてるかもしれないじゃないですか……」
「ほう。そんな頻繁に事件に巻き込まれるとは、あいつらはどこかの名探偵か何かか?」
「いや。3人とも身体は大人、頭脳は子ども。どっかの名探偵とは真逆だろ」
咄嗟にツッコミを入れてしまったが、リヴィアの意見には俺も思うところがある。
あいつらは夜遊びでもしているのか、かなりの頻度でフィーナとの時間に遅れてくるらしく、昨日みたいなケースは稀で、普段通りならばあの時間に起きてもフィーナは時間に間にあっていたらしい。
らしいらしいと続けているのは、それを俺が直接見たわけではないからだ。なにせ、俺はその時間帯は二度寝の真っ最中だからな。なので、リヴィア曰く、とつけておこう。
「もしかしたら、今日はハントに行かないんじゃないか? ほら、昨日言ったろ? 白の王国が不殺の誓いを破って吸血鬼種を殺したって」
昨日の夕飯、その件に関してはフィーナに話済みだ。
だが、フィーナは笑いながら首を振った。
「そうかもしれないですね。でも、ハントが中止って連絡が来てないし、もう少し待ってみますよ!」
それが、わざと明るく振る舞っていると分からない俺ではない。きっと、俺に心配をかけたくはないのだろう。
「――そうか。分かった。なら、気をつけて行ってこい。俺とリヴィアはこれから昨日話したアリシアっていう吸血鬼のところに行ってくる」
「兄さんこそ気をつけて下さいね」
「ああ」
俺はポンポンとフィーナの頭を撫でる。フィーナは嬉しそうに笑うが、いつもより元気がない。
「あの3人が来なかったら、ちゃんと家で休んでろよ?」
「はーい」
――本当は、来たとしても家で休んでて欲しいけどな。
「じゃあ、行ってくる」
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃい。兄さん、リヴィー」
少し心配は残るが、俺とリヴィアは家をあとにした。