第一四話 母の墓
「なぁ、アドルフ。ソフィはどっちを選ぶと思う?」
ソフィは『外の空気を吸ってきます』と言って今は居ない。少し一人になって考える時間も必要だしな。
「さぁどうじゃろうな」
「何だよ。つれない返事だな」
「仕方なかろう。儂にとってあの娘が何を選んだとしても関係のないことじゃしのう」
そうは言うけどな、アドルフ。さっき結構真摯に語っていたじゃんか。ツンデレか、ツンデレ。爺さんのツンデレはちょっとキツイよ?
「てか、さっきから何してるの? ガサゴソしてさ」
アドルフは先ほどから鞄――魔法の鞄という魔導具らしい――を漁って何やら探している。
「ん? 何をと、薬水を探しているのじゃよ、薬水をな」
へぇ~随分とファンタジーチックな代物を探しているんだな。
「ソフィの封印にでも使うの?」
「いや、あの娘にではないぞ。アレ用には生半可な薬水なぞ使えん。しかし、あれ程の封印術式、見事としか言えんのう。複雑な術式もさることながら、綿密に緻密に計算しつくされておる。噂に違わぬ素晴らしい力量じゃな、あの娘の母君は」
アドルフが手放しで称賛するなんて珍しい。それくらい素晴らしい術式なのだろう。まぁおれにはさっぱりだけれど。
「あの術式に手を加えるのも骨が折れるじゃろうて。それに使う触媒も生半可な代物ではいけん。触媒の素材を探すのも随分と苦労したわい」
関係ないなんて言いつつ、しっかり準備していたんだな。ああ、そうか。この一週間アドルフが居なかったのも、その素材を手に入れに行っていたんだ。
「む、何じゃその生暖かい気色の悪い目は」
「いや、流石アドルフだな~って思ってさ」
「やめい。悪寒が走るじゃろうて。……おぉあったあった。ほれ、ゴブのすけ」
アドルフが鞄から取り出したのは、紫色の液体が入った小瓶。
「これが薬水?」
「さよう。大きな区分で言えばそうじゃが、これは二元薬水という。体力、魔力共に回復効果がある薬水じゃよ」
「へぇ~。てことは、体力だけとか、魔力だけ回復する物もあるの?」
「うむ。体力回復は青の薬水や上薬水。魔力回復は赤の魔素薬水とあるぞ。体力、魔力共に回復するのが、この紫の二元薬水じゃ」
ふむ、薬水にもその用途によって色々と種類があるみたいだな。覚えておこう。
「でもさ、俺別に魔力減ってないよ? 体力回復の薬水だけでいいんじゃないの?」
そう訊くと、アドルフは呆れたようにため息を吐いた。
「何を言っておる。お主、魔物じゃろうて」
「?」
「魔物の構成要素として、大部分を占めるのが魔素じゃ。魔物にとって負傷状態とは、魔素が不足している状態と言い換えてもよい。より早く回復する為には、多くの魔素を体内に取り込み、自己治癒能力を活性化させる必要がある。無論、魔素を取り込むのみで、体力が無ければ効果は薄いがな」
「あ~なるほど。だから体力、魔力共に回復できる二元薬水の方がいいのか、俺にとっては」
肯定する様にアドルフは頷く。そして瓶を机の上に置いた。
「……」
「ん? 何じゃ? 飲まんのか?」
「いや、あの……腕が折れていて飲めないんだけど。飲ませて欲しいかなぁ~なんて……」
「うむ、断る」
酷いっ!? 一考の余地も無く、即断されたんだけど!? 俺、怪我人。それも重傷だよ。優しくしてくれてもいいんじゃないかな……。
物欲しそうな目で見やるが、アドルフは完全無視。仕方無く、痛む腕を何とか駆使しつつ、二元薬水を飲み干した。
「おぉ~」
奥底から湧き溢れる活力に、思わず感嘆の声が口をついた。劇的な即効性があるわけでは無いが、細胞が活性化され、自己治癒能力が高められている。そんな感じがする。
「粉々に砕けてしもうた腕は直ぐにとはいかんが、二、三日程で完治するじゃろう。激しい運動をしなければ、動き回っても構わんぞ」
「わかった。ありがとう、アドルフ」
