第99話 盗賊の兄弟
勢い良く振るわれた拳がリヴィアに直撃する寸前、俺はその拳を右手で受け止めた。
力の入った、いい右ストレートだった。
魔力を纏っていない拳の威力はたかが知れている。
されど相手が女子どもならば話は別だ。怪我では済まない。と言うかそもそもの問題として、女や子どもに本気で殴りかかるんじゃねぇばか野郎。
「……俺の女に触るな」
握った拳に少し力が入りすぎてしまったようで、男の顔が痛みに引きつる。
「ぐぅ……っ!!」
力を緩めると、男はすぐさま右手を抑えながら後ずさった。
「過去の傷を水に流せとは言わねぇ。ただ、時と場所を考えろ。祭りの後でならいくらでも相手してやるよ」
そして俺は振り返り、何やら憤っている様子のリヴィアに視線を送る。
「リヴィア。お前もお前だ」
「なんだ? 私が何か間違ったことでも言ったか?」
「そうじゃねぇよ。言い方ってもんがあんだろ」
「知らん」
リヴィアはふてくされた子どものように、ぷいっと顔を背ける。
どうやら相当ご機嫌斜めのようだ。
いったい男の何が気に食わなかったというのか。
いや確かに男の言動も態度も気に触らなかったと言えば嘘になるが。
"神様は我儘だから仕方ない"と言われればそれまでだ。しかも破壊を司る神となれば尚のこと。神々(コイツら)の思考回路は全く読めない。
「くそっ!」
あっちもあっちで怒りが収まらないようで、男は腰に下げてある得物に手をかけた。
「ふざけやがってふざけやがって……ぶっ殺してやるッ!!」
面倒くせぇ状況になったなぁと、溜息をつきかけたその時。
「―――コイツはいったい何の騒ぎだァ?」
人混みがザワつく――のも一瞬。皆我よ先にと慌てて左右に道を開ける。
『爪兄弟よ』『目を合わせるな。殺されるぞ』『どうして盗賊団が……』
そして人々が分かれてできた一本道を、いかにもガラの悪そうな黒髪と白髪の二人組がこちらに向かってくる。
黒い方の男のことはわからないが、白い方の男は見知った顔だ。
「ウェルガー・クロウ……」
何をしたらこんなに恐れられるような人間になるのか?
頻繁に強奪や人殺しでも繰り返しているのか疑うレベルで人々の怖がりようは異常だ。
ウェルガーの視線が、道のど真ん中で顔を青ざめさせる男を捉える。
「なんだジジィ。ジロジロ見てんじゃねェぞ。今すぐ失せろや」
「うっ……」
男は肩を震わせ、そしてこちらをチラリと見る。
しばらく男の中で恐怖と憤怒とが葛藤し合い、激戦の末憤怒が勝ったようだ。
「し、知るかッ。Sランクだろうが何だろうが関係ねぇ、俺はこの魔人を―――」
と、再び剣の柄に手をかけ抜こうとするも、横から閃いた手が剣の柄頭を抑える。黒髪の男だ。
「おーおー、おっさん。兄貴の声が聞こえなかったのか? てめェの耳はなんのためについてやがる。使わねェなら俺がもいでやろうか?」
なるほど。この黒髪はウェルガーの弟か。
人懐こそうな笑みを浮かべてはいるが、言ってる中身はなんらウェルガーと変わりなく物騒極まりない。
弟の手首につけてある赤色のブレスレットは、Aランク冒険者の印。
対して男のブレスレットは緑。Cランク冒険者だ。
しかも今の動きを見る限り、弟の実力はAランクの中でも上位。魔力もろくに扱えない男との実力差は絶望的だ。
ようやく観念したのか、弟の手首を払うと男はこちらをキリッと睨む。
「く、くそ……くそッ!! 覚えてろよヴァーティ――」
しかし去り際言葉を残そうとした男の横面に、恐ろしく早い手刀が飛んだ。
男は悲鳴を上げるより先に、地べたを転がりゴミ溜めに頭から突っ込む。
その様を横目にウェルガーは吐き捨てるようにして言った。
「今すぐ失せろっつったよなァ、俺は」
恐ろしい男だ。師匠から教わった魔力の扱い方を、もう既にウェルガーは自分の物にしたのだろう。
悔しいが、奴の戦闘センスには感服する他あるまい。
「あちゃー。また派手にやったな兄貴。ありゃ顔面粉砕コースだぜ?」
「忠告はした。加減もした。俺の弟に手ェ出しといて、アレくらいで済んだならいいほうだろーが」
「まぁ……それもそっか。自業自得だな。あんがとよ兄貴」
と、話は終わりとでも言うかの如く、今度は弟がこちらに近づいてくる。
「それで、アンタが兄貴の言ってた『黒助』か?」
…………。
一瞬考え、俺は首を横に振った。
「いや。俺はヴィレンだ」
「なんだ人違いかよ〜!」
肩を落としかけた弟の視線が、ちょうどそこにいたリヴィアを捉える。
「ん?」
視線に気づき、リヴィアはクレープから視線を上げた。
「え。なに、めちゃくそ可愛いやんこの子誰?」
ピクリ。リヴィアの耳が微かに動く。
ここだけの話。うちの相棒は『可愛い』とか『美人』とか、とにかくそういう単語に弱い。
しかし今のリヴィアはお怒りモード。それではリヴィアの機嫌を取ることなどできやしな―――
「フン。いい目をもっているようだな、おまえ。リヴィアだ」
……。…………。
「俺はシルバー・クロウ。や〜、それにしても可愛いな。エスティアちゃんも可愛いけど負けてねぇ……! うん。全然負けてねぇ!
