第18話 ~東の戦い~
俺は解雇された身なので――身分的に奴隷だし――奥さんが外に出してくれないし――仕方なくベッドで休もうとしていた。しかし、やはり休めなかった。事実上の無任所大臣であるフィアから送られてきた政治状況と情報の要紙によれば、エドが逃げ出し――視察に出たらしい。そもそも機密なのにこの紙が俺の家まで運ばれるのもアレだし、一緒に各役所の役人が仕事ごと付いてくるのもアレだし、それが「陛下の命により」とか言うのもアレだし、丸投げされて逃げられないし。
「アルマさん、緊急のやつ以外は追いだして欲し――」
杖をつきながら肩に手をやろうとして、体勢を崩して後ろからもたれかかってしま――
「あっ」
え? 何? 睨まれているからとりあえず謝れば良いの?
「ごめんなさい」
「もう。まだ……気をつけて下さい」
そうなの? そのまま後ろから抱きしめたら彼女の体から力が抜けた。振りかえった顔は涎を垂らして今にも襲いかかりそうだったので慌てて客間に退却した。
「食われる食われる食われる」
草食動物に食われる。食われる。しまった、声に出てた。
「私を何だと思ってるんですか!」
ぴぎゃっ! しかし……最近落ち着いて来たようで……良かっ……た……。
「ぐはっ」
「はいはい。ベッドに戻りましょうね」
仕方ない。せっかく首になったんだし、商売の手伝いでもして稼ごうか。稼いで、ディナーにでも誘おう。給料が税金じゃないから、彼女を気兼ねなく誘える。あ、店から切り花を排除してもらわないと……真っ二つにされた植物を見て彼女が貧血を起こすので。と、その前にアヴァリス―バビロニウス決戦の報告書を読むか。
~バルトより遥か東、アヴァリスとバビロニウスの戦域~
ここで、補給線をずたずたにされながらも相次ぐ戦勝に戦意高まるアヴァリスの軍と、予定の後退を終わらせて体制と補給、動員体制が整ったバビロニウスの軍による決戦が、行われようとしていた。
眼前に広がる熱い荒野は、強烈な太陽によって人間ごと焼きつくすかのようだ。
「アヴァリスの軍をここで食い止める。配陣はホセとジューリオ率いる騎兵隊がここと――ここ」
簡単な机の上に広げた地図の場所を指す。
「アレハンドロの隊はこの場所だ。ここの谷合は風が強い。この個所からこう移動して来る敵に矢の雨を降らせる突破されたら好きに動いてくれ」
「最高の指示だな」
「ジョセフとフェルナンドはこの本体のここから指揮に従ってもらう」
「了解」「はいはい」
「ベルルムは敵右翼をこの個所まで敵を誘致して欲しい。その後は、本体に続いて戦争の犬を解き放て」
「おい、名前に丁度いい役じゃないか」
粗野な笑い声が響く。
「こちらの準備は万端だ。もうすぐワイバーン隊も戻ってくる。その前に蹴りをつけるぞ。あいつらにばかり良い目を見させてやらないからな」
「もちろんだ」「やっと暴れられる」「ぶちのめしてやろう」我慢し続けて溜まった爆弾が爆発しようとしていた。
老練なヨハネ司令官の元で疲労しながらも未だ士気の高いアヴァリス軍でも、決戦を前に会議が開かれていた。ヨハネがしゃがれ声を出す。
「敵の精強なワイバーン隊は今囮の部隊に引っかかっているはずだ。そこで、彼らが来る前に戦闘の決着をつける」
各地から集められた軍人――軍として精鋭の人員――たちから選ばれた指揮官全員がうなずく。
「兵力は5倍に達するが、こちらの疲労と彼らの準備から見て、2倍程度の優勢だろう。それでも十分だ。この戦いに勝てば軍事拠点としての最要衝を制する事になり、我らは別の方面に向かう事が出来る。聞けばバルト方面では撤退を余儀なくされたようだしな」
