第一〇話 碧の球体
ん……ここは……どこ?
「イテてて……」
痛む背を摩りながら立ち上がると、辺りを眺めた。
うん、やっぱり見覚えが無いな。ここはどこだ? 薄暗いし……なんだか洞窟みたいな所だな。
「確か、大猪と戦って、それで……」
そういえばと、目を凝らして探してみると……あった。頭部が潰れた大猪の遺骸。だけど、何故だかその体躯の半分が土に埋もれていた。
ふと、空を見上げてみると、思わず目を瞠ってしまう。
「……あの爆発で穴が開いたのか?」
上には夕暮れ空が覗く大穴が。無論、この巨大な地下空洞を開ける程の大爆破だった訳では無い。もしそうであったなら、俺は今頃ミンチだ。
偶然にも地下空洞の真上だったのだろう。何という不運。地上まで結構高いし……さて、出口はあるのかな?
取り敢えず、大猪の血抜きだけでも先にしとくか。土砂の中から大猪を引っ張り出し、一通り作業を行った。
よし、こんなもんかな。次は出口を探すとしますか。出口が埋もれてなければいいんだけどな。
通れそうな横穴が二つ。さて、どちらが正解か……。
「右だな。何となくだけど」
直感を信じ、右の横穴を進む。灯りとして火の玉を常時発動させておく。
道なりに進むこと数分。奥に淡い光が見えてきた。
「出口かな?」
道中、分かれ道なども無く、また魔物の気配も全く無かった。小迷宮かと密かにワクワクしていたけど、何の変哲もないただの洞窟っぽい。残念だ。
――なんて思っていたのは、ほんの僅かな時間だけだった。
「ほぇ~……何だコレ?」
嘆息してしまうのも仕方がない。そこは静謐で、清浄なる空気が漂う、まるで神殿の様な場所だった。
中央には祭壇が。そして、そこに祀られていたのは、空間全てを照らし出す碧の球体だった。
プカプカと浮遊し、まるで水面が揺れるが如く、胎動する碧の球体。
「こりゃあ、アドルフ案件だよな」
アドルフであれば、この空間について何か知っているかもしれない。でも、今アドルフはどこかへ出掛けたまま帰って来ていないんだよね。さて、どうしようか。
とにかく、もう少し近くで見てみたい。そんな欲求に突き動かされ、祭壇へと近づいていく。すると、キーンと耳鳴りが。
「ん? 何だ? 今何か……」
キーンと響く耳鳴り。だけど、不快感は無かった。そればかりか、その中に何か聞こえる気がする。
「何か……伝えたいのか……俺に?」
……判らない。けど、何かを伝えたがっている様な気がするのだ。
ただの勘違いなのかもしれない。これ以上近付くべきではないかもしれない。否定的な感情は確かにあった。だけれど、それ以上に行かなければならないと思わせる何かがあった。
俺はゆっくりと階段を上り、祭壇へ。浮遊する碧の球体は、明滅を繰り返す。
「……触ればいいのか?」
そう問うと、碧の球体は激しく胎動し、肯定するかのように明滅を速めていく。
何故だか緊張する。ゴクリと生唾を飲み込み、ゆっくりと手を伸ばし――そして触れた。
「――ッ!?」
瞬間、視界の色という色が白く塗り潰されるかのような閃光が。
そして、心の中に流れ込む何者かの感情。激流の如き感情――それは歓喜。
《……やっと……会えましたね……》
感極まるような鈴の音じみた声が脳裏に響く。
「誰だッ!? お前は一体……!?」
閃光の中、俺は叫ぶ。しかし、答えは返って来ることは無かった。
眩い光が徐々に収まり、視界が戻って来ると、ゆっくりと瞼を上げ……勢いよく目を瞠った。
「おいおいおい……一体どうなってるんだよ……」
混乱してしまう俺。仕方がないじゃないか。だって、今俺がいるのは鬱蒼とした森の中だったんだから。
ゴシゴシと目を擦ってみても、やっぱり間違いなくただの森だ。つい数瞬前までいた地下洞窟ではない。ワープ……なのか?
