修復屋とティアドロップ
修復屋には今日も壊れたお客様達がやってくる。
本日のお客様は足の糸がほつれた栗鼠と頬の布地が破れた絹毛鼠。
この世界には大雑把に分けると二種類の住民がいる。
おもちゃの姿を持つ彼らと、ニンゲンの姿を持つ私のような存在だ。
ニンゲンの姿を持つ者は数が少なくて、おもちゃの彼らよりも手先が器用なので、私のように手先の器用さを売りにした仕事をしていることが多い。
仲良しでいつも一緒のぬいぐるみな二人の傷の具合を確認する、まずは栗鼠から。
「栗鼠さんは走りすぎです。うーん、足の生地も痛んできてしまっていますね。とりあえず今日はほつれを治して、必要であれば後日生地も。ああ、そうそう、走るのがお好きなのであれば斜向かいの靴屋さんに行ってみては?」
靴があればここまで足が早く痛むこともない、そう思っての提案だったけれどふるふると首を横に振られてしまった、どうやら素足で駆け回りたいらしい。
それほど難しい修復ではなかったので針と糸でちゃちゃっとほつれを治す、我ながらいい出来だ。
さて、お次は絹毛鼠だ。
「あなた、またほっぺたが限界になるまで向日葵の種を詰め込みましたね? 破れてしまうから控えてくださいと言ったのに。……本日はどうなされます? 縫い直すだけ? それとも以前みたく頬袋を大きく……この後二人でクレープを食べに行くから閉じるだけでいい、と。了解しました」
注文通り破れてしまった頬を縫って閉じる、こちらもすぐに終わった。
「はい、おしまいです。また何かあれば気軽にご相談くださいな」
そう笑いかけて二人を見送る、栗鼠と絹毛鼠はぺこりとお行儀よく頭を下げた後、仲良く手を繋いで店の外に出ていった。
ごーんごーんと遠くから鐘の音、柱時計を見ると長針は十二、短針は三を指し示していた。
しばらくお客様は来ないだろう、というかここに来る客は一日に多くても四人程度だ。
なので、お茶の時間に。
お湯を沸かして、少し前にお隣の服屋さんからお裾分けしてもらった茶葉をティーポットに。
ポットにお湯を注ぐと花のような甘やかな香りが鼻腔をくすぐった。
少し待って、茶をティーカップに注ぐ。
やや青みを帯びた綺麗な桃色の茶に角砂糖を幾つ放り込むか迷って、結局一つだけ放り込む。
茶菓子には近所のお菓子屋さんで買った黄金色のフィナンシェを一つ。
お茶を一口、相変わらずどう説明すればいいのかわからない複雑な味をしている。
フィナンシェを一口、甘くて美味しい。
ふうと気が緩んだその時、頭の上から何かが降ってきた。
「っ!?」
落ちてきた何かは私の頭に衝突して、それからカランと硬質な音を立てながら床に落ちた。
きらきら輝くそれを拾い上げてよく見る、黒にほど近い青色の、雫型の結晶だった。
私がここにやってきてどのくらい経ったかわからないけれど、この世界ではときどきこういう宝石のような結晶が唐突に降ってくる。
天井から降ってくるわけではないらしい、前は散歩中に降ってきたこともあった、上を見上げても何もなくて、鳥も何も飛んでいなかった。
きっとそういうものなのだろうと思っている、どれもとても綺麗なので空になった飴の瓶に詰めて保管している。
きらきら輝く新しい結晶を一通り眺めてみる、ほとんど黒いけれど光に透かすと青くて綺麗だ。
立ち上がって店の奥の階段へ、階段を登ればそこは私の自室になっている。
寝台の枕元に置いてあった瓶の蓋を開き、新しい結晶をそっと入れる。
蓋をしっかり閉じて、中を見る。
さっきの深い青、最初の暗い赤色、氷のような水色に、薄桃。
赤と青が多めだけれど他にも色々。
瓶を軽く振ると結晶達はしゃらしゃらと音を立てた。
随分と増えたなあと頬が緩む、こんなに綺麗な宝物がいつの間にかこんなに集まっていた。
そしてふと思った、私の店は少しばかり彩というものが欠けているな、と。
結局その日は誰も訪れず、そのまま店じまいとなった。
