第十話 戦いと怒り、そして威圧
部屋の中には九体の鬼がいる。
汚らしい腰布を纏った緑色の子鬼。
見窄らしい布を纏った茶色の鬼。
そして薄汚れた鎧を着けた黒色の大鬼。
静謐な空間の中で、何も言わず、身じろぎもせずに俯いたまま立っているその姿は、まるで人形のようだと感じた。
ーーーこんな汚らしい人形に需要はないだろうけどな。
そんな事を考えながら、一歩一歩近付いて行く。
やがて鬼達との距離が10mほどになった時。
最奥に陣取る黒の鬼が、僅かな気品を感じさせる鷹揚さで、顔を上げた。
薄暗い部屋で怪しげに光る紅の双眸。
静かにこちらを見詰め、堂々と立ちはだかるその姿からは、確かな威厳と荘厳さを感じる。
俺は真理眼を発動させた。
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種族:ゴブリンロード Lv15
性別:雄
固有スキル
・統治者
特殊スキル
・絶倫Lv5
武術スキル
・体術Lv4
・剣術Lv3
称号
・第一階層の主
・小鬼を統べる者
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ーーー流石は階層主だな。
これほど高レベルのスキルを持っているのか。
それに固有スキルまで持っている。
固有スキル【統治者】
自らが率いる者を強化する。
率いる数によって、自らも強化される。
これは厄介なスキルだな。
周りのゴブリン達も、部屋外のそれとは違うという事か。
ゴブリンロードが何かを囁いた。
すると従者達が一斉に顔を上げ、各々武器を構えて戦闘態勢を取る。
その動きには一切の乱れもなく、まるで何処かの国の軍隊のようだった。
ゴブリンロードが手に持つ長剣を高く掲げる。
そしてまた、人間には理解不能な言語で高らかに声を上げた。
何を言っているのかはわからない。
それでも俺は、アイツが何をしているのかわかる気がした。
ーーーこれは宣告だ。目の前の敵に対する、統治者としての宣戦布告だ。
魔物でありながら、そこには確かに、敵に対する敬意と、戦いにかける誇りがあった。
先程は軍隊のようだと言ったが、今はむしろ騎士道を重んじる忠実な騎士に見える。
こんな場でありながら、俺はその姿に魅入っていた。感動していた。
戦いとはこうあるべきだと。これこそが誇りをかけた戦であると。魔物であるこの鬼が、俺に教えてくれているような気がしたのだ。
ならばそれに応えよう。全身全霊を持って。
若干汗ばんだ手で片手剣を握り締め、抜き放つ。
ゴブリンロードは長剣をこちらに向け、ただ一言、鋭く言い放った。
おそらくこう言ったのだろう。
「"さぁ、戦を始めよう"」と。
ーーーついに、両雄が動き出した。
ホブゴブリンとゴブリンがロードとの間を遮ってくる。
主に仇なす怨敵を、剣で、棒で、短剣で、返り討ちにしようと待ち構えている。
ーーーならばこちらから行ってやろう。
棒を突き出して警戒しているゴブリンに走り寄る。
ゴブリンもそれに呼応するようにして向かってきた。
ロードの固有スキルによって強化されているだけあり、確かに今までのゴブリンよりは速い。
ーーーしかし、それでもまだ遅い。
レベル数値で言えば、十分すぎる程のマージンは取っている。
スキルレベルでも圧倒的だ。
苦戦するはずもない。
攻撃を避けては首を斬り、胴を貫き、命を断つ。
時には殴り飛ばし、時には蹴り込み、時には踏み潰す。
常に動き回り、確実に数を減らす。
ゴブリンを殲滅するまで、そう大した時間はかからなかった。
残すはホブゴブリン一体。
振り下ろされた剣を横に避けて腕を斬り飛ばす。
返す刃で首を断ち切った。
その瞬間、背後に鋭い殺気を感じた。
咄嗟に前に飛び、転がって衝撃を分散させる。
素早く立ち上がって更に距離を取る。
ゴブリンロードが長剣を振り下ろしていた。
お互いに剣を構え、相手を睨みつける。
先に動いたのは、鬼の方だった。