親衛隊を含む部隊が破れた事に驚き、彼らも息を飲み込む。横から軍観として同行している司教が口を挟んだ。
「早く彼らの元へ向かう必要がある。長期戦を避け、目の前の異教徒を踏みつぶし、神を裏切ったバルトに神罰を与えなくてはならない」
そのくらいにしておけと言うように、ヨハネ司令が手で話を遮る。
「こちらには本国から新鋭のガルーダ隊が到着した所だ。彼らのワイバーン隊に匹敵する空戦隊だ。彼らにも空が自分達だけの物ではないと教えてやろうではないか。ヤコブは右翼、マタイは左翼だ。他に……」
12に分けられた各部隊の配陣が述べられ、攻勢発起点へと遅滞なく移動していく。グロリアの神聖さを表現するかのごとく、見事な歩騎連合、全騎兵、弓兵、派手な色で飾られた重装歩兵、槍兵が整然と動く。馬の嘶きと人の静寂が美しい対称をなし、ただ動物の作りだす無言のざわめきによって戦場が満たされていく。
「配陣完了ですな」
司教――ルードヴィヒ司教の言葉にうなずく。
「異教徒を地獄に落とせ。攻撃開始だ」
かくして静かに戦端は開かれた。
押し寄せる砂のごとく無数のヒトの数に、バビロニウス軍総司令官カルロスも圧倒されそうになる。
「攻撃が開始されました!」
報告より叫びに近い言葉を受け我に帰ると各隊に命令を下す。
「向こうの行動は予定通りだ。さて、決勝点に何を持ってくるのか。フェルナンドに侵略者を追い返すように言ってやれ」
地理に詳しく、この辺りの出身が多いフェルナンドの隊はアヴァリスの隊より遅く行動を開始し、アヴァリスの隊より早く有利な拠点を占拠する。数に勝り、連勝に熱狂的な士気となったアヴァリスの軍隊が正面からぶつかってくる。戦闘開始からいきなりの激戦に、フェルナンドは懸命に指揮を執る。前線で本人も戦いに参加しつつ指揮を執る離れ業を演じてのける。
「押し返せ! ここを取られるな!」
正面戦場は激しい戦闘を繰り広げながらも膠着状態に陥った。
マタイの左翼軍では、他の軍の展開位置と異なり、地形が険しく軍の展開に限界がある戦場を嘆いては居なかった。険しい地形に阻まれるかと思いきやむしろ、他の戦線よりも有利に運んでいた。
「攻撃する必要のない拠点は無視しろ! 固い拠点はガルーダ隊が空から攻撃する!」
ガルーダに乗る兵からの毒矢の攻撃中は各兵たちの動きが混乱する。その隙に部隊を一気に投入して道を開き、小賢しいが無視できる拠点は大軍の利を生かして後続の部隊が張り付いて抑え込む。それによって次々と固く守られた拠点を破壊、あるいは迂回してかなりの速度で突破していた。
バビロニウス軍は焦っていた。
「縦深防御がアダとなったか」
最も固いと思われていた右翼側が崩壊の危機にあるためだ。こうなれば、左翼軍に勝利を急いでもらうしかない。
「もう少し敵を疲労させたかったが……右翼各隊に伝達! 『ルビコン川が氾濫した』とな。タイム、『ZERO』だ。 mission 18スタート」
バビロニウス左翼軍の統括指揮を行う予定のベルルムは報告に驚く。
「馬鹿な! まだ機は熟していな――良いだろう。この私が戦争を決めてやろう。攻勢準備だ急げ!」
予定よりも早い反撃準備の連絡に各隊は混乱しながらも配置を変え、これまでのバラバラな指揮系統と行動がベルルムの元へ一元化されていく。
「右翼よ、持ってくれ……」
ベルルムはこの時初めて――今まで無視してきた――神に祈った。
ヤコブの指揮する右翼軍は順調に歩を進めていた。一つにはバビロニウスの左翼軍が各民族部隊からなる寄せ集めの動きだったからだ。
「左翼は勝利しつつあるぞ! 遅れをとるな!」
寄せ集めを相手に調子に乗ったアヴァリス右翼は、攻勢を強める事によって罠により深く嵌りつつある事に気が付かなかった。