いつも通り晩御飯を食べて、身支度を色々済ませて寝台に潜り込む。
読書灯をつけてその近くに瓶を置く、瓶の中の結晶を眺めているうちに目が開けていられなくなって、いつも通り目を閉じた。
夢の中ではいつも、暖かい雨が降っている。
見上げた空は暗い灰色で、足元には青く小さな花が一面に咲いている。
私はただただそこに立ち尽くして空を見上げる。
動く気にはなれなかった。
喜びもなければ悲しみもなかった。
ただ、いつまでもやまない空から目を背けてはいけないと、何故かいつもそう思う。
目覚まし時計が鳴く音が聞こえたので、起き上がる。
つけっぱなしだった読書灯を消して、温もりと柔らかさでこちらを引き止める寝台からどうにか脱出する。
カーテンを開けると、青色の空が見えた。
今日もこの世界は良い天気だ。
朝の身支度を終えた後、店を開ける。
昨日ふと思いついたので、カウンターに結晶が詰まった瓶を置いてみる。
殺風景な店に彩と輝きが加わる、思っていたよりもいい感じになったので思わず顔がにやけてしまう。
そのまま客を待つ、午前中は誰も来なくて、結局本日最初の客がやってきたのはお昼過ぎだった。
やってきたのは頭の塗装が剥げてしまったブリキのロボット。
「あらまあ、これは見事に……お色は今と同じものにしますか、それとも別の色で気分を変え……そのままがいい、と。承知いたしました」
注文通りに元のまま、銀色の塗装で塗り直す。
手足や胴体も若干剥げかけていたのでサービスでこちらも塗っておいた。
「塗り治し、終わりました。しばらくはご安静に。おやすみどころをご利用ください。お好きな音楽などがあればおかけいたしますが」
乾燥まで少し時間がかかるので、お客様をおやすみどころにそっと運び込む。
特に聴きたいものは何もないとのことだったのでそのままに。
少しして、お客様が何かに気付いたそぶりを見せた。
何かありましたかと聞いてみると、カウンターにちょこんと置いた瓶についてのことだった。
瓶の中に詰まっているのはティアドロップではないか、と。
ティアドロップ、確か涙の雫を意味する単語だった気がする。
確かに瓶の中身の結晶達は雫のような形をしているので、その名称は正しいものなのだろう。
これがどういったものなのか、どういった経緯で手に入れたのか説明したのちに聞いてみた。
するとこんな答えが返ってきた。
ティアドロップはこの世界にいる誰かを想って流れた涙が姿を変えたものであるらしい。
この世界はガラクタ達が流れ着く終わりの後の世界。
ガラクタ達がここに流れ着く前にいた世界の誰かが彼らを想って流した涙は、宝石のような飴に姿を変えて彼らの元に降ってくる。
宝石と見間違えるほどの美しいそれは、実は普通に食べられるらしい。
美味しいのかどうか聞いてみると、美味しくはないという答えが返ってきた。
けれども、口にすべきものである、と断言される。
カウンターの上の瓶を取って中の結晶、飴を見つめる。
そんな誰かに思い当たりはなかった。
そもそも、ここに来る前の自分の名前も、記憶もほとんど覚えていなかった。
けれども何故だろう、そんな誰かがいるわけがない、と思った。
飴を見つめる私にお客様は言った、それほどの量のティアドロップを手に入れられる者は珍しい、と。
そしてその後こんなことを聞いてきた、覚えのない、そこにあるはずのない扉を見たことはないか、と。
覚えがあった、確かに自分はそれを見たことがある。
例えば夕暮れ時の散歩中、それと夜に眠るために寝台に潜り込む前。
度々、そこにあるはずのない扉を見つけることがあった。
この世界ではあまり目にすることのない金属製の真新しい扉、どこか不気味で近寄りがたい雰囲気を感じたので、見つけるたびに目を逸らして、そしていつの間にか消えていた。
それらしき扉を見たことがある、そう口にするとお客様はこう言った、それはおむかえの扉だと。
