第二四話 旅立ち
「アドルフッ!?」
慌ててアドルフの元に駆け寄る。
血だまりに沈むアドルフの表情は、青を通り越してもはや白くなっていた。
「おい、しっかりしろッ!」
焦点の合わない瞳。浅く短い呼吸。俺は必死に呼びかけ続ける。
血の染み込んだローブは重い。捲り上げると、そこには腹に空いた大穴が。とめどなく溢れる鮮血が、容態の悪さを物語っている。
「薬水……薬水はどこだッ!?」
魔法鞄を見つけると、中身をぶちまけるかのように薬水を探す。
「リュウヤさん、起きたら草原が無くなって――アドルフさんっ!?」
ソフィだ。ずっと意識を失っていたが、今目覚めたのだろう。状況に戸惑っているが、説明している暇はない。
「ソフィ! とにかく手伝ってくれ! アドルフの血が止まらないんだ! 圧迫して止血してほしい!」
口早に告げると、ソフィは慌てて駆け寄り、両手で傷口を抑え付けた。
「グッ」
「ごめんなさい、アドルフさんっ。痛むとは思いますけど、我慢して下さいっ」
呻くアドルフに、泣きそうな顔でソフィが謝っていた。
その間、俺は必死に薬水を探し――見つけた。
意識が曖昧なアドルフに飲ませるのは不可能。俺は患部に薬水をぶちまけた。
「ソフィ、どうだ? 血は止まったか?」
「は、はいっ! 血は止まったようです。で、ですが……」
ソフィは口籠った。止血には成功したものの、未だアドルフは虚ろな目をしている。予断を許さない状況には変わりない。
「アドルフ! しっかりしてくれッ! 薬水を飲むんだッ!」
俺はアドルフの口許に薬水を近づけ、強引に流し込む。しかし、もはや嚥下する力さえ残っていないのか、頬を伝い零れていく。
頼む……頼むから飲んでくれ……。
胸が締め付けられる痛みを感じながら、それでも俺は薬水を飲ませ続ける。
と、不意に止めるように俺の腕が掴まれた。しわがれた手……弱々しくも俺の腕を掴んだのは、アドルフだった。
「アドルフッ!」
虚ろな瞳が俺へと向けられる。そして、青くなった唇が微かに動いた。
「もう……よい……儂は……もう……」
「何言っているんだよッ。全然よくなんかないッ! 諦めんなッ!」
現実を否定するかのように俺は叫んだ。俺は諦めない。絶対に。
もう一度、薬水を……。と、またしても腕が掴まれる。
今度はソフィだった。悲しそうな表情で、ソフィは静かに首を横に振った。
薬師の彼女が示したその仕草の意味……即ち、もう助からないと言っているのだ。
その意味を理解した瞬間、胸が張り裂けそうな痛みが。
「そんなの……嫌だよ……嫌だ……頼むから……お願いだよ……アドルフ……」
滲む視界。震える声。息が詰まるような苦しみが涙となって溢れ出す。
「なぁ、ソフィ……お前、薬師だろ? どうにかできないのか……?」
「……」
ソフィは何も答えない。
「ラファ……いつも俺の窮地を救ってくれたよな? 今度も助けてくれよ……」
《……》
ラファも何も答えなかった。
「アドルフ……いつもの悪ふざけだろ? 俺には判ってるんだ……なぁ、そうだろ? そうだと言ってくれよ……頼むから……」
震える手でアドルフの頬を撫でた。伝わる冷たさが非情な現実を突きつける。
「ゴブのすけ……よ……すまぬ……な……」
「何で謝るんだよ。これからもずっと俺に魔法を教えてくれるんだろ。まだまだアドルフに教わらないといけない事が――」
不意に両肩に添えられる手。振り返れば、ソフィが俺の肩を抱いていた。
「リュウヤさん、聞きましょう。アドルフさんの最期の言葉を」
ソフィが優しく言い聞かせるように言った。
《マスター、お辛いでしょうが、ご老人の言葉を聞きとげるべきです》
ラファもそんなことを言う。
俺は滲む視界で、アドルフを見やる。
年月の長さを物語る深い皺。白くなった眉と髭。アドルフは柔和な微笑みを浮かべていた。
「ゴブのすけ……いや、リュウヤよ」
アドルフが初めて俺の名を呼ぶ。
「お主と……過ごした時間は……短きなれど……とても充実した……日々であった……」
異世界に召喚され、初めて出会った人――アドルフ・フォーミラー。小鬼族になってしまった俺に優しく手を差し伸ばしてくれた、恩人であり、俺の師匠。
「弟子にしろと……言われた時は……心底……驚いたのう……じゃが……お主を弟子にして……正解じゃった……お主には……火の意志を……継ぐ……器がある……」
弱々しく上げられたアドルフの手。俺はそっと両手で包み込む。と、暖かなものが流れ込んできた。
《特殊能力「火の意志」を取得しました》
ラファからスキル習得報告を受ける。
「これは……?」
「それは……「火の意志」……連綿と……受け継がれる……想いの結晶じゃ……いつの日にか……芽吹き……花を咲かせることじゃろう……」
