知っています。知っているのです。
「解放する代わりに…貴方の心を私にください。」
その言葉に驚き好奇な目で見てくる人々の視線さえ、今の私には気にならない。
私の視界の先にいるのは貴方だけ。
私の覚悟を感じ取ったのか、彼は一瞬息を詰まらせると泣きそうな顔で頷いた。
「私の心を君に渡そう。」
音も立てず私の前に跪くと、彼は瞳を閉じる。
その姿に反応したのは、彼の隣にいた少女だった。
「ユリアス様、そんな事をなさらないで!
貴方様の心は誰にも譲るべきものではありません!
さぁ、立ちあがってください。」
柔らかな金の髪をふわりと揺らし、若葉色の瞳を涙に濡らす「癒しの巫女」と名高い少女は彼に手を差し伸べる。
ーそれは、美しい光景だった。
奴隷と呼ばれる身分にいる彼を、一途に慕う少女。
身分を超えて愛し合う姿は、見る者を魅了する美しさを持っていた。
そして私は…そんな2人の仲を引き裂く悪い魔女。
それが世間での私達の関係だった。
ただ、求めた人が奴隷と呼ばれていただけなのに。
私が彼を奴隷として扱った事は一度もないのに。
世間は私を非難した。
私が魔術を得意とする一族の生まれだから。
彼が幼き頃に亡くなったとされていた、この国の第二王子だったから。
異世界から召喚された「癒しの巫女」が彼を愛したから。
私が…黒髪と黒い瞳を持っているから。
それは悪魔に祝福された証だと、住んでいた村を追い出され、信じていた彼に裏切られ連れて来られた隣国の城の中で、私は糾弾されている。
私は選択を迫られた。
彼を手放すか、処刑されるか。
彼の両親だと言う人達から、冷たい視線と共に投げかけられる悪意。
縋るように見つめた彼の隣には美しい少女。
交わった途端に逸らされる瞳。
生き地獄というのなら、それが今だと思う。
私は、何も、していないのに。
誰も味方のいない中、少しでも安らぎたくて、私は彼と過ごした日々を思い出していた。
死にかけていた彼を森で見つけ、一緒にいた兄と共に家に連れ帰り、家族と必死に看病した。
目覚めた彼の胸に刻まれた奴隷の印に、心を閉ざした彼の境遇を悟り、時間をかけて私達は心を教えた。
いつしか自然な笑顔を浮かべる彼を見て、喜んだ私の両親が彼の将来の為にと、一族だけが知る術を伝えた時も、その内容を誰にも漏らさない様にと口止めの術をかける時も、彼は全て納得して受け入れたのだ。
私達の許しを得なければ、教えた術の内容は誰にも言えない。
それを彼の心を操ったとして、私の家族が彼の家族に殺された事も、ここにいる人々は当たり前の事だと私に言う。操っていた私達が悪いのだと。
彼は私を助けない。
愛と言うには幼くて、恋というには激しすぎる。
そんな想いで私は彼の側にいた。
貴方は知っている。
自分の隣にいる少女が、誰を想っているのかを。
裏切られていると知っていて、貴方は彼女を愛した。
彼女は知らない。
自分が心を捧げている相手が、決して彼女を愛さない事を。
ただ、愛される日を夢見て、自分の事を愛する彼を利用している事にさえ気付かない。
私は知っている。
彼には伝えていない一族の最後の秘密。
精霊達の言葉で、私は全てを知っているのだ。
彼の企み、彼女の願い、この国の思惑。
私の家族も知っていた。
知っていて…死を選んだ。
全ては、私の、幸福の為に。
だからこそ、私は彼に願う。
私が、私達が与えた心を返して。
「私の全てを奪った貴方。他の誰が許しても私は貴方を許さない。」
騒めく周囲を片手で制すと、彼と私の視線が交わる。
「君が…いや、それでいい。」
私は彼の前に立つと、術を発動させる。
彼の額に指先で触れる。
ビリっと静電気にも似た刺激に指が震えた。
私達と過ごした日々で芽生えた彼の感情、彼に与えた一族の術、それだけを彼の心から切り離す。
全てが終わった後、私の手の平には赤い雫。
まるで頬を伝い、零れ落ちる涙の様に小さな欠片。
「…きれい…。」
彼の隣にいた少女の口から零れる感嘆。
それを隣で聞いていた彼は…苦笑していた。
心をなくした彼よりも、彼女は宝石の様に輝く彼の雫の美しさしか見ていない。何一つ彼の心配をしていない。それに、彼は気付いているのだ。
「彼の心は貰っていくわ。これは誰にも渡さない。
…私だけのものだもの。
空っぽな貴方はいらない。私に必要ない。」
両手で欠片をソッと包み込む私を、彼は見ていた。
その瞳からは何も感じられない。
「王の病を治す為だけに召喚された癒しの巫女。
王位継承の争いに巻き込まれた第二王子。
その争いを自分の子ではないという理由で、ただ見るだけだった王妃。