ふんと鼻を鳴らすアドルフ。ホントツンデレさんなんだから。
絶対安静では無くなったのは大きいな。ソフィが何を選択するかにもよるけど、どちらにしろ、彼女の訓練は行わないといけないしね。
さて、そろそろソフィの様子でも見に行くとしますか。
「んじゃあアドルフ、ちょっと様子を見てくるよ」
「うむ。ああ、そうそう。あの娘に言伝を頼む」
「うん、別にいいけど」
「ではあの娘に伝えてくれ」
少しばかり真剣味の帯びたアドルフが言う。
「そろそろ腹が減ったとな」
……おい。
◇
さて、ソフィはどこに居るのかな? 「魔力察知」を展開してっと……いたいた。
家の裏手、庭なのかな。そこにソフィは居た。何やら屈み込んで、佇んでいる。
ソフィの目の前には、無骨な大きめの丸石。何となく察せられる。多分、あれは墓石だ。
こちらに背を向けて、神妙な雰囲気を醸し出しているソフィの元に歩み寄ると、唐突に彼女は話し始めた。
「わたしは、ずっと守られていたんですね」
誰に、と言われなくても判る。
「ソフィがそう思うなら、きっとそうなんだろうな」
俺はそう返しながら、ソフィの隣へ。墓石の前には一輪の花が手向けられていた。
「……お母さんの?」
「はい。村の皆さんに手伝って貰って……ここに」
「……そっか」
もう一度、墓石を見やる。言い方が悪いかもしれないが、どこにでもありそうなただの丸石だ。だけれど、しっかりと手入れが行き届いているのが判る。
俺は目を瞑り、そっと手を合わせた。
「わたし……嬉しかったんです。アドルフさんに母の話が聞けて。本当に立派な人だったんだなぁって。……だけど、同時に恥ずかしくもなりました」
ソフィは墓石を真っすぐに見詰めて、言葉を、想いを紡いでいく。
「ずっと甘えていたんですね、わたしは……。ここには母との思い出があります。どれも楽しい思い出ばかり。優しい母の声。ニコニコといつも微笑んでいた母の笑顔。勿論、怒られた事もありますけどね」
ソフィは穏やかに微笑んでいた。
「いい母親だったんだな」
「母としても、ひとりの人としても……わたしの自慢の母です」
そして、少しばかり俯きながら続ける。
「そんな立派な人の娘なのに、わたしは……何も変えようとはしなかった。ただ暖かな思い出の中にずっと微睡んで……母の優しさにずっと甘えていたんだと……守られていたんだと……。いえ、今も守られているんですよね」
ソフィはそっと聖痕に触れる。
「事実を知って、なんでわたしがこんな目に遭わないといけないんだって思いました。こんな怖い力なんて要らない。こんなの呪いだって悲観しちゃったんです。情けない話ですよね」
グッと唇を噛み締めると、力なく弱々しく笑う。
「そんなことは、そんなことは無いよ、ソフィ。情けなくなんかない。怖くなっちゃうのも仕方がないんだよ」
ソフィはまだ一四歳の少女だ。突然、『村を襲った犯人はお前だ』なんて言われて、平静を保っていられる程、精神が成熟していない。怖くなってしまうのも、ごく普通の反応だ。
だけれど、ソフィは微かに首を横に振った。
「情けないですよ……アドルフさんにも怒られちゃいましたし」
え? アドルフに怒られた……?
「ずっと何も変えようとはしなかったわたしは、また逃げようとしたんです。もう嫌だって。だけど、アドルフさんは、そんな弱いわたしを許してくれませんでした。逃げるな、立ち向かえって……」
う~ん、アドルフ……そんなこと言ってたっけ? いや、ソフィにはそう聞こえたのか。
「でも、わたしにはどうしたらいいのか判らなくて……頭の中がぐちゃぐちゃになって……。けど、ここに来た時、何だが胸に閊えていたものが解けて消えていったんです」
「どうして?」
「どうしてなんでしょうね……わたしにもよく判りません」
え!? 判らないの!?
