第104話 執事
―――破壊神は語る。
「死にたくないのならば戦え。戦いたくないのならば強くなれ」
俺は生き残るために強くなるしかなかった。フィーナを守るために強くなければならなかった。
「強くなければ生き残れない世界なら、そうする以外に選択肢は残されていない」
強者が理不尽に弱者をいたぶる世界を生き残るには、自らが強者になるしか道は残されていない。
目を伏せるアリシアに「しかしだ、アリシア」リヴィアは続けた。
「この世界には良くも悪くも様々な『力』が溢れている。
つまりそれは金だったり、種族間の掟だったり、人の感情だったりと、腕っ節だけではどうしようもない見えない『力』が存在する。
時には暴力では解決できない問題もあるだろう。
自分一人の力ではどうしようもない問題もでてくるだろう。
そんな状況に陥ったとき、おまえはどうする? 自らの運命を受け入れるのか? それとも運命に抗い立ち向かうのか?」
運命に抗い立ち向かうには勇気がいるし覚悟が必要だ。口先だけではどうとでも取り繕える。
逆に自らの運命を受け入れるのは悪いことかと聞かれりゃ、一概に間違っているとは言えない。時と場合により運命を受け入れなくちゃいけない状況だってあるからだ。
「わたしは……」
リヴィアの視線を感じ、俺は軽くため息をもらした。
初めからこの2択に正解など存在しない。リヴィアは2つの選択肢を上げただけであって、この2つから正解を選べとは言っていない。
まったく。試すにしても意地が悪い……。
この問、唯一の不正解があるとするならば、それは"自らの運命を諦め"全てを受け入れること、か―――。
俺は口ごもるアリシアの頭に手をのせた。
「仲間を頼るっつー選択肢が抜けてるぜ? リヴィア」
そう。つまりはそういうことだ。
リヴィアが言いたかったことは、どうもできねぇなら仲間を頼ればかたれ、だ。
「そもそも自分一人じゃどうしようもねぇ問題なんだ。一人じゃどうもできねぇだろうが」
ふんっと満足気に鼻を鳴らすリヴィア。多少言葉はキツイが、リヴィアもとっくにアリシアを認めている。
「帰りたくねぇならここにいればいいさ。俺もリヴィアも、それにフィーナだって……俺達はおまえの味方だアリシア」
「味方……?」
「味方っつーより………」一呼吸開け「『仲間』って言ったほうがしっくりくるか?」
アリシアはきょとんとした顔で俺の言葉を復唱した。
改めて俺は何だか気恥ずかしくなり、気を紛らわすためにポリポリと頬を掻く。
そんな俺の様子を察したリヴィアが、
「仲間というより、おまえ達は奴隷と飼い主の主従関係だろう?」
面白がってからかってくる。
「……そうかそうか。それを引っ張ってくるなら、俺とおまえとの関係も剣と持ち主の契約関係になるわけだな」
「待てレン。なぜそうなる? たしかに初めは契約を交しただけの間柄だったわけだが………」
「あーあ。俺は悲しいよリヴィア。俺はおまえを家族の一員みたいに思ってたが、なんだそう思ってたのは俺だけか」
「ああ、それはおまえだけだ」
「そうかそうか俺だけか…………ん?」
「私も悲しいよレン。毎日同じ屋根の下同じベッドの中で夜を過ごしているというのに……」
「待てリヴィア。どうしてそうなる?」
俺とリヴィアがそんなどうでもいい会話を続けていると、突然アリシアがふふっと声を上げた。
その声に、俺とリヴィアはアリシアの方に顔を向ける。
見ると、アリシアは頬を緩ませ目尻に涙を浮かばせ笑っていた。
俺はリヴィアに視線を送る。するとリヴィアもまた、俺の方を見ていて。視線が合い、二人同時に口元を緩ませた。
俺達がひとしきり笑いあった後で、アリシアは目尻の涙をそっと拭った。
「ありがとね。ヴィレンくん。リヴィアちゃん」
そう言ってアリシアは再び笑う。
その笑顔がどうしようもなく尊くて、それでいてどこか寂しそうな……そんな顔をしていた。
その理由を問いただすような真似はしない。
代わりに俺は、声のトーンを下げ玄関の扉の方を見据え言った。
「まぁどのみち俺達が帰ってきたっつう噂が広まれば、嫌でも顔を合わせなくちゃならないだろうがな」
「ああ。そうだな……」
リヴィアとアリシアもソレに気づいているようだった。
ゆっくりとここに近づいてくる、複数の気配。
ガチャリ。音をたてドアノブが回る。
隣でアリシアが緊張しているのがわかった。
ゆっくりと玄関の扉が開き、そして―――。
銀髪が揺れた。
