第103話 アリシアの不安
サリエル戦を終え祭りを楽しんだ俺達は、その2日後、白の王国を出国した。
黒の王国へは遠回りになるが、流石に護衛もつけずに王様一人で国に帰すわけにはいかないだろう。
まず俺達はウィーを緑の王国首都セレネラへ、森を抜け赤の王国リントブルムに師匠を送りとどけた。
青の王国に寄らないぶん時間はだいぶ短縮されたが、それでも約2週間かかった。
そしてようやく自国に帰還した俺達は、まず魔王に事の結末を報告しに魔王城へと足を運んだ。
「……ほぉ。まさか天使が聖王に成り代わっていたとはな」
玉座の間にいるのは魔王バロルと老魔閻。そして俺……。
俺は皆で魔王に会いに行くのがいいと提案したのだが、フィーナは今晩の買い出しへ。アリシアはエルザベートに見つかる行動は裂けたいと言い、カルラはフィーナの荷物運びになりたいと駄々をこねた。
「後日、白の王国の新たな聖王が、一連の件につき直接合って謝罪をしたいと謁見に参るとのこと」
「そうか。ともあれ主らの働きにより、天使の策略により無駄な血を流すことはなくなった。後のことは我らで対処しよう。ゆっくりと身体を休めるがいい。
長旅ご苦労であった永久の勇者よ」
報告も終わりようやく肩の荷が降りた俺は、アリシアと合流した後その足で家路を辿る。
たかが1ヶ月と少しばかり。しかし見慣れたはずの街が懐かしく思えるくらいには丁度いい期間である。
思い返せばこの1ヶ月、様々な経験をした。
赤レンガづくりの民家が並ぶリントヴルム。
大木をくり抜き住居とし、自然と共存するセレネラ。
知識を探求し追求し続ける魔法大国ミーティア。
そして旅の目的地、冒険者の本拠地ルクシオン。
普通に生きていたなら絶対に眼にすることのできない景色の数々。
どの国も各自の発展を遂げ、成長してきた。
そして他の4大国を見てきた今ならわかる。
このヴェルリムがどれだけ荒んだ国なのかが。
魔族の国ヴェルリム。この国では力が全てだ。力のある者が生き残り、力のない者が淘汰される弱肉強食の世界。
ここまで種族格差のある国は、きっと世界中どこを探しても黒の王国だけだろう。
それがこの国の長所にして短所。どこまでも"自由"を振りかざせる国、それが魔族国家ヴェルリムだ。
―――と、そうこう脳内回想している内に、俺は市街地を抜け魔人種の居住区まで来た。
愛しの我が家は目と鼻の先にある。
黒土の家々に囲まれた、空気を読まない白い家。
長らく家を留守にしていた間、落書きや空き巣がないかと心配していたが、幸いなことに我が家は無傷だった。
その代わり………
「こりゃこっぴどくやられたな……」
「あのいけ好かん吸血鬼の仕業だろうな」
リヴィアの言っているのは恐らくエルザベートのことだろう。俺もここまでするのは奴くらいしか心当たりがない。
「すごいね。こんな状態でヴィレンくんの家だけ平気なんて!」
「あの優男もたまには役にたつものだな」
確かに家が無事だったのは嬉しいが、しかし――………。
家前そこら一体砕けひび割れた岩盤。被害はそれだけに留まらず、
「それはそれで逆に近隣住宅の皆様に申し訳がねぇよ……」
大穴を穿たれ傷だらけの家々。中には半壊している家も多く、お隣さんに至っては家の残骸しか残っていなかった。
そんな中、何故俺の家だけが無傷で生存しているのかという怪奇現象の謎が生まれるわけだが。
なに単純なことだ。昔マーリンからもらった術符が相当優秀だったというだけのことである。
細かいことは忘れたが、マーリンの十八番『空間歪曲移動』を結界として封じた術符、だったはずだ。
『お守り代わりに持っておくといい』そう言われ、当時の俺は物の価値もわからず適当に受け取ってしまった。