「はい。判らないんですけど……何となく心が軽くなったんです。……わたし、変ですかね?」
ん~どうだろ。まぁ確かに、ふとした瞬間、今まで散々悩んでいた事がすっと溶けていくかのような不思議な感覚ってあるよな。何故そうなったのか、よく判らないし、説明できないけど、腑に落ちる瞬間が。
「どんな力にもきっと意味がある。そうアドルフさんは言っていました。それに、この力は母が遺してくれたんだとも……。真実がどうなのかは判りません。判りませんけど……弱いままじゃあ、逃げてばかりじゃあ……もう嫌なんです」
さっと立ち上がったソフィは、大きく深呼吸をすると、俺に向き直った。
「わたし、決めました。前に進もうって。きっと母もそう望んでくれていると思うんです」
強い意志の光を湛えた綺麗な瞳。もう全てを諦めていたあの頃とは違う。やっとソフィは進み出したんだ。
俺が微笑むと、同じくソフィも微笑んだ。そして折り目正しく、頭を下げる。
「リュウヤさん、不束者ですが、よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ、な」
「はいっ!」
その笑顔は、大輪の華が咲き誇ったかのようであった。
「アドルフさんにもお願いしなくちゃですね」
そう言うソフィ。アドルフに……ん? 何か忘れている様な……。
「あ。そういえばアドルフに言伝を預かってたんだっけ?」
「言伝ですか? アドルフさんは何を言ってたんです?」
「ああ、なんか『腹が減った』って言ってたわ」
「そういえば朝から何も食べていませんでしたよね。そろそろお昼になりますし、すぐに何か用意しますっ」
確かに朝から何も口にしていないな。気付けば、腹がペコペコだ。するとグゥ~と腹の虫が鳴る。
「ふふふ。すぐに何か作りますねっ」
楽しそうに微笑んだソフィは、駆け足で家の中へと戻っていった。
一人残された俺は、ふぅと安堵の息を付く。
本当に良かった。ソフィなら前に進む道を選ぶって、信じてはいたけど。それでもちょっぴりホッとしたよ。
「……弱くなんか無いよ。キミは本当に強い子だよ、ソフィ。あなたもそう思いますよね」
供えられていた一輪の花が、優しくそよ風に靡いていた。
◇
昼食を摂った後、早速聖痕の手直しとなった。
まずは術式に必要な触媒の下準備からだ。アドルフは魔法鞄から次々と見たことも無いような物を取り出していく。
すると、突然、ソフィが大きな声を上げた。
「あぁっ!? な、何ですか、これはっ!? こ、こんな薬草、み、見たこと無いですっ!」
目を瞠って食い入る様に顔を近づけるソフィ。
見習い薬師であるソフィ曰く、ヒポクテ草に似ているらしいが……俺の知っている物とは随分と見た目が違う。
俺の知っているヒポクテ草は、紫の筋が入った笹の様な長細い草だ。だけれど、目の前に置かれたものは、完全に紫色で葉肉が厚い。素人目には全く別物に見える。
「ほっほ。これが本物のヒポクテ草じゃよ」
「え……でも、わたしがいつも使っている物は、ヒポクテ草じゃあ無いんですか!?」
「そうではあらんよ、お嬢さん。キミが普段使っている物もヒポクテ草で間違いない」
「で、でも……」
困惑気味のソフィ。アドルフはまるで孫娘を見るかのように、優し気に目を細める。
「ヒポクテ草はのう、魔素をその葉に溜め込む性質がある。それは知っておるのう?」
「は、はい、勿論知ってます。魔素を取り込む性質を持っているからこそ、薬水の素材になったり、傷薬として使えるんですよね?」
突然始まった講義に、ソフィは背筋を伸ばして答えた。
「うむ、そうじゃ。では何故、魔素を溜め込んだヒポクテ草が、薬水となり、または傷薬として効力があるのか判るか?」
「えっとそれは……どうしてなのでしょう? 考えた事もありませんでした。そういうものだと、ずっと思っていましたし……」
「そうか。無論、ゴブのすけは判るであろう?」
