第七話 初めての村
日は暮れ、黄昏時。
日々の農作業を終え、帰路に就く村人たち。木製の鍬を肩に抱え、俯き加減で俺たちとすれ違っていく。
「……やっぱり怪しいよな」
誰もがちらりと俺らを一瞥すると、顔を背けるように目線を外し、距離を取っていく。
仕方がない。ローブ姿の怪しい人物が三人もいるんだ。警戒されてしまうのも頷けるけど。腑に落ちない部分もある。
それはソフィだ。フードを被っているとはいえ、かなり浅め。正面からでも十分に確認できるはずだ。にも関わらず、誰もソフィに声を掛ける者はいない。
森を抜ける道中に語られた村の様子とは、真逆と言っていいほど想像していた印象からかけ離れていた。
ちらりとソフィを見やるが、不自然な様子は感じられない。すれ違う村人たちに、その都度会釈を返している。
「あの、ソフィ」
「はい? どうかしました?」
ニコッと微笑むソフィ。やっぱり変わった様子は感じられない。これが普通なのか……?
「あ~っと……ソフィの家ってどこにあるんだ?」
「あ! そうですね。わたしが案内しないといけませんでした。うちは少し離れているんですけど……この先です」
ソフィの案内に従って進むが――。
「……これ、少し離れているって言うか……」
「まるで村から隔離されているかのようじゃのう」
アドルフと小声で話し合う。
「着きました! ここです」
ソフィに案内された家は、村はずれとも言えない程、完全に村から隔絶した位置にあった。振り返れば、さっきの村が小さく眺められる。
「今日は危ないところを助けて頂いて、本当にありがとうございました!」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げるソフィ。外れたフードから現れた獣耳がピコピコと動く。
「うむ。大したことではあらん。それに充分礼も受け取った。今後は努々気を付けるのじゃぞ」
アドルフは大仰に答えた。まぁいいんだけど……アドルフは何もしてないからな。
「あ、はい。気を付けます。それで……もしよろしければ、もう暗くなってきますし、今晩はうちに泊っていかれませんか? 大したおもてなしも出来ませんけど、お夕食くらいは」
確かにもう数時間すれば、完全に陽が落ちるだろう。ソフィの申し出は正直有り難い。それに出来れば硬い地面では無く、柔らかいお布団で久しぶりに眠りたい。
「そうじゃのう……どうする、ゴブのすけ?」
アドルフ……若い女の子と一つ屋根の下になると思って、鼻の下がだらしなく伸びてるぞ。
「そう言ってもらえるなら、有り難く泊まらせてもらうか。アドルフは外で野宿ね」
「なんでじゃ! 何故儂が野宿せねばならん!」
「その顔だよ、顔。エロジジィが! こんなエロ師事と一緒だとソフィの身が危ないわ!」
「何をぉ! 儂は紳士的と昔から有名なんじゃ!」
「あの~……」
「何が紳士だ! ついさっき打たれたのを忘れたのか! ボケたのか! はよ枯れちまえ!」
「ボケても、枯れてもおらん! 儂はまだまだ現役じゃ!」
「あのッ! 部屋は二つありますからッ!」
あ、はい。さいですか。アドルフよ……そんなあからさまにガッカリしなくても……。
ひと悶着あったものの、今日はソフィの家に泊めてもらうことに決まった。
中へと、ソフィは「うんしょ」と、ドアを持ち上げて外す。
「どうぞ。狭いですけど」
何事も無かったかのように、ソフィはニコッと微笑みながら、手で促す。
「なぁアドルフ。この世界のドアってああやって開けるのが一般的なの?」
「いや……儂も初めて見たわい」
家の中にお邪魔しながら、小声で話し合う。
扉を持ち上げて完全に外す開け方は、ソフィ家ならではのものらしい。
「あはは、やっぱり驚いちゃいますよね」
