第三話 同族でも躊躇わない
「はぁ……はぁ……はぁ……」
空気を貪るように吸い、鉛の様に重くなった足を必死に動かす。
見えてきたゴールは後少しだ。最後の力を振り絞って、腕を振るい、前へ前へと進む。
もう少し……後ちょっと……後一歩――よっしゃ! ゴールッ!
ゴール地点――野営場所に辿り着くと同時に、俺は仰向けに倒れ込んだ。
もうヤダ。一ミリも動きたくない。動けない。死ぬぅ~。
「ほっほ。昨日より早く帰ってきたのう」
楽し気な声の主は、アドルフだ。俺にこんな地獄のような猛特訓を課した張本人である。
「はぁ、はぁ……んぐ、昨日より、遅かった、ら、増やされ、ちゃうから、な……はぁ……」
そう。この爺さん、柔和そうな印象と裏腹に、すげぇドSなのだ。それをこの一週間で嫌という程、思い知らされたよ。
一週間前、俺は異世界召喚されてしまった。マンガやラノベでよくある『勇者として魔王を討て』とかいうアレである。
まぁ勇者だったらまだよかったんだけど、俺の場合は少し事情が異なる。何せ俺は、勇者はおろか人間ですらなかったのだ! ゴブリンだよ、ゴブリン。笑いたきゃ笑え。俺は笑い過ぎて涙が出たよ……。
ゴブリンになってしまった訳なんだが、やっぱり人間に戻りたかった。けど、人間に戻る方法は無いという無慈悲な宣告を受けてしまうのである。
それでも諦めきれない俺。そんな俺に一縷の望みを示したのは、俺が異世界召喚されて、初めて出会った異世界人――アドルフである。
アドルフ曰く、『本質的な種族を変える方法はないが、進化・昇華を経ることにより、人族の姿形には近づくことが出来る』と。なら、進化・昇華を目指すしかないっしょ。
という訳で、アドルフに「鍛えてくれ」と頼み込み、弟子入りしたのである。まぁそれが地獄の始まりだった訳だけども……。
アドルフの訓練は至って、平凡なものだった、内容は。問題はその量だ。
まず、午前中はひたすら剣の素振り。その回数、五千回。
はぁ!? 五千回!? ふざけてるだろ。
その剣も人族にとっては、ただの片手剣だ。けど、俺は非力で矮躯なゴブリンである。身長約九〇センチの俺と同等の片手剣。最早、俺にとっちゃあ、大剣と何ら変わりない。
まぁ文句ばっかり言ってるけど、鍛えてくれと頼んだのは俺自身。ひたすら剣を振ったよ。豆が潰れて血が出ようとも、寡黙に愚直に。……昼までに終わらないと飯抜きだからね。
分かっていると思うけど、これで一日の訓練は終わりっていう訳では無い。
俺らは泉のほとりで野営しているのだが――綺麗な水源の近くに野営するのは基本中の基本らしい――、午後の訓練は、その泉の周りをランニング三〇周。
これが素振りよりも辛い辛い。泉と呼んでいるが、最早湖じゃないか? というくらい、バカでかいのだ。
さらに、日本の競技場のトラックのように、走路が均されているわけでは無い。天然の走路だから、足は取られるわ、走りにくいわで、体力が容赦なく削られるのだ。堪ったもんじゃない。
初日なんかは陽が沈み、辺りが暗くなってまでも走ってましたよ……とほほ。
で、夜は夜でこの世界での常識などの講義だ。地球とは異なる文化なので、この世界の常識を学べるのは有り難い事なのだが、如何せんハードな訓練の後だ。うつらうつらと舟を漕いでしまうのも仕方がないと思う。まぁその度、アドルフに水魔法をぶっかけられるんだけどね。
