第106話 突き付けられた現実
御三家とは―――その名の通り吸血鬼種の中でもトップの実力、権力を合わせ持つエリート家だ。
フォード。ブラッド。そしてツェペシュ。
中でも有名なのは、先代ブラッド家の当主にして元魔王軍幹部ウラド・ブラッドだ。
彼の二つ名は『赤服』。普段着用している白服が、敵の返り血により真っ赤に染まることからそう呼ばれていた。
2年前の大戦でも彼は吸血鬼として、魔王軍幹部として、堂々たる戦果を見せた。
しかしもう一人、吸血鬼の中にはそのウラドと同等の実力を持つ者が存在した。
それがアルキュラ・ツェペシュである。
金の長髪を後ろに流し、垂れる前髪の隙間から深紅の瞳がこちらを覗く。
「お、お父様……。ただいま帰りました」
紅い液体の入ったグラスを片手に、アルキュラは言う。
「よく来てくれたヴィレンくん。そしてよく無事で戻ってきたアリシア」
「お久しぶりです、アルキュラ公」
「おや? 君とは初対面のはずだが。どこかで顔を合わせたことがあったかい?」
「いえ、2年前の大戦の日に見かけただけで。なにせ『残虐公』の通り名は有名だ」
そう『残虐公』。物騒極まりないその名が、アルキュラ・ツェペシュの二つ名だ。
法を犯すことを嫌い。家名を汚すことを嫌い。そしてプライドのない魔族を何より嫌う。
噂によれば実の息子をも手にかけたとかなんとか。その凄惨たる惨状、無慈悲さ故の『残虐公』、と――。
心を持たない吸血鬼。それがアルキュラ・ツェペシュである。
しかし、穏やかなその表情からは、噂に聞く『残虐公』を全く連想できない。
隣で肩を震わせるアリシアがいなければ、俺は気を抜いていたと思う。
「そうか。では改めて自己紹介といこうか。私の名はアルキュラ・ツェペシュ。ツェペシュ家当代当主であり、そこにいるアリシアの父である」
「ご丁寧にどうも。俺はヴィレン。破壊神リヴィアと契約関係にある、当代の永久の勇者です」
アルキュラは満足気に微笑んだ後、対面に設置してあるソファーを右手で指した。
「旅の疲れもあるだろう、かけたまえ」
言われるがままに、俺とアリシアはソファーに腰を下ろす。
「さて、何から話そうか……」
組んだ指を組み換えながらアルキュラは思考する。
その言葉から、なんとなく長話になりそうな予感がした。
俺の経験から、貴族という連中は皆世間話が好きだ。それが礼儀なのかもしれないが、長ったらしい与太話を聞くのは退屈に尽きる。
それに――、俺はアリシアを横目でみる。
できるだけ早く、ここから出たほうがいい。
「すまないがアルキュラ公。俺は今晩のパーティーまでには家に帰りたい。なるべく完結に。できるなら本題から入ってくれるとありがたいのですが」
「………そうか。では本題から入ろう。婚約の話だ、ヴィレンくん」
やっぱりそれか。なんとなく察しはついていた。と言うか、それしか考えられなかったのだが。
魔人種の血を飲むとは何事だ、などと憤怒したアルキュラが剣を投げてきても対応できるよう少し身構える。
だが。俺の不安は杞憂に終わる。
「この通り我が家は娘が一人しかいない。籍はこちらに入ってもらえると助かる。それに式を上げるなら早いに越したことはないだろう。今週中にでも早速………」
「―――いやいや待ってくれ」
反対どころの話じゃない。大賛成というか最早後押しまで始めるアルキュラを一旦制止させる。
「何かね? ああ。金銭の問題なら安心していい。式場代やドレス代など全ての代金はツェペシュの方で………」
「だから話が飛躍しすぎだ!?」
するとアルキュラは俺の隣にいるアリシアに横目を送った。
「まさか……娘から婚約の話は聞いているはずだが?」
「聞いたっちゃ聞きましたが、いやまさか本気だとは思わず……」
「本気だとは思わず―――?」
アルキュラはハハと乾いた笑みを浮かべる。