「うん、まぁ……」
「今までちゃんと直していたんですけど。何故か、ひと月くらいで外れちゃうんですよ。朝目覚めたら、扉が外に向かってバタンと倒れていて……不思議ですよねぇ。いつも外れちゃうので、もうそのままにしちゃってます。あ! お茶淹れますね。寛いでいてください」
ドアが勝手に外れるって……しかもひと月毎に。どんな怪奇現象なんだ。大丈夫か、この家。
それはさておき、中はこじんまりとしているものの、しっかりと掃除が行き届いており、綺麗に片付けられている。
「紅茶です、どうぞ。お砂糖はないんですけど」
「うむ、頂こう」
何故、そんなに態度がデカいんだよ、アドルフ。我が物顔でドカッと椅子に座るんじゃねぇ。
遠慮という文字が完全に頭から抜け落ちているアドルフはこの際、放置しよう。紅茶を頂きながら、のんびりとした時間を過ごす。
しばらく他愛無い話をしていると、ソフィが躊躇いがちに切り出す。
「あの~……もうすぐ日が暮れてしまうので、少し席を外してもいいですか? 少し村に用事があって」
「うん、いいよ。俺らはゆっくりさせてもらっとく」
了承を伝えると、ソフィは「ありがとうございます」と、パタパタと仕事部屋へ。
「のう、ゴブのすけ。夕暮れ時に、若い女子一人で出歩くるのは、ちぃとばかし不用心だとは思わんか?」
「ん? まぁそうだな」
「そうじゃろう。ならあのお嬢さんについて行ってあげなさい」
うん、まぁいっか。どうせすることも無いしな。ちょっと村の様子も気になるし。
丁度、準備を終えたソフィが大きな籠を抱えて出てくる。
「それじゃあお留守番お願いしますね」
言うや否や、すぐに出て行こうとするソフィに待ったを掛ける。
「待って。俺も行くよ。外も暗くなってきたし」
「え? 大丈夫ですよ? パパっと行って、すぐに戻ってきますし」
「俺も村を見てみたかったしさ。ついでだよ、ついで」
「? あまり見るべき所の無い村ですけど……」
「いいから、いいから。ほんじゃ、行ってくる」
「あっ」
ひょいとソフィから籠を奪い取ると、足早に家から出ていく。籠はかなりの重量があって、女腕では結構な重労働になりそうだ。
「そんな、荷物を持ってもらうのは申し訳ないですよ!」
「いいから、いいから」
後を追い掛けてきたソフィには取り合わず、スタスタと村へ向かって歩いて行った。
◇
何度見ても、こんなところに住んでいるのかと疑問に思う程、寂れた村並だ。
木造家屋の壁が剥がれているのは当たり前。屋根も空いている家が多く、雨漏りレベルじゃない、これじゃあ直接雨風が吹き込んでくると思うのだが……。
辺境の寒村の、あまりの困窮具合にぐうの音も出ない。
「ひと月前、大型の魔物の襲撃があったらしいんです。夜中だったのでわたしは寝ていて気付かなかったんですけど」
あ~なるほど。村自体も困窮しているが、被害を受けての有様なのか。いや、ひと月もこの状態を放置するのはどうかと思うが。
ソフィは一軒の家までくると、軋んだ音を立てながらノックをする。
「ごめんくださぁ~い」
見たところ、村の中では比較的大きな建物だ。村長宅なのかな。
「はいはぁ~い。今出ます~」
中からおっとりとした声が聞こえる。出てきたのは純朴そうな女性だ。
「はいはぁ~……あ……」
何だ? さっきまでは柔和な微笑を浮かべていたのに。ソフィを見た瞬間、雰囲気がガラリと冷たく変わった。
「こんばんは、ミンナさん。在庫分の傷薬持ってきました。ゴブ――じゃなかった、リュウヤさん、ちょっと失礼しますね」
籠の中から数個壺を取り出すと、ニコニコ顔のソフィとは対照的な無表情の女性――ミンナに手渡す。
「今日、たくさんヒポクテ草を採取出来たので、また持ってきますね」
「……」
え? 無視?