そして…誰も信用できない第一王子。
誰も助け合わない。助け合えない可哀想な人達。
私は…私達は貴方達を救わない。絶対に。」
私の言葉に部屋が静まり返る。
「黒の一族は…この国を救わない。」
振り向かず、私は城を後にする。
誰も私を追うことは出来ない。
私は黒の一族。黒髪に黒い瞳は悪魔ではなく…精霊に愛されている証だから。
彼のいる国を捨て私が向かった場所は、深い深い森の中。そこは人には辿り着けない神聖な森。
「ようやく決心したのか?」
出迎えたのは精霊の王。
人を捨てた私は、精霊の花嫁として生まれ変わる。
黒の一族の娘の中でも特に魔力の強いものが精霊の花嫁に選ばれる。迫害され、何とか生き残った最後の一族も、私以外殺された。守っていた人によって。
黒の一族は精霊の力を借りる事で、国を様々な厄災から守っていた。
それは王家に伝えられていた事だったのに、王家の人々は欲をだした。
その力を利用し他の国を操ろうとする者が、従わない一族を迫害する。
迫害された一族が去る事で、国が荒れる。
もし、一族がいたのなら、王が病になる事さえなかったと言うのに…。
奴隷の身に堕とされた王子は真実を知っていた。
知っていて、裏切ったのだ。
王子が生きていると知った第一王子が、彼を愛した癒しの巫女を彼に差し向ける。
愛されたいが為に必死になる少女に、彼は恋をする。
愛されないと分かっていても、愛してしまった相手の為に、彼は私達を裏切った。
その全てを、私達は知っていた。
知っていても抗わなかった。
ー絶望していたのだ。
彼に遠乗りに誘われた。雲ひとつない青空だった。
辿り着いた草原に流れる冷たい風が、家族の悲鳴を私に届ける。
「この景色を君に見せたいと思ったんだ。」
彼の体温を背中に感じながら、私は笑った。
「…きれいだね。」
目の前の光景は、私に家族の死を見せない為に、彼が考えた場所だと、私は知っていた。
殺されると分かっていて、笑顔で私を送り出してくれた家族。
最期だと分かっていて、泣いて縋りつきたい気持ちを必死に堪えた私。
家族の最期の別れに、泣きそうな顔で微笑む貴方。
遠乗りから帰ったら、家が壊されていた。
役目を果たさぬ扉の先には、血に濡れる愛しい家族。
泣く事も出来ず放心する私を、隣にいた彼が支え家族の側に誘導する。
まだ、彼らは生きていた。
「貴女だけは幸せになりなさい。私達の宝。精霊の愛し子を彼らは決して裏切らない。」
「私の愛しい娘。どうか幸せに…。」
「ずっと…お前の幸せを願っているよ。」
最期に母は微笑み、力を振り絞り私を抱きしめた。
父は私の頭を優しく撫ぜた。
兄は私の頬に優しく口付けた。
彼らから流れる血が私の服を染める。
赤いそれは時間と共に黒くなっていった。
彼は、見ていた。
母が、父が、兄が息絶える所を。
私の右手を握りしめながら見ていた。
その手は…震えていた。
彼の心が教えてくれる。
彼も私達を想っていた事を。
彼も私を想ってくれていた事も。
悩み、苦しみ、それでも私ではなく巫女への想いを優先した事を、私の中で溶けた彼の雫が教えてくれた。
精霊の王は、彼の心を飲み込む私をとめなかった。
じわり、じわりと染み込んでいく悲しみが、どちらのものか分からなくなっても、王は私を見守るだけ。
「満足したか?」
全ての心を知る頃に、王が私に尋ねる。
「はい、はい…。満足しました。
やっと納得する事が出来ました…。
私の想いは…愛でした。愛なのです。
決して実る事などないのだと、彼の心を理解しても。
それでも彼が愛しいと私の心が言うのです。」
ぽろぽろと、私の頬を涙が伝う。
「ならば、想えばいい。悲しみも苦しみも愛しさも…全てがお前を彩るもの。私は、それを否定しない。」
王は優しく私の右手を握ると、口付けを落とす。
「我らは、お前を裏切らない。
黒の一族は我らのもの。その魂も我らと共に…。
もうすでに、お前の家族は生まれ変わっている。
お前も…共にいこう。」
知っています。
王が私を愛している事を。
私を逃さぬ為に、一族の魂を縛っている事を。
私の家族も知っていました。
王が私を愛し過ぎている事を。
だからこそ、彼らはユリアスに一族の術を教えたのです。私を王から逃がす為に。
彼に裏切られた私に、王を拒む理由はありません。
私を慕う精霊が、王の狂気を教えてくれていても。
その精霊達が、王に消滅させられていても。
私には、逃げられないのです。
本来なら人の身のまま精霊の花嫁になり、散っていく歴代の花嫁達と違い、私は精霊の王の花嫁になる為に、人の身を捨て精霊に生まれ変わるのです。