この世界に流れ着くのは基本的にはガラクタだ、元の世界で壊れるか、完全に失われてしまったもの達。
けれども、時々完全に壊れる前の者達が流れ着くこともある。
おむかえの扉はそんな彼らの前に現れる、元の世界への扉なのだという。
次に扉が現れる前によく考えろとお客様は言った、この世界にこのままとどまるか、それとも帰るか。
話によると扉はいつまでも現れるものではないらしい、元の世界の『自分』が完全に壊れれば、扉は永遠に現れなくなる、と。
本日のお客はあのロボットだけだった。
寝台に座り込んで、瓶の中の輝きを眺める。
飴であるらしい、そして自分が口にすべきだと言われたそれをどうするか悩んで、どのくらい時間が経っただろうか。
飴だと思うと食べてみたいという興味がわいてくる、けれどもこんなに綺麗なものを食べてしまうのは勿体無い。
どうするか悩んで、結局一粒だけと思って瓶の蓋を開ける。
カラカラと瓶を振って、最初に降ってきた暗い赤色のそれを手のひらに落とす。
赤色のそれは何味だろうか、ストロベリーかチェリーか、フランボワーズだと嬉しいなと思いつつ、口の中に放り込んだ。
放り込んだそれは飴のくせに口の中でサッと溶けた、まるで角砂糖のように。
指先でつまみあげ、瓶の中に放り込んだ時は確かに鉱石に似た硬さを持っていたはずなのに。
サッと溶けたそれの味が口いっぱいに広がって、私は思わず咳き込んだ。
「か、辛い……!!」
一番強いのは辛み、舌が焼けるような、痛いくらいの辛さ。
それと苦味とえぐみ、その奥の奥の方にほんのわずかに甘みを感じる。
そんな酷い味に悶絶する、美味しくないと言っていたけれどこれは美味しくないどころではない、不味い、だ。
少しの間苦しんで、不意にスッと口の中の酷い味が消えていく。
そして唐突に悟った、悟ったとしか言いようがない。
これは『怒り』だ、と。
何に怒っているのかはわからない、けれども私を思って流した涙が姿を変えたものならば、きっと私に対する怒りだ。
怒りと、それから悲しみと絶望、そんな負の感情。
自分の目から涙が溢れた、あまりにも酷い味だったから、そして感じた感情があまりにも痛々しかったから。
瓶の中にはまだ色とりどりの輝きが詰まっている。
きっとどれも酷い味をしているのだろう、二度と口にしたくないほどに。
けれども、これは私に向けられた感情だ、私のために流された涙だ。
誰のものなのかはわからない、そもそもこの世界に流れ着く前のことなんて思い出せない。
口にする必要なんてない、こんな不味いもの食べなくていい。
けれども、それでも食べるべきなのだろう。
私のために流れた涙を、私へ向けられた感情を、私は知らなければならない。
だから私は立ち上がる。
こんな酷い味のもの、食べ続けるのは辛すぎる。
だから、口直しのためにお茶でも淹れよう。
何日かに分けて、ようやく瓶の中身を空にした。
どれもこれも酷い味だった。
赤色のものは辛くて、青色のものは苦い、それ以外も酷い味。
そのどれもが私に向けられた誰かの感情で、口にするたびにその感情が流れ込んできた。
怒りと絶望、悲しみと喪失感、誰のものであるのかはわからない、思い出せない。
けれども多分、あれは全てその誰か一人のものだった、不特定多数の誰か達ではないらしいと、ぼんやりとだけどそう確信していた。
一体誰なのだろうか、あんな感情を抱いてくれるような誰かが私のそばにいたようには思えない。
ほとんど何も思い出せないけれど、とても冷たくて寂しい世界だった気がするのだ、前の私がいたそこは。
次に扉が見えた時にどうするのかも決められなかった、ずっと考えてはいるけれど。
だって、この世界はあたたかい。
この世界には頼ってくれるひとたちがいる、悪いやつはいなくて、とても平和な世界だった。
だから、ずっとここにいればいいじゃないかと思う。
けれども、それを否定する自分がいるのも事実だった。
本日も修理屋にお客様がやってきた。
