第一七話 決別
ガンドレの一言によって高められていた空気が、瞬く間に鎮静されていく。
静まり返った一同。対して、アドルフは剣呑とも言える鋭い瞳をガンドレに注いでいた。
「確かに、貴方は勇者と共に勇敢に戦い、魔王の一人を討伐するという偉業を成し遂げた。まさしく世界の歴史の一頁に刻まれる素晴らしい偉業だ。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私も共に戦場で剣を振るっていたのですよ。当時は一般兵でしたが」
「……無論、覚えておる。若いながらも剣の筋は光るものがあったとな」
「それは光栄の極み。若輩者であった私を、栄えあるフォーミラー様に覚えて頂けているとは」
ガンドレはまるで役者のように、慇懃に腰を折った。それにアドルフは、ふんと鼻を鳴らす。
「何を言うか。お主は、あの大戦で凄まじい戦果を挙げ、めきめきと出世していったではないか。お主のような傑物を忘れる筈も無かろう」
「全てはお国の為に尽力したまでの事。……いえ、素直に申せば、当時の私には他の感情がありました。勇者と共に戦いたいと」
「フン、それも違うであろう。お主は勇者と共に戦いたかったわけではあらん。自身が勇者となりたかったのじゃろうて」
口をへの字にして、アドルフは不機嫌そうに言った。
「いえいえ、そのような大それたことなど微塵も思っておりません。ただ……勇者は魔王を討伐した際、元の世界に送還される手筈となっていました」
何気に有力情報だ。元の世界に戻る為には魔王を討伐しないといけないのか。
ただ問題なのは、俺は小鬼族としてこの異世界に召喚されたこと。正しく勇者として召喚されたわけでは無いし、果たして魔王討伐だけで元の世界に戻れるかは未知数。
まぁ今は兎にも角にも人間に戻ることが先決だけどね。
「勇者無き後、平和の象徴となるべきは貴方――フォーミラー様だけでした。私は貴方を支えたかった。貴方と共に聖国を守って行きたかった。それなのに……貴方は私たちを見捨てたッ!」
唾を飛ばし激昂するガンドレ。そして、感情を押し殺すかのように奥歯を噛み締める。
「見捨てたってどういうことだ?」
「いや、判らない。でも……」
「確か、その後“炎帝”が活躍したって話は聞いたことがねぇよ」
「俺もだ。正直死んじまったと思ってたぐらいだよ」
ひそひそと小声で話す騎士達。どことなくアドルフを見やる視線にも疑いが混じり始めているかのよう。
アドルフは閉口して弁明することは無かった。ただ黙してガンドレを見詰めるだけ。
「フォーミラー様が姿を消された後、聖国内部は大きく乱れてしまいました。本当に大変な時期だった。貴方にも理由があったのでしょうが、一度も私たちの元に戻って来ることは無かった。貴方が私たちを見捨てた事には変わりない。貴方は平和の象徴という重大な責務を放り出し、逃げたのです」
胸中に溜めた悲痛な思いをガンドレは吐露していった。
「今更、許してくれと謝るつもりは微塵も無い。儂には儂の役目があり、国内に留まる訳にはいかなかったのじゃ」
ガンドレの思いに、アドルフはそう紳士的に応えた。すると、ガンドレはスッと肩の力を抜くと、呟くように言う。
「……魔人ですか?」
「何故それを!?」
眼を見開き、驚愕するアドルフ。これ程までに動揺を露にするアドルフを、俺は見たことが無かった。
「貴方の情報は常に集めていましたから。貴方は我が国にとって必要な人材です。常に動向を調べ、所在が判り次第お迎えに上がる用意は常にしておりました。今、魔人を追っているそうですね。どのような因縁があるのかまでは掴めませんでしたが……理由をお聞かせ願っても?」
魔人……確か人族・亜人族が魔堕ちした者の総称だったな。魔力異常をきたし、完全に理性が崩壊する。そして暴虐の限りを尽くすと言われる生きた災害、それが魔人。
何故、アドルフが魔人を追っているんだ? というか、そもそもそんな話聞かされたことがない。俺もアドルフの言葉に耳を傾けるが。
「……すまんが教えられん」
アドルフは理由を明かさなかった。自身の手を見ると、グッと力強く握る。
「これは儂の罪であり、儂自身の手で処さなければならん」
「そうですか。まぁいいでしょう。ともかくここで貴方と再会したのは僥倖でした」
「……儂を連れ戻すつもりか」
途端に殺気立つ空気。最早、一触即発だ。俺も腰を落として態勢を整える。