「ただいま帰りました〜」「帰りまった〜」
扉から顔を出したのは、フィーナと箱で両手が塞がっている荷物持ちのカルラだった。
アリシアはほっとしたようで、表情が微かに緩む。
フィーナとカルラは無事仲直りしたようで、二人の間に距離は感じられなかった。いや別に二人のことを心配しているわけじゃないんだが。
フィーナは玄関にいる俺達を見て、少し驚いたような表情を浮かべた。
「兄さんたちも帰ってきたばかりですか?」
「ああ。報告が少し長引いちまってな」
カルラと目が合う。
ああ、大丈夫。わかってる。
「そうだったんですか………」
それから、フィーナの視線が俺の隣にいるアリシアを捉えた。
申し訳なさそうに、フィーナの視線が泳ぐ。
「それから………アリシアさんにお客様が――」
カルラが横にズレると、玄関の外、カルラとその荷物に隠れて見えなかったが、白髪の老人の姿がそこにはあった。
真夏にスーツ。しかもネクタイ着用。見ているこっちが暑苦しくなる服装だが、しかし老人は額に汗一つかいていない。
「無事で何よりにございます。アリシアお嬢様」
そう言い、老人は丁寧に腰を折る。
「セバス………」
アリシアが老人の名前を口にした。
それだけで、だいたいの状況は呑み込める。
この老人―――セバスはアリシアを連れ戻しにきた"ツェペシュ家"の執事なのだということ。
ということは、この老人もまた吸血鬼種。
買い出しの途中フィーナかカルラのどちらかが老人に捕まったのだろう。と、どっちが見つかったとか、そんなことはどうでもいい。
カルラは頭のキレる奴だ。すぐさま状況を理解し、その場での最適解を選択した。
後々のことを考えれば、カルラの取った行動は正しい。
話をはぐらかし目をつけられては、フィーナにも危険が及ぶからだ。
顔を上げた老人の眼が俺を捉える。
「おや。もしやそこいる貴方が、噂に名高き永久の勇者様でいらっしゃいますか?」
あたかも初対面であることを見せる問いかけ。現に俺はセバスと顔を合わせた記憶はない。
しかし。セバスは俺のことを一方的に知り得ている。断言できる。
何故なら、その笑顔の裏に潜ませた殺気が俺に対する殺意を物語っているからだ。少なくとも初対面の人物に向けるモノではないし、殺気の調節くらい吸血鬼の貴族ならば身につけているモノだ。
まぁ何にせよ、奴はその殺気を抑えるつもりは微塵もないようだが。
「ああ。俺が永久の勇者であってるよ」
「やはりそうでありましたか。話は全て伺っております。その上で、ぜひとも主が面会をしたいと仰っておりまして……。
ぜひともアリシアお嬢様と屋敷の方までご足労下さいませ」
単刀直入すぎる物言いに、アリシアが講義の声を上げた。
「待ってセバス。ヴィレンくんは……」
「―――勿論。血契の件も主のお耳に届いております」
ぴしゃりとセバスは言い放つ。
「そ、それは………」
アリシアの親父さんはどこまで情報を把握しているのか。
吸血鬼の耳は特に優秀だ。しかも頭も良いときた。
本人である俺達以上に今後の状況を見越し、既に動き始めている可能性は高い。
ここで断れば、強硬措置に出られてもおかしくはない。その場合奴らは権力をこれでもかというほど振りかざしてくるだろう。
そうなれば夜襲はもちろんのこと、外出もできなくなる。
最悪の場合懸賞金をかけられれば、ヴェルリムどころか黒の王国に俺達の逃げ場はなくなる。
八方塞がりだ。
俺だけならまだしも、アリシアやフィーナを危険に晒したくはない。
「……わかった。同行しよう」
「ありがとうございます。ヴィレン様」
アリシアが「ごめんね」と謝ってくるものだから、俺はそのアリシアに向かって小さく首を降った。
「アリシアが悪いわけじゃねぇさ」
それから俺は、心配そうな視線を向けてくる妹の頭を撫でた。
「ってことで悪ぃなフィーナ。ちょっと出かけてくることになった。夕飯には間に合うように帰ってくるから、待っててくれ」
フィーナは着いて行きたいという言葉をなんとか飲み込み小さく頷く。
「……わかりました。無事に帰って来てください兄さん、リヴィー。アリシアさんも」
「気ーつけろよ。レンレン」
玄関を出てすれ違いざま、カルラが言った。
「ああ。フィーナのこと、頼んだぜ」
「おん。任しとけ!」
そう残し、俺達はセバスの背中に続く。
我が家で気を休めるのはもう少し先になりそうだ。
ヴェルリムに帰ってきて早々、面倒なことになりそうな予感がした。