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剣に封印されし女神と終を告げる勇者の物語  作者: 星時 雨黒
第2章 復活の帝国
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第108話 それでもお前だけはわかってくれると思ってた

 そこは曖昧な世界だった。


 暗い部屋。軋むベッド。乱れる金髪。潤む紅瞳。


 まるで視界に(もや)がかかったように意識が遠い。

 俺の身体の主導権は俺にはなく、全身の感覚は麻痺し、俺の意志とは別に身体が動く。


『ヴィレンくん……だめだよ。そこは―――あ……んっ………』


 なぜ俺はアリシアを抱いているのか―――という疑問はなかった。

 あまりにも如何わしいこの状況を、すんなり脳が受け入れている。むしろ俺自身が望んでいる。

 この世界の主役は俺とアリシアだ。

 だったらそれでいいじゃないか。何も迷うことはない。

 

 首筋に唇を掠めると、くすぐったそうにアリシアが悶える。

 そのまま舌で鎖骨をなぞっていき、そして――。

 涙目に頬を赤らめるアリシアが、ぼそりと呟いた。



『わたし。こんなはずじゃ……、なかったのにな――』



 

「ちがっ!! アリシ――…………あ」


 声と同時に伸ばした右手は、空気を掴んでいた。

 ぼーっと虚しさだけが残る右手を眺め、閉開する。決してアリシアの胸の感触を確かめているわけではない。

 徐々に頭に血が周り始め、思考する力が回復していく。

 そしてようやく今の状態、状況を認識し、


「なんつう夢をみてんだ俺は……」


 俺は静かに頭を抱えた。


「厭らしい夢じゃないのか?」


「だからだろ。ほんと夢で良かっ………」言葉が途切れる。

 血の気が引く思いでゆっくり振り返ると、枕元に腰かけ、こちらを見据えるリヴィアがそこにはいた。


「リヴィ、ア……」


 いつの間に擬人化したのか。いつからそこにいたのか。

 俺は崩れた微笑と共に彼女の名を呼んだ。

 返ってきたのは軽蔑の眼差しと「このドスケベ」という罵倒の言葉だった。


「ち、違う。誤解するなよリヴィア」


「ほぅ? どこがどう違うのか言ってみろ」


 クスリと笑うリヴィアの、疑いの眼差しが向けられる。


「その……おまえが思ってるような"変な夢"じゃなくてだな……」


 しかし寝起きの悪い頭では言い訳が思い浮かばない。

 そんな俺を横目に、リヴィアが1つため息をもらす。


「まぁ、いいさ。夢だろうと何だろうと、おまえがアリシアと何をしようがわたしには関係ないことだからな」


 それはおよそ、リヴィアには似つかわしくない発言だった。


「……リヴィア?」


 俺のことを小馬鹿にし、からかってくる彼女はどこへいったのだろう。


「忘れたのか? 私とおまえはただの剣と所有者の契約関係に過ぎないと。おまえが言ったんだ」


 昨日の冗談を蒸し返すリヴィア。やはり何かが変だ。


「あれはお前が俺とアリシアを奴隷関係だの言ったからだろ? まさかおまえ、んなこと気にしてたのか?」


「いや。ただお前の言うとおりだと思っただけさ。私はかつて神であり、今や一振りの剣に過ぎない」


「だからあれは冗談だって………」


 そこで俺は察した。リヴィアが拗ねる理由。深く考える必要はない。


「俺とアリシアのこと、誰かから聞いたのか?」


 昨日の俺とアリシアの会話を聞かずとも、早朝アリシアやフィーナから耳にした可能性もある。

 予想通り、リヴィアは頷いた。


「下でフィーナとアリシアが話ているのを耳にしてな」


 素っ気ないようリヴィアは振る舞っているが、少なからず動揺していることが動作の端々から見て取れる。

 そりゃそうだ。あまりにもいきなりすぎた。リヴィアやフィーナと相談する時間も作れず、勝手に決めてしまい、彼女達には悪いと思っている。


「なぁリヴィア。俺がアリシアと結婚すること、怒ってんのか?」


「怒る? 私がか? 笑わせるなよレン。どうしてわたしが怒る必要がある? めでたいことじゃないか。最下位の魔人が吸血鬼を嫁にするとは。いやはや己の身の丈を知らぬ見分不相応、わたしは嫌いではない」


 言葉を区切り、リヴィアはこちらを試すようにして笑った。


「それともなにか。おまえは私に怒って欲しかったのか?」


 んなわけねぇだろ―――、普段通りの俺なら迷わずそう応えただろう。しかし今の俺はいつもの俺ではない。アリシアとの婚約のことで頭がいっぱいで、だから俺は、思わず口を滑らせてしまった。

 