そう言うと、アドルフの手から力が抜けていく。
「リュウヤよ……迷うな……強くあれ……前を向き……進むのじゃ……さすれば……きっと……お主が望む……未来が……待っていよう……」
アドルフの瞳から徐々に光が消えていく。
「天から……見守って……おる……ぞ……お主……の……行く末……を……な……」
するりと抜け落ちていくアドルフの手。
「アドルフ……? アドルフ~~~ッ!」
俺はいつまでも、いつまでも、名を呼び続けた。
乾いた風が吹き抜ける。激しい戦闘の爪痕を残した草原には、慟哭だけが響いていた。
◇
「リュウヤさ~んっ。準備出来ましたよぉ~。どこに居ますかぁ~?」
「ソフィ、こっちだよ」
あれから数日が経った。村を襲った魔物の大群を退けた俺とソフィは、村人たちから激しく歓迎を受けた。ミンナも俺とソフィの無事を泣いて喜んでくれた。
ただ、アドルフは亡くなってしまった。そのことは村人には伝えていない。彼らには『アドルフは隣国カトレアを救援に急ぎ出立した』と伝えた。
英雄〝炎帝〟の死は、余りにも衝撃が強過ぎるのだ。村人が明日を生き抜く力を失わない為にも黙っておくことにした。ソフィとラファ、そしてミンナと相談した末に出した結論だ。勿論、ミンナにはありのままの事実を伝えている。
「あ、リュウヤさん。ここに居たんですね。わたしも挨拶をしとかないとっ」
隣に並び、屈んだソフィはそっと目を閉じ、手を合わせた。目の前には、無骨な丸石――ソフィの母、セシルの墓。
「お母さん、行ってきます。それと――」
そして、もう一つ。隣に並べて建てた真新しい墓。
「アドルフさん、リュウヤさんと頑張ってきます。お空から見守っていて下さい」
そう、もう一つの墓はアドルフのもの。〝炎帝〟アドルフ・フォーミラーの墓には、相応しくない場所かもしれないけれど、俺たちはここに埋葬することにしたのだ。ミンナに事のあらましを伝えたのも、墓守を兼ねてもらう為である。
「よしっ。別れの挨拶も済ませましたし、行きましょうか。リュウヤさん」
「うん、そうだな」
俺は頷き、立ち上がった。
俺たちはこれから迷宮都市へ向かう。ずっと嘆き悲しみ、立ち止まっている訳には行かないからね。かねてから計画していた通りにすることにしたのだ。
「ん~やっぱり、見慣れませんね」
ソフィが俺を見て言う。
「そう? そんなに変かな? このローブ」
俺はアドルフが着ていたローブを拝借することにした。真っ黒なローブには、勿論魔術加工されていて、小柄な俺にも着られる。だけど、ソフィ的には似合ってないのかな?
「ローブじゃありませんよ。その角です」
ソフィが指差す先には一本の角。俺の額からはいつの間にか小さな角が生えていた。
「ああ~角か。進化して中鬼族になったら生えて来たんだよなぁ」
魔物の大群、そして魔人。いくつもの激闘を経て、俺は進化を果たし、中鬼族となっていた。
中鬼族は小鬼族の上位種。小鬼族よりも一回り大きく、額に一本の角を有しているのが特徴だ。等級はD+級と一段階上がっているが、そこまで強くなった実感は無い。まぁまだ下位種族だからな。
「正直、邪魔なんだよなぁ、この角。服を着るとき、引っ掛かっちゃうんだよ」
「ふふふ。まず、魔物が服を着ること自体がおかしいですよ」
「じゃあ裸でうろつけってか?」
「きゃ~、リュウヤさんの変態~」
楽しそうに笑いながらソフィは先に走っていった。
はぁ~……ホント、テンションが高いな。
《狼っ娘は本当に落ち着きがありませんね。はしたない。淑女というものはですね――》
あ~こっちはこっちで、いつもの小言が始まったよ。小言はいいけど、それ、俺にしか聞こえないからね。
《マスター、聞き手上手にならないと、異性からおモテになれませんよ》
やかましいッ、ほっとけッ! つか、今の俺がモテても嬉しくもねぇよ。
《いいじゃないですか、中鬼族の雌のハーレム。目指して下さい……プッ》
笑ってんじゃんかよッ!
「はぁ~……何だか出発前から疲れるわ……」
「リュウヤさ~ん、早く行きましょ~」
遠くで大きく手を振って俺を呼ぶソフィ。
「はいはい。今行くよ」
やけっぱちに返事をする俺。一抹の不安を覚えながらも、ソフィの元へ歩き出す。
ふと、立ち止まって振り返った。
「……行って来るよ、アドルフ」
愛用の杖が差されたアドルフの墓。もう一度、しっかり目に焼き付ける。
「リュウヤさ~ん、まだですかぁ~?」
「はいはい」
ふぅと一息。気を引き締めるかのように、両頬を叩く。
「よし! 行くか!」
俺は勢いよく一歩を踏み出した。前を向き、明るい未来に向かって。
一章『魔術師の弟子編』完結です!
幕間を挟み、二章へいきます!