……いえ、判りません。
「何じゃ? 丁寧に教えただろうに。もう忘れてしもたか。お主の頭にはちゃんと脳ミソが詰まっとるのか?」
うん、酷い言い様だよね。
「お嬢さん、魔素とは何か、と考えた事はあるか? うむ、表情を見る限り、考えた事も無いのじゃろう、まぁよい。魔素とは、この世の全ての根源じゃ」
「世界の根源……」
「常に世界を満たし、この世を形作っておる構成要素の一つ。それが魔素じゃ。形ある物全てに魔素は深く関わっておる。道端の石ころにも、この机にも少なからず魔素が含まれておるよ。無論、生物にものう。それが顕著なのが魔物じゃ」
あ~思い出した。確かに以前、アドルフに魔素について教えてもらった事がある。
「ふむ。どうやらゴブのすけは思い出したようじゃな。さて、世界の構成要素である魔素じゃが……そうじゃのう、少し規模を小さくして考える方がいいじゃろうな。例えば……ゴブのすけに焦点を当てて考えてみるのじゃ」
その言葉を聞き、ソフィは俺を見やる。
「ゴブのすけはゴブリンという魔物じゃ。もし仮に、ゴブのすけの身体から全ての魔素が失われてしまったとすれば……どうなると思う?」
「えっと……魔素は形取る構成要素だから……えっと……存在を保てなくなる?」
「そうじゃ。重要な構成要素である魔素が喪失してしまえば、魔物であるゴブのすけは、存在を保っておられなくなり、融解してしまうじゃろうな」
え……何それ怖い。ドロドロに溶けて無くなってしまうの? そんなの嫌だ。魔素を、魔素を激しく渇望します!
「まぁ完全に魔素が喪失してしまうような事態は、死以外にはあり得んがのう」
ほっほと笑うアドルフ。何だよ、脅かしやがって。
「しかし、完全にとはいかないまでも、内包量が減少してしまう事はままある」
「あ、そうだ。魔力は精神力であり、体力でもあるから……内包魔力が減ってしまうと、体力が著しく低下しちゃいます。なるほど……外部から魔素を補充することによって体力が回復するんですね」
「うむ、そういう事じゃ」
ソフィの回答に、アドルフは満足げに頷いた。
「魔力は有限。使えばその分減るもの。お嬢さんの虚弱体質も魔力欠乏が凡その原因であろう。常に聖痕へと魔力供給を行っておるからのう」
ふむふむ。ソフィがあれ程までに体力が無かったのも、内包魔力が少なかったからなんだな。
「という事は、このヒポクテ草はソフィの内包魔力を回復させる為?」
「まぁそういう事じゃ。しかし、これは対処療法であり、根本的な解決にはならん。封印術式を手直しし、効率化を図らなければならん事には変わらんよ」
どちらにしろ、根本的な解決には聖痕の綻びを正すしかないのか。
「少しばかり話が脱線してもうたのう。さて、このヒポクテ草についてじゃったか。お嬢さんが普段採取しているものと形様が異なるのは、まぁ簡潔に申せば、魔素の含有量が桁違いに異なるからじゃ」
「つまり、魔素をより多く包括したヒポクテ草は、全てこのように紫色になるのですか?」
「うむ。より高濃度の魔素に晒され続ければ、この様な色合いとなるのじゃよ。無論、含有量も比例して増加しておる」
という事はだ。この周辺の魔素は薄いのだろう。どおりで、出会う魔物も低級ばかりだと思ったよ。
「さて、お嬢さんの疑問も氷解したじゃろうし、そろそろ取り掛かるとするかのう。お主らにも手伝って貰うぞ」
それはもう、モチのロンだ。
すると、ソフィは居住まいを正し。
「あ、あの~……その、よろしくお願いしますっ」
律儀に頭を下げた。そんな彼女にアドルフは優しく微笑む。
「ほっほ。確かに承ったぞ。何、この超高名な大魔術師である儂に掛かれば、ちょちょいのちょいよ。ほっほっほ」
……ホントに任せて大丈夫なのかしらん。心配になって来たよ。
とある人生ゲームにて。
「――3、4、5っと。ここか。何々『秘儀・三日連続投稿』? えっと効果は……『作者はストックが無くなった為、一回休み』!?」