そして――
「間にあったぞ攻撃!」「やられたぞ逃げろ!」
双方の指揮官の声が同時に発せられた時――アヴァリスに取っての右翼、バビロニウスにとっての左翼――戦況が変わった。
「川にも繋がっていない湖が……いきなり増水するだと?」
ヨハネ司令は驚愕すると同時に、命令を発する。
「中央軍から一部を抜き、反撃してくる敵の左翼に逆撃を加えよ! 右翼を救うのだ! 急げ!」
増水した湖は地下水道で別の場所にある別の湖と繋がっており、その湖に繋がる川をせき止めていた堰を崩して一時的にそちらの湖を増水させたのだ。当然、サイフォンの原理によって繋がった双方共に溢れる。
「早く高台へと逃げろ!」
だが増水速度についていけず、多くのアヴァリス兵が飲まれる。用意した筏に乗ったバビロニウスの左翼軍が逆襲に移る。
「急げ! この時を逃すな!」
嵩にかかって攻めかかる左翼軍の数万本の矢が、強い太陽の光を黒に染めつつ降りそそぐ。左翼軍は武器鎧を投げ捨て泳ぎ逃げ惑う兵たちをなぎ払いつつ追い抜き突進する。増水の限界に達して彼らが陸上に上がった直後にアヴァリスの増援が着いた。ヨハネ司令が差し向けた中央軍の一部、先遣部隊が到着して直ぐに戦闘に入る。しかし体勢が整わず戦力の逐次投入になっているため、攻撃を緩める事は出来ても抑えきれない。
「勝ったぞ!」
峻嶮な地形を抜く必要のある右翼側の地形よりも、水に沈んだ平地を筏で一気に渡った左翼側の、バビロニウスの左翼の方が先に戦場の要衝である中央を叩けそうだ。
「攻撃の手を緩めるな! 押せ! 押せ! もう一歩! もう一歩だ! 侵略者を国境まで押し戻せ!」
だが戦況は再度変化する。アヴァリス右翼は軍としての機能がほぼ崩壊しながらも、後衛に――閑職に――残された予備部隊が居た。その部隊指揮官の名前はタダイという。
「負けましたかね?」
そうこえをかけてきた兵を睨んで応える。
「いや、突撃する!」
周りの兵たちが驚く。周りの連携が期待できない状況であの軍に突っ込むのは自殺行為だ。
「もうすぐ援軍が来る! 俺に続けば勝利と! 栄光と! バビロニウスの黄金が諸君を待っているぞ! 私を信じろ!」
元々あぶれ者をまとめた部隊だけに、欲によって動かしやすい。ヒトは利害によって動かし、感情によって納得させるものだ。そして言葉通り、アヴァリス右翼軍後衛の残虐なまでの突撃に呼応する部隊が有った。
「敵の空戦部隊か!」
「援軍が来たぞ! 突っ込め!」
何時の間にかアヴァリス軍左翼から移動してきたガルーダ部隊だ。いきなりの空からの襲撃に戦闘部隊がパニックに陥る。そこへアヴァリス後衛が突撃をかなぎ払っていく。
「略奪は後にしろ! 勝てばより多くの黄金が手に入るぞ! 前だ! 前へ走れ!」
「敵は少数だ! 上は無視しろ! たいした数ではない! 無視しろ!」
確かに影響は全体の優勢を確保し、受ける損失も大したことは無いのだが、それでも上から降る槍や矢を警戒して混乱するバビロニウス左翼軍。対称的に少数ながらも上空の援護によって局地的な優勢を得るアヴァリス左翼後衛部隊。対称的な双方から砂嵐のごとき巨大な咆哮が鳴り響き、戦場に死者を産み落としていく。
「まだだ! 勢いを殺すな!」
バビロニウス左翼軍の勢いが止まりかけた時…………彼らの空戦隊がようやくたどり着いた。
アヴァリス軍ガルーダ隊指揮官マティアは鋭い目によってバビロニウスのワイバーン部隊を発見した。
「隊列を組め! 訓練通りだ! 迎え撃つぞ!」
隊列を組んだとたんに各隊上昇を始める。ワイバーン部隊も高度を上げ始めた。そして当然に双方ともほぼ同じ高度で真正面からファーボールへと発展する。各所で矢や槍が飛び交い、羽が舞い踊る。