……で、リヴィアちゃんはヴィレンとどういう関係?」
「男と女の関係だ」
「うそだろ!?」
「嘘だ」と言いたいところだが、リヴィアの機嫌が良くなりかけている現在、余計な発言は極力避けたい。また機嫌が悪くなると面倒だ。
「どういうつもりだヴィレンお前!? 裏切ったな!?」
肩をガシッと掴まれる。
「いやいや。どうもこうもねぇよ……」
つか、裏切ったって何だ。裏切ったって。
弟にされるがままにされていると「なんだ黒助じゃねェか?」とウェルガーが声をかけてくるもんだから、
「なんだお前やっぱり黒助で合ってるじゃねぇか!? リヴィアちゃんに謝れ!! そして俺に土下座しろ!!」
そのまま肩を前後に揺すられる。首が痛い。
「謝んねぇよ! つかなんでリヴィアだ。それに俺は黒助なんて呼び方を認めた覚えはねぇ……!!」
弟の手を払いながら反論すると、ウェルガーが「はッ!」と吐き捨てるようにして笑う。
「呼び方なんてのはどうでもいいだろうが黒太郎。いちいち細けェこと気にしてんじゃねェ」
「だったら飼い犬みたいな名前をやめろ……!」
「まったく小せェ男だなァ、てめェはよォ」
なんだコイツは。自分が言われたら怒るくせして何なんだコイツは。
言い返せそうとすると「まァ、んなことよりだ」
続いたウェルガーの発言に俺は耳を疑った。
「フィーナっつったか。妹の具合はいいのか?」
「あ? ああ……フィーナならアリシアと2人で屋台を、回ってるはず……だ……」
流れで応えてしまったが、何を聞かれたのか頭が理解すると同時に脳がフリーズする。
何が目的なのか?
確かにフィーナは可愛いが……いやまさか。
「ここはてめェらの国ほど治安は乱れちゃいねェだろうが、さっきみてェなクソ共も少なくはねェ。
女とイチャつくのもいいが、泣くほど妹が大事だってんなら目を離さねェこった」
「お、おう……」
「まァ、せっかくの祭りだ。せいぜい楽しめや、黒助」
それだけ言うと、俺の肩を軽く叩きウェルガーは横を通り過ぎていく。
ポカンとその後ろ姿を眺めていると、シルバーに笑いかけられた。
「意外だろ? ああ見えて兄貴はお節介焼きだからな。つっても誰しも構わずってわけじゃない。
アンタのこと、結構気に入ってんだぜ兄貴」
「何してやがんだシルバー。置いてくぞ?」
「待ってくれよ兄貴!」小走りで追いかけるシルバーが最後、思い出しように振り向いた。
「そだ! 今度美人なサキュパスのお姉さんでも紹介してくれよな!!」
彼ら二人を見つめながら、リヴィアがぽつりと言った。
「良い奴だったな。見た目に限らず」
「ああ。見た目に限らずな」
そうしてリヴィアが再びクレープに口をつけた瞬間。彼女はやってきた。
「リーヴィーアーちゃーんっ!!」声を発しながら、若葉色の頭髪の女がこちらに走ってくる。
「待て。おまえ、止ま――――」
リヴィアの静止の声も間に合わず、と言うか聞く耳持たず、女はリヴィアにダイブした。
食べかけのクレープが宙を舞う。
※画像はイメージです。