しかし、ガンドレの答えは意外なものであった。
「いえ、そうではありません」
「ぬ? ならば何用か」
「素直に申せば、本国に貴方を連行したいのは山々なのですが……幾分、立て込んだ事情がありまして。フォーミラー様にもお力添えして頂きたいのです」
アドルフは注意深く探るかのように目を細める。
「……戦争する気ならば、手は貸さんぞ。無益ばかりか凄惨な結末しかない戦いなぞ、する気は微塵も無い」
「ふむ。私は聖国の版図を広げる為には、多少の犠牲は目を瞑るべきだとは思いますがね」
「小僧ッ!」
「まぁ落ち着いて下さい。今回は戦争の類では無く、立派な救援活動です。隣国カトレアに大量の魔物の襲撃ありとの報を受け、我々は救援に赴いたのです。国境付近の襲撃ともあり、先発隊として我が隊が出陣しています。迅速な行軍が必要不可欠ですから」
なるほど。こんな辺境に騎士団が訪れているのは、隣国カトレアに向かう道中だったわけだ。ここで補給を行い、国境へ向かう予定になっているのだろう。
だけど、誰が行軍計画を作ったんだ? こんな寒村で補給なんて出来る訳がないだろうに。
「魔物の総数は約千。大群ではありますが、我が隊であれば難なく駆逐できるでしょう。ですが、やはり大事な兵です。損耗は出来得る限り減らしたい。そう思うのは司令官として至極当然の事。そこで貴方――フォーミラー様のお力をお貸し頂きたい。万全に万全を尽くすのが、戦の常ですから」
そりゃあ魔王を討伐したアドルフが居れば百人力だろう。万全を期すならアドルフが赴くのも通りに適っている。だけど、アドルフが行くとして……やっぱり俺もついていくしかないか。
ソフィは……流石に連れていく訳にはいかないよな。まだ聖痕の手直しをして、一日しか経っていないし。
「えっと、ソフィは――」
「行きます。勿論、わたしも行きますからねっ。危ないから待ってろなんて言ったらダメですよ」
……あちゃ~……ソフィって言い出したら聞かない性質なんだよな。案外頑固者だし……。さて、どうするか。
「……一つ質問がある」
「何でしょう?」
「ここで補給して行くのじゃろ? この先に補給地点はあるのか?」
「この先、隣国カトレアまで補給地点はありません。魔物大群は国境付近に出現していますから、カトレアで補給するのも困難でしょう。ここで補給し、迅速に向かわなければなりません」
「して、ここで補給するとなれば、この村は飢えることになるぞ」
厳しい表情で問うアドルフ。
「今回、襲撃が予想されるカトレアの都市は交通・経済の要であり重要拠点の一つです。民も三千あまりと巨大都市であり、我が聖国もこの都市を失う訳にはならないのです」
いや、それって……。
「……村一つ犠牲にしても仕方が無いと?」
率直に聞き返すアドルフ。すると、背後で小さく息を飲む気配が。見ればミンアが顔面蒼白となり震えていた。そんなミンナを心配して、そっとソフィが寄り添っている。
ガンドレはミンナを一瞥し、しかし憮然としたまま言い放つ。
「我が聖国の至上命題は、全ての魔に連なる者をこの地上から駆逐することです。その為には、多少の犠牲もやむを得ません。しかし、彼女らの犠牲は、悲願達成の礎となるのです。無意味なものでは決して無い。新聖国ミリスシーリア国民であれば、誉れ高き所業であり、絶対の責務です」
……狂ってる。こいつらも、この国も狂っていやがる。
「ふむ、そうか」
一つ小さく頷いたアドルフは、振り返ってミンナを見る。
「お嬢さん、村の者を集めて、備蓄食料を全て集めるのじゃ」
「お、おい!? アドルフ、正気かッ!?」
突然のアドルフの暴挙。俺はすぐさま喰って掛かった。
「仕方が無かろう。補給しなければ、騎士団がずっと居座ったままになる」
「いや、それでも全ての食料を吐き出させるなんて、いくら何でも酷過ぎるだろッ! ありえねぇって、アドルフッ!」
詰め寄って、アドルフのローブを掴んだ。と、突如、満足げな高笑いが聞こえて来た。
「フフフ、ハッハッハハ。流石、フォーミラー様。貴方はやはり同志だ。大を救うために小を切り捨てる。やはりこの国には貴方が必要だ」
自身の主張が認められて満足げなガンドレ。だが……。
「何を言っておる? 儂は切り捨てるなど一言も口にはしていないぞ」
アドルフはちらりとガンドレを一瞥し、冷たい言葉を放った。そして、震えるミンナの元へ近寄ると、優しく声を掛ける。