片方の翼が取れてしまった悪魔のぬいぐるみと、輪っかが取れてしまった天使のぬいぐるみ。
いつも通り喧嘩をしてそうなってしまったらしい彼らを、今日もしっかりと縫い治す。
「喧嘩をしてはいけませんとは言いませんが、もう少し控えないと……次かその次くらいは本格的な修復……生地の交換や綿の詰め替えしが必要になるかと」
というか前々回の喧嘩の際に沼で落ちて洗い家の世話になった時に懲りたのではなかったのだろうか、けど多分一生仲良く喧嘩し続けるんだろうなと思った、その時だった。
ばん、と大きな音を立てて、真新しい金属の扉が目の前に現れた。
「っ!!?」
どうしたのかと二人に問われる、彼女達にはこの扉は見えていないらしい。
扉が、と言うとそれだけで二人は私が何を見ているのか察したらしい。
どうするの、と問われる。
どうしよう、そう呟いたその時、店の中にバラバラと何かが降り注いだ。
黒色の飴達、それが、たくさん。
一度にこれだけの量が降ってきたことは一度もない、というかいつも降ってくるのは一度に一粒だけだった。
どうしてとそう思った直後、目の前にあった扉が一瞬、消える。
消えたのはほんの一瞬で、また姿を現す。
けれどもチカチカと切れてしまう寸前の電灯のように、消えては現れ、現れては消えを繰り返す。
それを見て気付いた、多分これが最後なのだろうと。
この機会を失ったら、きっと永遠にこの扉は現れない。
これが最後だった、今この扉を開かなければ私は永遠に元の世界に戻れなくなる。
それでいいと思った。
だってこの世界はあたたかい。
けれども今もなお降り続ける飴を見て、本当にそれでいいのかと心の中で叫び声が上がる。
決められなかった、それでも決めるしかなかった。
けれども、扉に向かって中途半端に伸びた手を、伸ばすことも引くこともできなかった。
決められないのなら、と天使が言った。
これを食って決めろ、と悪魔が言った。
口の中に何かが放り込まれる、真っ黒な飴、誰かが流した涙が姿を変えたそれが。
ひどい、味だった。
今まで口にしたく全ての中で一番酷い味だった。
昨日ようやく舐めきったあの瓶の中の飴達だってここまで酷くはなかった。
苦くて、辛くて、痛くて、えぐくて。
その味が口の中から消えた時、途轍もない絶望が私の中に落ちてきた。
絶望、悲嘆、怒り、そして恐怖。
それらは全て今壊れる、いや、死にゆく私に向けられたもの。
涙が溢れていた、止めることはできなかった。
決まったか、と天使と悪魔が問いかけてきた。
小さく頷いた、頷いた後に謝った。
今日で、この店は閉店する、と。
元の世界に帰るから、と。
そこがどんな世界なのかは今も思い出せなかった。
ただ、これほどまでに私を失うことに絶望する誰かがそこにいるのなら、いてくれるのなら、自分はその誰かの元に帰らなければ。
そう決めたのなら早く、と二人は言った。
そんな二人に深々と礼を。
「今まで、ありがとうございました」
本当は二人だけでなくみんなにお礼をお別れを言いたかった、けれどもそんな時間は残っていないらしい。
さようなら、とそう言ってドアノブに手をかける。
ばいばい、さよなら、と天使と悪魔が手を振った。
二人にもう一度さようならとありがとうを言って、ドアノブを捻って、扉を開いた。
誰かの声が聞こえた気がした。
誰かの名前を呼ぶ声だった。
とても悲しい響きの声だった。
重たい瞼をどうにか開こうとする。
それが酷く億劫だった、それでもそうしなければと強く思った、だから頑張った。
頑張って頑張って、すごく頑張ってどうにか瞼を開けることに成功した。
誰かの顔が見えた、その両目から透明な雫が流れているのは分かったけれど、その誰かの顔がどんな形をしているのかはよくわからなかった。
その誰かがもう一度誰かの名前を呟いた、その時ようやく、その名前が自分のものであったことに今更のように気付いた。