とまぁ、こんな感じで一週間を過ごしてきました。今では素振りも昼前には終わるし、ランニングも夕暮れまでには終える程、体力も付いた。ゴブリンでもやれば出来るってもんだ。
「ゴブのすけよ、肉が焼けたぞい」
「ゴブのすけじゃねぇ! 俺はリュウヤだって言ってんだろ!」
このやり取りも毎度おなじみとなって来た。いくら言ってもアドルフは俺の事を「ゴブのすけ」と呼ぶ。ボケてるんじゃないかしらん。
今日も今日とて、夕食は兎肉の炙り焼きだ。訓練後の空きっ腹にガツンとくるうま味がサイコーだ。
「モグモグ……んぐ。で、今日の講義は何を話してくれるんだ?」
咀嚼し、飲み込むと、アドルフに夜の講義内容を聞く。何だかんだ言って、夜の講義は結構楽しいのだ。地球とは何から何まで違っていて、その差異が、ここが異世界だと実感させるし、何よりワクワクする。ゴブリンじゃなかったらもっと良かったけど……。
この世界の文化水準は、地球で言うと、中世くらいらしい。魔法という超常現象があるからか、科学技術は発展していないようだ。まぁライターを発明するなんて発想は出来ないよな。火魔法で十分だし。
あ、そうそう。地球との一番の差異である魔物についても教えられた。
魔物とは、魔に連なり、人族に敵対する種族の総称のことを指す。
ただ、これは非常に曖昧な定義らしく、極論してしまえば、魔王も魔物だし、人族に敵対はしていないものの、亜人族と呼ばれる獣人、エルフなども魔に連なる者として、魔物だということも出来るのだ。まぁそれが顕著なのが聖国ミリスシーリアなんだけどね。
更に詳しく定義するのであれば、魔物は知性もなく、言語も有していない種族のこと。
一方、知性があり、言語を有する魔物の事は、魔族と呼ぶそうだ。俺を当てはめるとすれば、ここに属するらしい。
魔族は人族に敵対している者もいれば、中立の立場を保持する者と様々らしく、全ての魔族が一方的に悪とは断じることが出来ないと、アドルフは言っていた。
『人族の中にも、良い奴もいれば、悪い奴もおる。魔族とてそれは変わらんということじゃ』
アドルフのように長い年月を生きてきた人が言うと、含蓄があると感心したのは秘密。
とまぁ、アドルフの講義は、為になるし、楽しいのだ。決して顔には出さないけど。
「そうじゃのう……。今日の講義はなしにしようと思っとる」
「ふぇ? こりゃまたなんで?」
「そろそろ頃合いも良かろうと思ってのう。明日から暫く実戦じゃ。今晩はしっかりと身体を休めるようにのう」
実戦。つまり本物の命のやり取りということ。
俺はこの一週間、アドルフに課せられた訓練だけを行ってきた。なので、今食べている兎肉なんかも、全てアドルフが狩ってきたもの。狩りさえ未だ経験なし。
正直、怖いやら、億劫やら、果てはワクワクといった清濁混沌とした気分である。
「そっか……明日か……」
「ほっほ。怖気づいたかのう」
「そんなこと――いや、正直ちょっと怖いかな。今までそんな経験なんてしたことない平和な世の中で生きてきたし。でも、やるよ、俺。早く人間になりたいしな」
人間の姿になる為には、多くの魔物を仕留めて、進化・昇華しないといけない。それにこの世界は弱肉強食だ。弱き者は搾取され、強き者が奪う世界だと、アドルフには嫌という程教えられたしな。
「いい顔つきじゃのう」
立ち上がったアドルフは、ポンポンと俺の頭を撫でると、最後に爆弾を落としていった。
「じゃから、明日は同族――ゴブリン狩りじゃ」
いきなり同族相手って……ハードすぎじゃね?