ゴブリンロードはその長い腕を活かすように、横に切り払ってきた。
しゃがんで避けたところに、蹴り上げが飛んでくる。
よこに転がって蹴りを避けるが、今度はそこに剣を振り下ろしてきた。
避けることはできそうになかったため、下からの切り上げで対抗しようとする。
しかし、体勢が悪い上に、元々の体重差があるため、押し負けてしまう。
地面に押し付けられ、少しずつ相手の長剣が迫る。
それでも何とか押し返そうとするが、そんな力技ができるはずもなく。
もう後がないというところまで迫ってきた。
ここまで"死"を実感したことがあっただろうか。
胸の奥から何かが迫り上がってくる。
ーーーこれは恐怖か?いや、違う。
これは恐怖ではない。
ーーーならば何だ?目の前に迫る"死"という現実に対して、どうしようもなく湧き上がってくるこの感情は。
俺はこの感情を知っている。久しく感じる強い衝動。
ーーーこれは怒りだ。
ふざけるな。こんなところで終わってたまるか。地球には両親がいる。やっと話せるようになった近隣の人がいる。偶に餌をやってる野良猫がいる。俺の内面を認めてくれた年配教師がいる。
こんなところで。こんなところで死ぬ訳にはいかない。諦める訳にはいかない。
何がなんでも生き残る。食らいついてでも生き残ってやる。コイツを、この目の前にいる鬼野郎を、殺してやる。
頭を巡る強烈な負の感情。怒りと憎しみに満ちた生への渇望。
歯を食いしばって鬼を睨みつける。
もし願うだけで命を奪えるなら、それこそ何度殺しても足りないという程に、濃密な殺気を鬼にぶつける。
するとーーー
ーーー鬼が怯えた。
一瞬鬼がびくりとし、小刻みに体を震わせる。
長剣を持つ手には、先程までの力は入っていない。
俺はその隙をついて思い切り剣を振り上げ、無様に転がって鬼から逃げた。
立ち上がって距離を取る。
剣は手放してしまった。鬼の足下にある。
一体何が起こったのか。それを考えている暇はない。
何故かはわからないが、今のゴブリンロードは万全の状態ではない。
決めるなら今しかない。
素早く近付き格闘術にて攻撃を加える。
ゴブリンロードも剣を振るうが、そこに先程までの力強さは見当たらない。
攻撃を避け、ただひたすらに殴り、蹴る。
膝を蹴り込む。脇腹を殴る。水月を蹴り抜く。顎を振り抜く。足を薙ぎ払う。鼻っ柱に拳を叩きつける。
ただひたすらに。ただひたすらに攻撃する。
そして足下に落ちていた剣を拾い、胸を突き刺す。
それでもこちらに手を伸ばすゴブリンロードの後ろに周り、その首を斬り飛ばした。
ーーー勝った。生き残った。俺は今、生きている。
掴み取った生の実感。拳を強く握り締める。
こうして俺は、第一階層を踏破した。
ーーーあの時何が起こったのか。
今ならばわかる。
あれは、特殊スキル【威圧】が発動したからなのだろう。
何度も試して、それでも発動しなかったスキル。
おそらく威圧を発動させるためには、心の底から殺気を出す必要があったのではないだろうか。
今まで発動しなかったのは、そこまでの危機に陥る事がなかったからかもしれない。
いずれにせよ、そう簡単に使えるものではないようだ。
ステータスを確認してみると、【統治者】のスキルを手に入れていた。
今は全く使い道はないが、今後このスキルが役に立つ日は来るのだろうか。
今はまだ、わからない。
ともかく第一階層はこれで終わりだ。
ゴブリンロードが消えた途端、奥の壁に扉が現れた。
その扉を開けると、床に魔法陣のような模様が描かれている部屋だった。
これに乗ると第二階層に行けるのだろうか。
ーーー行ってみるか。まぁ大丈夫だろう。
俺はその魔法陣の上に乗ってみた。
すると、魔法陣が光り、何かが俺を包んだ。
景色が変わる。
石畳の部屋が、一瞬で木造の家へと変わった。
壁に『ダンジョン第二階層』と書かれたプレートが貼り付けてある。
どうやら、俺は無事二階層に来ることができたようだ。