「何を言っているのかね? 子作りとは言わずとも、接吻はもうしただろう?」
アルキュラの声のトーンが微かに落ちていることに俺は気づいた。
何か嫌な予感がした。
「…………」
どうすればアルキュラの機嫌を損なわずに話を流せるか。何も思い浮かばなかった。
「ふむ。なるほど。まだ何もしていないのか」
俺とアリシアの反応を受け、アルキュラは1つ頷いた。
そして―――
「―――失望したよ。アリシア」
「くッ――――!!」
一瞬だった。机を足蹴に、アルキュラの逆手がアリシアに飛ぶ。
「………速いな。それにいい反応だ。だが、邪魔をしないでくれたまえ」
アリシアの頬に接触する寸前で、俺は右手でアルキュラの手首を掴んだ。同時にソファーに立てかけておいた剣の柄に左手をかける。
また、俺とアルキュラと同じく執事のセバスも動いていた。
俺の後ろ首3cmに手刀を構え牽制する。
リヴィアを抜けば、セバスは躊躇わず俺の首を刎ねるだろう。たとえ魔力で首を覆ったとしても、一般の奴らの攻撃ならまだしも、最上位の魔族の一撃を防げはしない。
しかし、今の俺にとって牽制などどうでも良かった。
右手に伝わるアルキュラの攻撃が、俺の頭に血を登らせる。
「おいアンタ……」
アルキュラの攻撃に、躊躇や手加減などといった情は一切なかった。
直撃すれば赤く腫れ爛れるどころか骨まで砕けてもおかしくない威力。
「自分の娘だぞ……?」
「そうだとも。私の娘だからだ」
さも当然のように、女子供に手を上げることになんの躊躇いもないこの男が許せなかった。
先の攻撃、アリシアにも反応できたはずだ。避けることはできずとも、防ぐなりなんなり行動できたはずだ。
それなのにアリシアは強く眼を瞑った。怯えていた。震えていた。
「ふざけんじゃねぇ……」
つまりそれは、日常的に暴力を受けていたせいか。あるいは幼い頃のトラウマか。アリシアの心の芯には『恐怖』が刻まれている。
どちらにせよ父親だからといって許されることじゃない。むしろ父親だからこそ守ってやらなきゃなんねぇんだろ。
「ふざけんなよ、てめぇ。それでもアリシアの父親か!?」
セバスの手刀が首筋に近づけられる。
「ヴィレン様。どうか落ち着いてください。その剣を抜けば、私はあなた様の首を落とさなくてはなりません」
抜刀するのを必死で堪えながら、アルキュラの顔からは一瞬たりとも眼を離さない。
右手の力を緩めず、アルキュラもまた俺の顔を見下ろす。
「ふざけてなどはいないさ。私はいたって真面目だ。これは我が家の――吸血鬼の問題。余所者の君が割って入ることではない」
「少なくとも俺とアリシアは余所者同士ってわけじゃあねぇんだ。
仲間が殴られる様を黙って見てるわけにゃいかねぇんだよ」
「仲間、か。安い関係だな」
「てめぇッ!!」
我慢の限界だった。
激情に任せその綺麗な面を俺は――――
「―――だめっ!!」
剣を抜きかけた俺を止めたのは、アリシアの悲痛な叫びだった。
「アリシア……」
アリシアは小さく首を振り、そしてまた弱々しく笑った。
「いいの、ヴィレンくん。お父様の言う通りだから。だから、その手を……」
「―――離すわけねぇだろ。ほっとけるわけねぇだろ? そんな辛そうな顔するお前を!!」
そう言って今度こそ剣を抜こうとするが、しかし俺の剣がアルキュラを両断することも、また俺の首がセバスの手刀によって断頭されることもなかった。
なぜならアルキュラの右腕から力が抜けたからだ。
「セバス。手刀を降ろせ」
命じられたセバスが、首の皮一枚のところで止まっている手刀を降ろす。
「ヴィレンくん。君は私が何について憤怒しているのか、分かっているかね?」
「何ってそんなこと……、」
……。…………。
頭に登った血が急速に冷めていくのを感じた。