「お嬢さん、何も心配はあらんよ。食料など、森の恵みがある。充分に備蓄が増えるまで、儂も手を貸そう」
「……フォーミラー様?」
未だ理解が追い付かないミンナ。アドルフに促され、呆けたまま立ち上がる。
「とにかく、村の全ての備蓄食料を集め、彼奴らにくれてやるのじゃ。そうせねば、五月蠅い小童どもがいつまでも居座るぞ。ほれ、はよせんか」
「は、はいっ!」
何だか判らないまま、ミンナはアドルフに押され、走っていく。……アドルフ、ちゃっかりお尻触ってただろ……。
「ということじゃ、ガンドレ。お主らの補給物資は直ぐに集まるじゃろうて」
普段のおちゃらけた雰囲気のままアドルフは言った。
一方、険しい表情を作るガンドレは、眼光鋭くアドルフを睨み付ける。
「……一体どういうおつもりか?」
「どういうつもりも何も、この村で補給するのであろう? それにちと手を貸してやっただけのことじゃよ」
飄々と答えるアドルフに、ガンドレの拳が強く握り締められ震え出す。
「それにのう。先程お主が言っていたではないか。『我が隊で難なく撃退出来る』とな。ならばカトレアの民はお主らに任せることにし、儂はここで困っている者に手を差し伸べようと思うが……どうかのう?」
「……聖国の意志に逆らうと?」
「逆らうも何も、現にこうして手を焼いてやったではないか。認めたくは無いが、儂も随分と年を喰った。激しい戦場で暴れ回れるほどの体力も無い」
いや、それは嘘だ。アドルフの全力を見たことは無いが、ソフィの術式改変の際に視えた膨大なあの魔力量があれば、十二分に戦力になるはず。
「そうじゃのう……儂の事は後方部隊とでも思っといてくれ。ここで食糧調達をし、皆の凱旋を心待ちにしておくよ。その時は宴会じゃな。ん~そうなると、かなりの獲物を捕って来なければならんのう。お嬢さん、ゴ――坊ちゃん。こりゃ中々大変じゃぞい」
えっと……坊ちゃんって俺の事……? 他人の目があって普段道理に呼べないからって、坊ちゃんは無いだろうよ、坊ちゃんは。
もはやアドルフは真面目に話し合うの止め、普段通りのおちゃらけた爺に戻っていた。
すると、ガンドレは……怖っ。顔を真っ赤にして般若のような顔になっちゃっているよ。額に浮かんだ血管……ブチ切れちゃうんじゃないかしらん。怒り心頭だよ、アレ……。
とはいえ、一軍を率いる大将だ。怒りを抑えるかのように、深く息を吐き出すと、徐に部下に指示を出した。
「……準備しろ。補給が済み次第、すぐに発つ」
威厳に満ちた声音に、部下はサッと返礼し、すぐさま行動を開始していく。
ガンドレは身を翻して背を向けると、アドルフを肩越しに見やり、小さく零す。
「……貴方には失望した」
侮蔑を含んだ瞳。されど言い様の無い寂寥が広がっている。そして、振り向きざまに微かに唇が動いていたのが俺にははっきりと見えた。
『……俺自身にも』
そう声にはならない言葉をガンドレは確かに言った。その言葉の中にどれ程の想いがあるのか、俺には判らない。だけれど、少なくともアドルフを心底敬愛していた事だけは伝わって来た。
遠ざかる大きな背中。アドルフは厳しい顔つきでジッと見詰め、そして最後に一言。
「……生きて帰って来るのじゃよ」
一瞬、歩みを止めたガンドレだったが、無言を貫き消えていくのであった。
◇
村人総出で補給物資がかき集められた。穀物類に干し肉、ドライフルーツと長期間保存が利くものが大半を占めている。塩など、欠かせない物資だけは騎士団自体で確保していたようで、何とか徴収を免れ、村人も安堵の息をついていた。
騎士団は補給を済ませると、すぐさま出立。馬蹄を響かせ、地平線へと消えていった。
騒々しく物々しい雰囲気も、今や元の長閑な寒村へと戻っている。だが、村人の顔色は晴れない。そりゃそうだ。皆明日をも知れぬ状況なのだから。
「あの……フォーミラー様」
不安げな表情のミンナだ。捨てられた子犬のように痛々しい悲壮感に包まれている。
「皆、とても不安がっています。フォーミラー様、皆に声をお聞かせ願えませんか。フォーミラー様に直接お声がけして頂けたら、皆の不安も少しは紛れると思うのです」
「ふむ。儂のような老いぼれが、どれ程皆の心を軽く出来るかは判らんが……まぁよい。皆が集まっている場所は……あの広場かのう?」
「はい、そうです。広場に全員集まっています。あ、案内します」
案内を申し出たミンナであったが、アドルフは彼女の肩に手を置き、押し止める。