◇
翌日、アドルフの宣言通り、朝から実戦祭りである。
初戦は、いつもお世話になっている兎――ホーンラビット。額の中央から一本の角が生えた、Fランクの魔物だ。
魔物にはFからSまでのランクがある。その七段階に、準級の-、上位の+が付いた二一段階で強さの指標が決まっているそうだ。何でもその指標は冒険者ギルドが定めているらしい。やっぱり冒険者ギルドがあるんだね。
おっと、思考が逸れてしまった。集中集中。
「せい、やぁ!」
といっても最低ランクの魔物。考えなしの突進を躱し、袈裟斬りを放つ。
肉を断つ鈍い手応えに、顔を顰めつつも、難なく仕留めることが出来た。
胴と頭を分かたれたホーンラビットの死骸を見下ろしながら、己の手を見ると、少しばかり震えていた。
初めて命を刈り取ったんだよな……。あんまり気分が良い物じゃないな。分かっていたことだけど。
「ほっほ。てんでダメじゃな。太刀筋も甘く、迷いがあり過ぎるのう。もっと精進せい」
アドルフの辛辣な評価に、ムッとしてしまう。
「初めてだったんだから、いいじゃねぇか。ちゃんと一撃で決められたし」
「兎ぐらいその辺の子供でも狩るわい。ちゃんと急所を狙って、丁寧にな。こんな胴体真っ二つにはせんよ」
俺が仕留めた兎は胴から真っ二つになっている。初狩りだとしてもと少し大雑把だったかもしれない。
「高々兎だと舐めてかかってはならんぞ。しっかり急所を見極めて、最小限の労力で仕留めることを心掛けなさい。常にその時その時で最善を選択していくのじゃ。思考停止してはならんぞ」
普段お茶らけているアドルフは真剣な表情で言った。こと戦いに関しては厳しい。
「わかった。次からは気を付けるよ」
何事も己の糧にしてなくてはならない。平和な日本と違って、この異世界は死が身近だしな。
それからは気を引き締めて、兎を次々に狩っていく。
「踏み込みが甘いぞ」
「せや!」
「近づき過ぎじゃ! 間合いを意識しろ!」
「はぁッ!」
「初動が遅い! 様子を見過ぎじゃ!」
「ふん!」
「目の前だけに集中するでない! 横から来るぞ!」
「クッ! おりゃ!」
一戦一戦アドルフの檄が飛ぶ。その度に吸収しようともがくが、一つ意識すると、今まで出来ていたことが疎かになってしまう。
それでも確かな手ごたえを感じている。初めは一匹だったのが、いつの間にか二匹、三匹へと増え、一対複数でも少しずつ捌けるようになってきた。
「おっりゃッ! ……はぁはぁ、はぁ……」
もう無理だぁ~。何匹兎を狩っただろうか。流石に体力の限界だぁ~。
その場にどさりと倒れ込む。
「ふむ。最後の一太刀は良かったのう」
お、初めてお褒めの言葉が聞けた。アドルフは中々褒めてくれないからな。本当に最後の一太刀は良かったんだろう。
「ずっと身が強張っておったが、疲労が溜まって、いい感じに肩の力が抜けたんじゃろうな。まぁ、それでもその辺の子ども並みじゃがのう」
ほっほっほと、笑うアドルフ。
「まぁよい。今ならばそうそう遅れは取らんだろう。息が整ったらいよいよ本命じゃぞ」
本命というのは、俺の同族――ゴブリンのことか。やっぱり、アドルフは兎だけに遭遇するように仕向けていたらしい。どうやっていたのか今度教えてもらおう。
「はぁはぁ……はぁ~んく。よし! キツイけど、一丁やるか」
無理やり息を整えて、立ち上がると、アドルフの後を追った。
◇
「GUGYAGYAGYAAAAAA」
あ~コレコレ。よく夢で嫌という程聞いた、この不愉快な鳴き声。リアルだとゾッと身震いしてしまいそうだ。
「ふむ。はぐれのようじゃのう。辺りには他の奴はおらん」
草木に隠れてゴブリンを見ていたアドルフが俺に確認を取る。
「どうじゃ? やれそうか?」
俺と同族である野生のゴブリンが一匹だ。手には無骨な棍棒を提げている。
ふぅ~と一つ息を整える。
「うん、大丈夫。やれるよ」
真剣な眼でアドルフに向き直る。
「ほっほ。何をそんなに緊張しとる? パッと行って、サクッと倒して来い。ほれ!」
「ちょっ!?」
バンッ! と背中を叩かれ、つんのめるのように前へ。フラつきながらも、何とかコケずに体勢をキープ。
ふぅと一息も束の間、不審な物音にゴブリンに気付かれた!
「GUGYA!?」
濁った瞳と視線が交差する。
「あ~もうッ! 折角、奇襲できると思ったのにッ!」
アドルフへの恨み言を撒き散らしながらも、バレてしまっては仕方がない。気持ちを切り替えて、即座に攻勢へ打って出る。
「ハッ!」
先制攻撃。相手の体勢が整う前の一撃。
剣先が肩口を抉り、紫血が散る――が、浅いッ!
一歩間合いを詰めつつ、横薙ぎ一閃。
「ちっ」
踏み込みと同時に後ろに下がられたか!