『お金に困ったら売ればいいさハハハ』みたいなノリで3枚渡され、金欠時ヴェルリムで信頼の置ける質屋に持っていったところ、1枚で屋敷が建つほど高価な代物であると知ったときはフィーナと二人で顔を青ざめさせたものだ。
リヴィアだけは『3枚あるんだ1枚くらい売ってしまっても構わんだろう』とニコニコしていたのをよく覚えている。勿論俺とフィーナは猛反対したが。
1度使用すれば術符の再使用は不可。効果の持続時間は3ヶ月とかなり長い。
術符は時限を歪曲させ様々な脅威から対象物を守り切る。これほど優れた防犯グッズを俺は他に聞いたことがない。
ただ、この術符には1つ大きな問題がある。それはメリット全てを帳消しにするくらい大きなデメリット。
使用者の任意で術符を解除できないのだ。
術符を解除するにはマーリン並の魔法使いが強引に効果を打ち消すか、効果期間である3ヶ月が過ぎるのをひたすら待つしかない。
欠点と言うかもはや欠陥品に部類する問題である。
だが実は、解除には裏技が存在する。
――十回目の終焉『魔象を断絶せし終閃』――
こうして根本の魔力を断ち斬ることにより魔法の効果自体を打ち消す、俺だけが使用できる裏技である。
まぁそれを前提にし、マーリンはこの術符を俺達に創ってくれたのだろうが。
ともあれ、これで術符の効果は完全に解除された。
ドアノブに手を伸ばす。
ひんやり冷たい鉄の感触。
そのまま右方向に捻り、奥へと押し開く。
質素な玄関が俺を迎え入れた。
懐かしの我が家の香りを胸に吸い込む。
木製の下駄箱棚の上に飾ってある3枚の写真。片方には俺とリヴィアとフィーナが。そして残りの写真には――……。
「レン。わたしは腹が減った。何か食べる物を作ってくれ」
「私もお腹ぺこぺこだよ〜」
家に入るや否やそんなことを口にするリヴィアとアリシア。
そんな当たり前の会話にくすりと笑ってしまう。いや――。
過去を思い出さなくていいくらい、現在が眩しすぎる。
過去の思い出に負けないくらい、現在が幸せすぎる。
こんな日々がいつまでも続けばいいと、そんな柄にもないことを思ってしまう自分自身に俺は笑ったのだ。
懐かしい思い出から目を離し、俺は彼女らの方に振り返った。
「我慢しろ。夜はパーティーだ。それまで腹を空かせとけって」
今夜は家で旅の慰労会を行う手筈になっており、食卓にはフィーナのご馳走が並ぶ予定だ。
「それなら仕方ないな。期待して腹を空かせておくとするか」
リヴィアはうーんと首をひねり、渋々といった様子で間食を諦めた。
「いいなぁ。私はヴィレンくんの血しか飲めないのに………でも私としてはそれだけでご馳走なんだけど」
「そういや。カルラは別としてアリシア、お前は家の連中に顔を見せてきた方がいいんじゃねぇのか? 親御さんも心配してんだろ」
写真を目にしたせいか、ふとそんなことを俺は思い出す。
「あー、どうだろうね。わたしってほら、家出中の身なわけだし………」
アリシアは言葉を濁し、視線を泳がせた。
「このまま帰ったら多分、いや絶対殺されちゃうかなーって……」
まさか殺されはしねぇだろ、俺はそう言いかけやめる。
アハハと空笑いで怯えを隠そうとしているアリシアから、それが冗談でないことが伝わってくる。
原因は考えるまでもなく、俺がアリシアに血を飲ませた件だろう。
吸血鬼種は最上位魔族の中でも最もプライドの高い種族であって、言い換えれば魔族の中で最も面倒臭い種族でもあるわけで。
そんな吸血鬼種の中でも3本の指に入る御三家"ツェペシュ"のご令嬢が、よりにもよって低位の中の低位、最下位に分類される魔人種の血を飲んだとあっては大問題だろう。
しかもプラスして、ツェペシュと同じ御三家"ブラッド"の長男との婚約もご破算になったことを踏まえれば、アリシアの気持ちもわからなくはない。
だが。口を閉じた俺の代わりに、
「―――殺されるのが嫌なら殺してしまえばいいだろう」
リヴィアがそう言った。