よく目を凝らしてみれば、周辺の風景に見覚えがある。というより、大猪と戦った場所だった。だが、空いていたはずの大穴は……無い。忽然と消えてしまっている。
「白昼夢……? いや、でも……」
それは違うと感覚的に理解させられてしまう。それに傍にあった大猪はしっかりと血抜き処理がされている。まず間違いなく俺が処置したものだ。
意味が判らないのに、納得してしまうという矛盾。
「ん~……何だか釈然としないけど……まぁいっか。無事出られたみたいだしな。それに随分暗くなってきちゃったし、急いで帰らないと」
遠くに紅い空が見えるものの、もうほとんど夜だ。ソフィも心配だしな。急いで帰らないと。
自分よりも大きい戦利品を無理やり担ぐと、家路を急いだのだった。
……碧の腕輪には気付かずに。
◇
大猪を無理やり担ぎ、急いで森を走り抜けた俺は、ソフィの家へ戻って来ていた。
「あれ? 扉が開いている……?」
見れば、玄関扉が外へ向かって倒れていた。
出掛ける際、しっかりと扉は戻した。ちゃんと記憶にある。ならソフィが出掛けたとかかな? けど、もう夜だし……こんな時間に外出することは今まで一度も無かったけど……。
完全に陽は暮れ、月光が降り注ぐ時分。
大猪はまだ外に置いておこう。ソフィをびっくりさせたいしね。というか、戸口には通らないし。
ドサッと担いでいた大猪を置き、家の中へ。そして驚愕する。
「何があった……?」
散々たる光景が広がっていた。椅子は倒れ、テーブルは砕け散っている。まるで空き巣が入ったかのような荒れようだ。いや、魔物の襲撃か?
「ソフィッ!」
声を荒げ名を呼ぶ。が、返答は無い。
開け放たれていたソフィの自室を覗き込むが、ソフィの姿は忽然と消えていた。
「クソッ!」
悪態を吐きつつ、家中を探し回るが……見つからない。よもや連れ去られてしまったのか。
こんな事なら狩りになんて出るんじゃ無かった。
焦り、怒り、そして後悔。
グッと奥歯を噛み締め、外へと飛び出した。
「ソフィ~~ッ!」
胸中に渦巻く感情が赴くままに叫ぶ。手掛かりは……手掛かりは何か無いのかッ!?
何ひとつも見逃さないと、目を見開いて周囲を窺う。すると、気付いた。
「あっちでもかッ!」
村の方向に、火の手が上がるのが見えた。暗闇に浮かび上がる不穏な赤い炎。
俺の直感が警鐘を鳴らす。あそこにソフィが居ると。
瞬間、俺は駆け出していた。
一刻も早く、一瞬でも早く。
「はぁ、はぁ……んぐっ……何だよ、これ……」
罵声、悲鳴、絶叫。小さな寒村は、至る所から怒号が飛び交い、阿鼻叫喚の地と化していた。
「おいッ! 早く向こうへッ! 女、子どもはすぐに避難をッ!」
「村の中央へ行ったぞッ! 戦える者は急げッ!」
「クソッ! まだ数日は早いだろッ!? 何があったんだッ!?」
「文句は後だッ! ユルドがやられたらしいッ! お前も早くッ!」
避難を促す者、迎撃に赴く者。村人が各々の役割を果たしている。
確かひと月前も魔物の襲撃があったんだよな。緊急時の対応は中々に早い。だけど……何だか戸惑っている?
いや、とにかくソフィを探さなければ!
「すまん、ソフィを見なかったか?」
近くにいた男性に声を掛けるが……。
「何言っているんだ、坊主ッ! 早く避難をしろッ!」
唾を飛ばし、避難を促す男性。あぁ、今の俺は小鬼族で小柄だ。正体を隠す為にフードを目深に被っているから、子どもと間違われてしまったのか。
「いいから教えろッ! ソフィはどこだッ!」
遥かに上回るテンションで言い返す。すると、凄まじい剣幕に気圧されてしまったのか、男性はたじろぎながらも、村の中心部を指差す。
「あ、あぁ、あいつなら中央に――」
言い終わる前に、俺は即座に中心部へと疾駆する。
「ちょっと、待てッ!? そっちは危ないッ!」
慌てて制止を掛ける声が聞こえたが、無視だ。とにかく急がなければッ!
中心部へと急ぎつつも、見落としがないように目を巡らす。が、ソフィは見つからない。
「……どこに居るんだよ、ソフィ」
苦虫を噛み潰したような声が口を衝く。
――あそこかッ!
貧相な武具を手にする男衆の後姿が見え――
「GAaaWOooNn!」
――大気を震わす大咆哮。凄まじい風圧、顔を守るように腕を翳す。
ヤベェ……吠えるだけで、この圧力かよ……大猪とは比べ物にならねぇ。
諸に直撃した村人は、凄絶な風圧にその身を吹き飛ばされていく。
そして、見えた。大咆哮を放った正体を。
「おいおいおい……マジかよ……」
背筋をゾッとさせる威圧感に、思わず強張った笑みが漏れ出てしまう。
王者の風格を纏わせる巨獣――月下獣『銀狼』がそこに君臨していた。
今年ももう一か月が過ぎたのか……早いですね。