軽い手応えに、思わず舌打ち。見れば、ゴブリンの腹には浅い切傷だけ。臓腑には至っていない。
襲撃犯と相対し、ゴブリンの鷲鼻と乱杭歯が目立つ醜悪な顔が憎悪に歪む。
醜い。本当に生理的嫌悪感が否めない奴だ。はぁ~……俺ってゴブリンの中じゃ中々イケメンなんだな。嬉しくないけど……。おっと、いけね。集中集中。
剣を正中に構え、じりじりと間合いを図る。と、先に仕掛けたのはゴブリンの方だった。
「GYA!」
流石最弱のF級の魔物。戦術も技術もへったくれも無い、愚直過ぎる突貫だ。
焦らず、振り下ろされる棍棒に剣を合わせる。
「――フッ!」
短い呼気。打ち合わされる剣戟――は、聞こえず棍棒を真っ二つに切り裂いた。
……は? いやいやいや。受け止めるつもりだったんだけど……切り飛ばしちゃった。ゴブリンも驚いて手元に残った元棍棒を見て呆けているよ。……あはは。
大き過ぎる隙を晒すゴブリンに無慈悲な一太刀。首を切り飛ばす。
呆けたままの頭部が滑りを散ると、首元から噴き出す鮮血。ゆっくりと別たれた胴体が崩折れて行った。
「……ふぅ~~~」
初めての同族狩りを終えて、長い吐息を吐き出す。
あ~手が震えてらぁ。やっぱり人型だとな……。
「ほっほ。ゴブリン如きに中々手こずっておったのう」
緊迫した空気をぶち壊すのは、やはりアドルフだ。顎鬚を摩りながら朗らかな笑みを湛えながらやって来る。
「いや……まぁ、そうだな。思ったよりも手こずったかも」
「お? どうした? やけに素直ではないか。怖気づいたか?」
「ん~まぁ正直ビビっちゃったかな……はは」
未だ震える手を見詰めながら答える。どんな形であれ、命を刈り取ることに後ろめたさや、罪悪感が心の中にあるのは確かだった。
「やらなければ、やられる。そういう世界じゃ、ここはのう。割り切るしかあるまい。……じゃが、いついかなる場合であっても生命を殺すという事は罪深い。それは忘れてはならんぞ」
「……ああ」
「心を押し殺してはならんぞ? 清濁全て飲み込むのじゃよ」
アドルフは優しい手つきで俺の頭を撫でた。そして、ぽんぽんと慈しむかのように軽く叩くと、斃したゴブリンの亡骸を見やる。
いつも柔和な微笑を絶やさないアドルフにしては珍しく、厳しい顔つきだ。
「どうかした? やっぱりヘタクソだったよな」
「いや、そうでない。まぁ確かに児戯にも等しい戦いぶりであったのは間違いないが」
おい。言いたい放題だな、おい。
「ちと気になることがあってのう」
「気になること?」
「うむ。ゴブリンという種は、群生生物であってのう。常に団体行動を取り、単体での行動は避けるものなんじゃが……。はぐれだけでも随分と珍しい。それに此奴は蹴撃に対して迎撃してきたじゃろ? 大抵のゴブリンは、はぐれであれば、奇襲を受けると即座に撤退していくのじゃよ」
訝しんでいたアドルフだったが、気にしても仕方がないとばかりに、軽く頭を振るう。
「まぁ良い。こんな時もあるじゃろうて、分からんことに何時までも囚われても非生産的じゃな。ところでゴブのすけよ。明日からはゴブリン狩りと並行して魔法も訓練していくぞ」
「だから俺はリュウヤだって――え? 魔法教えてくれるの?」
この一週間、地味な基礎訓練ばかりで、魔法については一切教えて貰えていない。いくら頼んでも頑なに『まだ早い』と首を縦に振らなかったのにどういう風の吹き回しか。
「何じゃ? アホ面晒しよって。魔法は馬鹿では扱えんぞ」
一言というか二言ばかり多いよ。つか、そんなアホ面してるの? 俺って……。
「俺、あんまり頭よくは無いけど、頑張るさ。魔法が使えるんだから」
「うむ。その意気よし。ならば、今までの訓練も増やすとするかのう、ほっほっほ」
……魔法を教えて貰う変わりに訓練量が増えたみたいだ。