「娘が魔人種の血を飲んだ行為に対してだと思うかね?」
違う。答えはノーだ。アルキュラは一度も血契の話題を出していない。
「ならば娘と君の婚約について。由緒正しき吸血鬼の血筋に低位の魔族の血が混じってしまうことに対してかね?」
それも違う。アルキュラは俺とアリシアの婚約に反対どころか、むしろ応援していた。
だからこそ。ならばどうして―――
「どうして私が娘に手を上げるのか、と。そう聞きたい顔をしている」
心を読まれたことに、少なからず俺は動揺した。
圧迫され赤くなった右腕を閉開し感覚を確かめながら、アルキュラは言った。
「なに単純なことだよ。しかし単純が故に難解だ。
私が憤っているのは、君とアリシアとの関係が全く進展していないことについてだ」
アルキュラの言葉の意味を脳で考え、理解するのに数秒を要した。
「……その言い方だと、早く孫の顔が見たいって聞こえるぜアルキュラ公」
「その通りだ……と言いたいところだが。実のところ私にとって重要な点はそこではない」
そう言い、絨毯に転がったグラスをアルキュラは拾い上げる。
「………一月だ」
グラスを眺めながら、虚ろな目でアルキュラは続ける。
「一月という時間がありながら。更にいえばその一月、寝食を共にしていたにも関わらず、
何故、オトせていないのか」
アルキュラの発言に、アリシアが顔を俯かせた。
「我ら吸血鬼は他者の血を吸わねば生きていけぬ種族よ。
女性に関して言えば、初めて口にした男性の血しか飲めなくなってしまう。
これは大きな欠点だ。厄介な制約だ。
それこそ後の人生を左右すると言っても過言ではない分岐点。
男性の血を啜って生きる吸血鬼の女性には2種類しかいない。
婚約し男と一生を共にするか。それとも奴隷となり男に一生を捧げるか、のな」
アルキュラの紅い瞳が俺を捉え、それから窓の外へと向けられた。
「しかし。ツェペシュの名を背負っている以上、奴隷になるという選択肢はない……そう幼き頃より言い聞かせてきた。相手が何者であれ、どんな手段を使ってでもオトせとな。
これ以上無様に生き恥を晒すようであれば、今この場でその首を落とそう。
吸血鬼として。お前の父として。それがせめてもの情けだアリシア」
再びアリシアへと向き直るアルキュラからは、確かな殺意を感じた。
反射的に左手を横に出しアリシアを守ろうとする俺を見て、アルキュラは諭すように言った。
「感情で動くのは愚者のする行動だ。
取る気もない責任。手を出すということは即ち、娘の婚約者になるということ。
その覚悟が、君にはあるのかね?」
取る気もない責任か。好き放題言いやがって。
ここで俺は声を上げなければいけなかった。
しかし俺には、アルキュラの言うところの"覚悟"があまりに足らなすぎた。
「君は吸血鬼の何を知っている?
君は吸血鬼という種族を何もわかってなどいない」
アルキュラの言うとおり俺は吸血鬼をよく知らない。アリシアが隣にいたのに、知ろうともしなかった。
「アリシアは君に言わなかったかね? 血契のことを言わなかったのかね? 婚約のことを言わなかったかね?」
言われたさ。忘れもしねぇ。それこそ一番最初に『キミに迷惑をかけちゃうから……』言われたさ。
「それに対し君はなんと答えた? 曖昧に受け流しただけだろう?」
そうだ。冗談だと受け流した。アリシアが本気で言っているとも知らずに、俺は彼女の言葉と向かい合おうともしなかった。
「そんな君に口を挟む権利はない。君の優しさでは、アリシアを救うことはできない」
うるせぇ。黙れ。んなの知ったことか。喉から溢れそうになる言葉をグッと堪える。
自分自身が惨めになるだけだ。
何より俺の無責任な発言で、これ以上アリシアを傷つけたくはなかった。
アリシアにこんな顔をさせていたのが誰なのか、ようやく今俺は理解した。