「後ろに気を付けろ!」
急激な旋回に着いていけずガルーダからヒトが吹き飛び、矢が刺さったワイバーンが落下していく。正面から衝突して組み合う光景が目の前を落ちていく。
「ガルーダは小回りが利くぞ速度を落とすな!」
後ろから狙ってきたワイバーンが撃ち落とされ、撃ち落としたガルーダが体当たりされて羽をもがれる。厚着した服に包まれた肉体が浮かぶ。
「あの馬鹿! 手綱を引き過ぎだ!」
翼面過重が高く、高速での旋回に優れたワイバーンと、低速での旋回に優れたガルーダが揉み合う。ガルーダ隊の司令官が言い放つ。
「僚羽と離れるな!」
他空域に居た部隊や、矢の補給、休養に引き返していた部隊も集まり始める。
「全力攻撃だ! 残る全隊もこの戦闘に参加させろ!」
参戦の機会を狙っていた上空で待機中の部隊も、高度を速度に変えつつ参戦する。その間も、オーバーシュートしたガルーダが落とされた。歴史上はじめての人間同士による空中戦は加速度的に激しさを増す。
「失速する旋回半径を取るな! こちらは敵より低速の旋回能力は上だ! 落ち着け!」
そう叫ぶヒトの乗ったガルーダが横から飛んできた槍を避ける。しかし、その言葉にも関わらず混乱は加速する。
「ガルーダ相手に低速旋回するな! 高速を保て!」
地上からはその上を渡れそうなほどに魔法が打ち上げられる。速度ある魔法とは異なり、速度に限界が有る矢は、その上再び落下するから用いられない。下からの光や炎の死の花火が打ち上げられ、高度を落とした鳥たちが間を縫い進む。
「うあああああ!」
低空に逃げた一羽が落とされた。後ろ上方に敵が迫る状態で、逃げる編隊の指揮官が叫ぶ。
「未だ上昇するな! 速度が落ちたら終わりだ」
落下したガルーダに地上に居たアヴァリスの兵が潰され、それに乗っていたヒトがバビロニウスの兵を巻き込む。
地上でも激しさが増していた。流れ矢だけでも死傷者は膨大な数に上り、へし折れた槍や曲がった剣が戦場に散らばり、それに死体と負傷者と色とりどりの血がアクセントを加え、嗄れてきた叫び声と枯れてきた闘志が死臭を漂わせる。薙ぎ、払い、叩き、切り伏せ、射ち、殴り、ぶつかり、突き、蹴り、振りおろす。曲がった武器を逆方向に使って真っ直ぐに直す。使えない防具を投げ捨て死者から剥ぎ取って身につける。威力ある魔法が馬ごと人間たちを凍らせ、丸焼きにする。その間に人と鳥獣が思いだした様に落下して来る。
双方共に残された最後の予備兵力を何処に投入するか迷っていた。戦場はすでに五分五分で、何処の場所も勝機が見えない。ただ死神が喜ぶ光景が広がり続け、収拾がつかなくなっている。双方とも同程度の割合で損失を受け、その数は幾何級数的に増大し続けた。激戦は夕方にまで及び、双方突かれ切ってその日の戦いは終了した。5倍の兵力にぶつかって疲労しきったバビロニウス軍が戦場から兵を引き、アヴァリス軍は追撃した。しかし、これが歴史の明暗を分けた。
追撃は夜半にまで及び、砂漠地帯にまで入り込んだ。疲労困憊し、そこで休息を取ってしまったアヴァリス軍は、翌日、砂に埋まった。そのまま安全地帯まで引き続けたバビロニウス軍は戦力の3割程度を失っただけであった。人間史上初の国家間の空中戦と、追撃した軍が全滅(この世界の軍事的には約3割程度の死者、つまり大体負傷・戦闘不能は約6割で、いわゆる無傷の兵士が居ない状態を指す)する異常な現象によって、この戦いは歴史に残る事となった。ある意味で自然に生じた罠にはまったアヴァリス軍は、負傷や補給、交代に下がった部隊を除いて未だ再建途上である。
色々と試してみたい年頃ですのであしからず