「場所は判っておるでのう。案内は不要じゃ。ちょいとこっちのお嬢さんがキミに話があるそうでのう。ちと聞いてやってくれんか」
アドルフはそう言うと、ミンナの肩をポンポンと叩き、そのまま広場へと向かって行った。
残された俺たちは妙な緊張感に包まれる。原因はソフィだ。口をパクパクとさせ、上手く言葉が出て来ないようで、あたふたとしている。
すると、訝し気に眉を顰めていたミンナが躊躇いがちに口を開いた。
「えっと……どちら様ですか? 私に用があると……」
え……ミンナよ。それは流石に酷いんじゃ……。ほら、ソフィも絶句して――いや、そうか。今俺とソフィは認識阻害の術式が織り込まれたローブを纏っているんだった。
「ソフィ、ローブを脱いで」
「え? ……あ」
気付いたソフィは慌ててローブを脱ぐ。すると、ミンナは「まぁ」と口に手を添えて上品に驚いた。
アドルフは気休め程度と言っていたが、様子を見る限り、今の今まで気付かなかったようだ。
「えっと……ミンナさん……あの……その……」
「……」
何とか言葉を紡ぎ出そうと必死なソフィ。対してミンナはいつものように無言を貫いている。
あたふたとしていたソフィは、勢いよく頭を下げると振り絞り出すかのように、言葉を吐き出した。
「ミンナさん、今までありがとうございましたっ! わたし、ソフィはこの村から出ていきますっ! 寂しいですけど、これ以上皆さんにご迷惑をお掛けしたくはないんです! だから……だから……」
それ以上言葉は続かなかった。今ソフィの胸中にはいろいろな想いが荒波のように激しく渦巻いているのだろう。ぽたぽたと零れ落ちる涙がその証拠だ。
この別れの挨拶は、一方的なものだ。悪く言えばソフィの自己満足。当然、彼女自身、答えが返って来るとは思っていない。
それでもいいのだ。ソフィが前に進む為には必要な事だった。だったのだが――。
「そう……決断したのね、ソフィちゃん」
「ふぇ?」
突然の事に、ソフィは泣き腫らしたままの顔で呆ける。
「村を出るという決断はソフィちゃんにとっていい事だと思うわ。あなたは、この村……この国では、どうやっても幸せになれないのですもの。私は……ソフィちゃんには幸せになって欲しいと思っていたわ」
「……ミンナ、さん」
「ずっと力になれなくてごめんなさいね。ずっと冷たく接してごめんなさい。本当にごめんなさい」
ミンナはソフィに深々と頭を下げた。頭を下げる間際、彼女の瞳に光るものが見えたのは気のせいではないだろう。
「ミ、ミンナさんっ。そんなっ、頭を上げて下さいっ。ミンナさんが村の人たちに掛け合ってくれていたのは……わたし知っていますからっ」
今度はミンナが驚く番であった。
ミンナは表面ではソフィに冷たく接してはいたものの、その裏ではソフィの待遇の改善に奔走していた。それをソフィは知っていたのか。
「わたしの為に、本当にありがとうございますっ。わたし……すごく嬉しかったです……本当に……本当に……」
ミンナは「そう……知られちゃってたのね」と、目尻を拭いながら小さく呟いた。
「私からも言わせて。ソフィちゃん、いつも皆の為に傷薬、ありがとうね。すっごく助かっていたわ。これからソフィちゃんの傷薬が使えなくなるかと思うと、すごく残念で、寂しいけれど……私は、ソフィちゃんはもっと幸せになって欲しい。いや、もっと幸せにならないといけないのよ、あなたは。だから、ずっとずっと応援しているからね」
ミンナの暖かな気持ちを受けて、ソフィは瞳をうるうると潤ませ、
「ミンナさんっ!」
ガバッとミンナに抱き着いた。一瞬、ミンナは驚いたものの、暖かな微笑をもって迎えた。
「でも、いつでも戻って来ていいからね。あの家は私が責任を持ってみておくから」
「ミンナさぁ~ん」
わんわんと泣くソフィの頭を、ミンナは優しく撫でていく。
ふと、俺の方を見たミンナが躊躇いがちに口を開く。
「えっと、ゴブのすけさん? なのかしら、あなたは」
いや、ゴブのすけじゃねぇよ? 俺、リュウヤって名前がちゃんとあるんだけど?
今更弁解するのも面倒なので、何も言わず、さっとローブを脱ぐ。
「あぁ、やっぱり貴方だったのね。あの、一つだけお願いしてもいいかしら?」
お願い? 俺にか?
「ソフィちゃんの事、どうかよろしくお願いしますね」
あぁ~なんだそういうことか。なら俺が答えは一つしかないよな。
「ああ、任せろ」
俺は胸を張ってそう答えた。