ソフィが話しかけても全く返事をしない女性は、奥へと引っ込むと、代わりに籠いっぱいの野菜を持ってきた。
「うわぁ~。美味しそうな野菜ですね。食べるのが楽しみです」
ニコニコと嬉しそうなソフィ。
「……」
しかし、女性は眉を僅かに動かしただけで、まるで押し付けるかのように籠をソフィに渡すと、そのまま何も言わずに戸を閉めたのだった。
今のやり取り……いや、もはややり取りとさえ言えないな。とにかく、正直すぐには理解出来そうになかった。
「リュウヤさん、美味しそうな野菜ですね! 見て下さい、すごい新鮮ですよっ!」
呑気に喜んでいるが……何も思わないのか? いくら話しかけても無視され、邪険に扱われているというのに。聞いていた話とは全く違うじゃないか……。
どう反応していいものか判らないまま、その後も数軒回って、傷薬を配って回った。
やはり、どの村人も、ソフィを見るなり態度が冷たくなり、誰も一言も話すことは無かった。
「ふぅ~……。リュウヤさんに手伝ってもらえたので、いつもより早く配り終えられました。ありがとうございます」
「いや……まぁそれはいいけど。それより……何でそんなに笑っていられるんだ? めちゃくちゃ冷たくされていただろ?」
今日だけに限っての事じゃないだろう。多分、今までずっと冷たく接されてきたはずだ。それなのに、ソフィは常に微笑んで明るく接していた。
「それは……仕方がないですよ。わたし、狼人族ですし。ここに居るだけでも皆さんに迷惑掛けているんです。……全ての亜人族は、聖国内では迫害を受けているそうです。ミリスシーリア中央都市『白都』には、たった一人の亜人族も居ません。奴隷としてでさえも生存を許されていないんです」
神聖国ミリスシーリア。通称、聖国。唯一の人族至上主義国。全ての魔に連なる者を、この地上から抹消することを至上命題として掲げている宗教国家でもある。
そうアドルフに教えられたときは、『俺は絶対に近づけないなぁ』と何だか他人事のように思っただけだった。
しかし、実際にこんなにも明るく優しいソフィが冷遇されている所を目撃してしまうと、他人事と楽観出来ないし、やるせない思いが胸中に渦巻く。
「中央からは随分と離れているので、そういった風潮は強くありません。それでも年に数回、中央から使者がやって来るので、その時は村上げての大騒ぎ。わたしが使者に見つかってしまうと、それだけで廃村が決まってしまいますし。わたしも何日も使者が帰るまで、森で野宿するんです」
結構大変なんですよと、苦笑するソフィだが、俺は笑えなかった。
「村の皆さんにはすっごくご迷惑をおかけしてしまっているんです。邪魔者でしかないのに……ほら、今日もこんな美味しそうなお野菜を頂いちゃいました。これ以上望むなんてバチが当たっちゃいますよ」
その野菜は、傷薬の対価だ。それにソフィが渡した傷薬と比べて、遥かに少なく等価交換にさえなっていない。ついでに言えば、最初の一軒だけだ。野菜を貰えたのは。
「それくらいでバチを当てる神様なんかいやがったら、俺がぶっ飛ばすよ」
「ふふ。そんなことをしちゃ、ダメですよ。もっと怒られちゃいます」
メッと、ソフィは怒ったようなポーズを取った。冗談だと思ったようだけれど、俺は結構本気だったりする。
それはさておき、何となくだけど判ってきた。ソフィの笑顔の裏側にあるのは、諦めだ。冷遇されても、それを不満に思う事さえない。現状に対してどうすることも出来ないと諦めてしまっている。
「村を出たいと思ったことは無いのか?」
「そうですね……ずっと昔に思ったこともあります。旅行記みたいな物を読んで、他の国に行ってみたいなぁと憧れたこともありますよ。いろんな世界を見て回ることが出来たら、どんなに楽しいのだろうって」
あ~やっぱりだ。微笑んでいるものの、瞳の奥に深い諦念が垣間見える。
「どこに行きたかったんだ?」
「えっと……迷宮が有名な国で、確か名前が……えっと、えっと……」
「迷宮都市アトリニア?」
「そう! それです! そのアトリウムニアです!」
「……アトリニアね」
「アト……あはは」
笑って誤魔化さない。名前も覚えてないのに、本当に行きたかったのか? いや、初めからソフィにとって夢物語なんだ。憧れていても、自分がアトリニアに行くことはないと。
「迷宮に潜って、ばったばったと魔物を倒して活躍するんです。冒険者になって有名になって……。母が昔冒険者だったみたいなんです」
「そっか……お母さんに憧れているんだな……よっし! 判った! なら、一緒に行こう、迷宮都市アトリニアに」
「ほえ?」
眼を丸くして呆けるソフィ。俺は構わず続ける。
「アトリニアに行って、冒険者になって活躍するんだ。……えっと、小鬼族でも冒険者になれるかな?」
「た、多分無理だと思いますけど……じゃなくって! ど、どうしてわたしも一緒なんですか⁉ あ、あのアト何とかですよ!? どれくらい遠いと思っているんですか!」
うん、ソフィ。アトリニアね、アトリニア。
「ん~七日くらい?」
「七日じゃあ隣町くらいにしか行けませんよ! 大体、わたしは無理です。ちょっと走るだけですぐ息切れしちゃうくらい、身体が弱いんですよ。隣町にさえ行けないですし……」
「それは大丈夫。これから鍛えるから」
「はぁ~……何なんですか、このゴブリンさんは……」
強引な小鬼族でゴメンね。ソフィをこの国から連れ出すのは、もう決まったことだから。
「はぁ~まぁいいです。すぐに無理だって判りますし」
ソフィには珍しい疲れ切った表情でそう言うと、野菜の入った籠を担ぎ直しそそくさと家路を急いでいく。
ソフィはすぐに諦めるだろうと思っているみたいだけど。残念、俺は諦めの悪い性質なんだよ、フフフ……。