あぁ、声が聞こえる。
愛した女性に裏切られ、第一王子によって民の前で処刑される彼の声。
愛した王子に裏切られ、癒しの力だけを得る為に地下に幽閉される巫女の泣き声。
王妃に裏切られ、愛していた側室に毒を盛られ苦しむ王の声。
王に裏切られ、愛し合っていた愛人に胸に剣を突き立てられ泣き叫ぶ王妃の声。
精霊が、私に教えてくれる。
彼が、あの時に言いたかった言葉さえ、私は知ってしまった。
「君が…ただの人の娘なら、愛せたのに。」
最期に呟いた彼の声は…私に届いていた。
知っていた。私は知っていたのだ。
確かに、彼が、私を愛していた事を。
報われぬ想いが、彼が巫女を求めた切っ掛けだった事も、私は知っていたのだ。
王族に生まれた彼は、精霊を裏切れない。
裏切れる人ではなかったのだ。
愛してはいけない。
その想いが、彼に私を裏切らせた。
一族の娘に生まれたから、彼を助ける事が出来た。
一族の娘に生まれたから、精霊の王は私を求めた。
一族の娘に生まれたから、彼と愛し合えなかった。
一族を愛し、一族を求めた精霊達の愛が私達を追い詰めた。
私達は知っている。
狂気さえ感じる愛が、彼らにとっての真実の想いだと、私達は知っているのだ。
消滅させられた精霊達によって教えられているから。
私は人を捨てた。
一族の娘として生まれ、奴隷として堕とされた彼と出会い、裏切られ、私は人を捨てた。
一族の娘として縛られ、愛し合う事も許されず、私の為に彼は私を裏切り、私に人を捨てさせた。
貴方は私に心をくれた。
記憶はなくならなくても、私を愛した心は消えた。
心をなくした貴方は、教えた一族の術もなくした。
第一王子と取引が出来る材料をなくし、愛した少女も命も彼は失った。
第一王子に彼の居場所を教えたのは、人に姿を変えた精霊の王。
病に苦しむ人間の王様に異世界の存在を教えたのは、私を精霊の花嫁にする為に王を慕う者達。
異世界に連れてこられ泣く巫女に、優しさと言う罠を仕掛けたのは精霊に操られた第一王子。
私に興味を持ってしまった第一王子も、国と共に滅ぶだろう。
「お前の隣には私がいればいい。その心を癒せるのは私だけだ。」
精霊の世界に私を誘いながら、王は囁く。
ーようやく手に入れた。
知っていたのです。私の心を操れなかった貴方が、私の周りを壊していく事を。
人としても生きたいと願ってしまった私の為に、家族が貴方に逆らった事も、私は知っているのです。
ユリアス…私の愛した人。
人であった私の愛は貴方のものです。
誰にも渡さない。
貴方の心と共に私の心も生きている。
貴方を愛する私のままで、私は人を捨てるのです。
どうか愛しい貴方。
生まれ変わったら幸せに…。
貴方の心を受け取った時に、貴方にかかった呪いは解きました。貴方は今度こそ自由なのです。
私は…私の全てで王の愛を受け止めましょう。
今度こそ、誰も不幸にならない様に…。
この私の決意を王が知っても、私は変わらない。
いつか、本当に愛し愛される時に、私も許せる日がくる事を願って…そろそろ旅立ちましょう。
あぁ、声が聞こえる。
貴方だけが知る私の名前。
貴方が私に名付けてくれた大切な名前。
呼んでくれている、求めてくれている。
魂になった貴方の声が私に届く。
愛しています。私も貴方を愛しているのです。
だからこそ、私は貴方に答えられない。
愛する貴方…どうか幸せに…。
貴方を想い流した涙が、貴方の魂に寄り添い、生まれ変わった先で愛し合う事を私は知らない。
私の全てを欲しがる王は知らない。
消滅させた私を慕う精霊達が、散り散りになった魂を集め一つになり、私の心の欠片を彼の魂に送り届けた事も、生まれ変わった先で家族として私を守っている事も、王は知らない。
精霊に生まれ変わり王に愛される日々を送る私の夢の中で、生まれ変わった彼と私が幸せに暮らしている事を知らさせるまで、私も知らなかったのだから。
それを知る術のない王は知らないまま。
人であった頃には得られなかった幸せがそこにはあった。少しの悲しみと、報われた喜び。
思い残す事はなくなった。
彼の幸せが私の幸せになったから。
「これで…貴方を愛せそうです。」
私の隣で眠る王に口付けを。
共に暮らす内に、私の絶望を知った貴方が後悔しているのを、私は知っているのです。
貴方がした事は許されない。許してはいけない。
だからこそ、彼を愛した私のままで、これからは私を愛する貴方を、私も愛していきましょう。
貴方の檻の中で…。