「………俺はおまえに、怒って欲しかったんだと、そう思う」



 顔を上げ、そこで俺は、自らの失言に気づいた。

 きっと俺は、心のどこかでリヴィアは強い女の子なのだと、そう思っていたんだ。

 だから俺はリヴィアにまた甘えようとした。強く気高く優しいリヴィアなら、俺の気持ちをわかってくれると、そう思った。



 乾いた音が、部屋に響く。



 咄嗟に頬を抑えようとする俺の胸元を掴み、リヴィアは強引に引き寄せる。

 その顔を俺は生涯忘れない。いや、忘れられない。

 今にも泣き出しそうな顔で、こちらを睨みつけてくるリヴィアのことを。


「ふざけるな……だったら結婚などするなバカ者っ!!」


 リヴィアは確かに怒っていた。しかしそれ以上に彼女は傷ついていた。プライドの塊のような女が泣きだすくらい、深く傷ついていた。


「――――ッ」


 歯を食いしばり、最後に俺を一睨みし、リヴィアは部屋を出ていった。

 俺はここでリヴィアの背中を追いかけるべきなのだ。でないと手遅れになる。でも、今の俺にはリヴィアを追いかける資格がなかった。



「兄さんは起きましたかリヴィー……って、ちょっとどこ行くんですか? リヴィー、リヴィー!?」


 1階からフィーナの声が聞こえ、それから玄関の扉が開閉する音がした。

 

「やっぱり怒ってるじゃねぇか……バカ野郎」


 それから再度ベッドに身体を預け、


「いや。一番のバカ野郎は………俺だ……」


 口の中で、ぼそっと呟いた。





 憂鬱な気持ちで部屋を出る。

 本音をいえば、このままずっとベッドに横になり、現実から逃げ続けたかった。

 しかし、リヴィアの見せたあの表情がどうにも忘れられない。

 とても二度寝できる状態じゃなかった。


 重い足を引きずるように、階段を一歩一歩降りていく。


 ダイニングへと続くドアを開ける―――前に呼吸を整え表情を作る。今にも死んでしまいそうな顔じゃなく、たんに眠そうな表情をつくる。

 そして俺はダイニングのドアを開いた。


 トーストの焼ける香ばしい匂いと、重く気まずい空気が室内に充満していた。

 エプロン姿のフィーナが心配そうにたずねてくる。


「兄さん………リヴィーと何かあったんですか?」


「ん……まぁ、少し喧嘩っぽくなっちまっただけだ。いつものことだろ?」


 そう言ってはぐらかす。しょうもない嘘だと自分でもわかっている。


「……いつものことじゃないです。リヴィーが何も言わずに家を出ていったことなんて、今まで一度もないじゃないですか………!?」


 ほら、言わんこっちゃない。バレバレだ。


「婚約の件。アリシアさんから聞きました」


 同じくエプロン姿のアリシアを見る。彼女もまたフィーナの隣で不安げな表情を浮かべている。

 昨日見た夢が頭のすみに散らつき、俺の中に罪悪感が芽生える。

 こんな状況でまったく、俺は本当にどうしようもない奴だ。


「こうなることは、なんとなく、予想はできていました。本音をいうと、アリシアさんにちょっぴり嫉妬したりもしています」


「けれど」と。情愛の瞳が優しく俺に向けられる。


「私の大好きな兄さんが決めたことですから。ちゃんと応援しますし、後押しもします」


「ですが」と。誠実な瞳が真っ直ぐ俺を向く。


「アリシアさんと向き合ったように、兄さんはリヴィーともまた向き合うべきだと私は思います」


「向き合うっつっても………今はリヴィアに合わせる顔がねぇんだ」


 そう。俺には、リヴィアを追う資格はない。アリシアを選んだ俺には………


「それでも、です。……いえ、だからこそ兄さんはリヴィーを追いかけるべきなんです。

 兄さんがリヴィーをどう思っているか。どうしたいと思っているのか。

 たとえリヴィーとの関係が悪化するとしても、それでも兄さんは本心を伝えるべきだと思います」


 フィーナに続くようにして、


「行ってあげて。ヴィレンくん」


 アリシアも微笑んだ。


「俺は……」


 二人に背中を押されながらも、意気地のない俺は言い訳を探す。


「ヴィレンくんはリヴィアちゃんを裏切ってない」


 しかし、アリシアが俺の逃げ道を塞いだ。


「言ったよね? わたしは2番目でもいいからって」



 それ以上の言葉は、必要なかった。

『アリシア。俺には、…………俺には好きな女がいる』

 昨晩、俺がアリシアに放った言葉だった。

 

 結婚した男に、他の女を追いかけさせるアリシアはどんな気持ちなのだろう。

 少なくともいい気分ではないはずだ。

 それなのに……アリシアは俺のためを思って言ってくれている。


「アリシア、ごめん」


 俺はアリシアに謝罪を口にし、


「ありがとう」


 感謝の言葉と共にダイニングを飛び出した。

 もう、俺に迷いはなかった。

 己に嘘をつくのは辞めよう。

 ちっぽけなプライドを捨てることに決めた。





「私が言うのもなんですが、これでよかったんですか?」


 フィーナの質問に対し、アリシアは一切の迷いなく笑った。


「うん。だってわたしはヴィレンくんには笑ってて欲しいって、そう思うから」

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