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悪役令嬢の断罪イベント中ですが、犯人は私じゃないので推理していいですか?  作者: 秋月 もみじ


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第7話 聖女の加護の正体


「好き」という感情に、本物と偽物の区別があるなんて──前世でも、考えたことがなかった。


 再審理六日目の朝。ノエル様が一通の鑑定書を持ってゲストハウスに現れた。


 王都の魔法学の権威、ゲルハルト博士による治癒魔法の分析結果。ノエル様が騎士団のつてで依頼したものだ。


 封を切る。中身を読んで──私は息を呑んだ。


『セレスティナ・マールスの治癒魔法には、通常の治癒効果に加え、対象者の感情に作用する副次効果が認められる。具体的には、治癒を受けた者に対し、術者への好意的感情を増幅させる作用──いわゆる「感情誘導」が付随している。これは術者の意図的な制御によるものか、無意識の発現かは断定できないが、効果自体は明確に確認された』


「感情誘導……」


 声が掠れた。


 つまり──セレスティナ様の治癒魔法を受けた人間は、セレスティナ様に好意を持つようになる。本人の意思とは無関係に。


 鑑定書を置いて、窓の外を見た。朝日が学園の屋根を金色に染めている。美しい景色なのに、今は目に入らない。


 ヴィクトル殿下が、なぜあれほどセレスティナ様に入れ込んでいたのか。教頭が、なぜセレスティナ様の言いなりだったのか。ロラン様の姉の治療を「餌」にしながら実行しなかった理由。


 全部──魔法の副作用で繋がる。


 治癒魔法で好意を植えつけ、その好意で人を支配する。聖女という肩書きが、それを完璧に覆い隠していた。誰が疑うだろうか。「聖女の治癒を受けた」人間が聖女を慕うのは、当然のことだと思われるのだから。


「ノエル様」


「ああ」


「ヴィクトル殿下の『恋心』は──本物ではなかった可能性がある」


 ノエル様が静かに頷いた。その表情はいつも通り読めないが、顎の筋肉がわずかに強張っていた。怒っているのかもしれない。騎士として……いや、人として、人の心を操る行為は許せないのだろう。


「殿下に、この鑑定結果を伝える必要がある」



 午後。学園の応接室で、ヴィクトル殿下に鑑定書を見せた。


 殿下の顔から、みるみる血の気が引いていった。蒼い瞳が見開かれ、鑑定書を持つ手が震えている。


「嘘だ」


「嘘ではございません、殿下。ゲルハルト博士は王都で最も信頼される魔法学者です」


「私がセレスティナを──セレスティナを好きだったのは、本当の感情で……」


 声が途切れた。


 私はその姿を見て──不思議と、怒りは湧かなかった。断罪された時の恨みはある。だが今、目の前にいるのは──自分の感情すら信じられなくなった、一人の青年だった。


「殿下。あなたの感情が全て偽物だったとは限りません。副作用は感情を『増幅』するもので、ゼロから作り出すものではない。だが──判断力が歪められていたことは事実です」


 ヴィクトル殿下が両手で顔を覆った。


 長い沈黙の後──顔を上げた殿下の目には、涙と、そして怒りがあった。自分自身への怒り。


「全ては……私の不明だった。リーネ、私は──取り返しのつかないことを」


「殿下。謝罪は受け入れます」


「リーネ……」


「ただし、今大切なのは謝罪ではなく、真実を明らかにすることです。明後日の公開審問に、殿下のご協力をいただきたい」


 殿下は黙って頷いた。その目に、もう「聖女」への盲信はなかった。代わりにあるのは、自分の判断で一人の令嬢の人生を壊しかけたという、重い自覚。


 応接室の扉を閉める時、殿下が呟いた。


「……リーネ。私は、お前に償いきれるのだろうか」


「殿下。償いは過去に向けるものではなく、これからの行動で示すものですわ」


 我ながら偉そうなことを言った。前世のOLが、王子様に説教している。世の中、何が起こるか分からない。



 応接室を出た時、庭園の向こうにノエル様の姿が見えた。


 遠い。いつもは隣にいるのに、今日はなぜか距離を置いている。


「ノエル様。次の手順を相談したいのですが」


「……ああ。今日は──もう遅い。明日にしよう」


 声がよそよそしかった。視線が合わない。いつもまっすぐこちらを見る碧い目が、どこか別のところを見ている。


(……?)


「ノエル様、何かありましたの?」


「いや。何もない」


 何もないはずがない。この方の「何もない」は、だいたい「何かある」の裏返しだ。五日間一緒にいれば、それくらいは分かる。


 でも──追及する暇もなく、ノエル様は足早に去ってしまった。


 取り残された庭園で、私は腕を組んだ。


(今日のノエル様、変ですわ。ヴィクトル殿下と私が話しているところを見た直後から──)


 ……まさか。


 いや、まさか。ノエル様が、私とヴィクトル殿下の「復縁」を心配している?


(ありえませんわ。だって、ノエル様は「騎士団副長として」私の捜査に協力しているだけで──)


 でも。あの距離の取り方。あの目の逸らし方。


 推理小説を何百冊も読んだ私は知っている。人が突然距離を取る理由は二つしかない。嫌悪か……あるいは。


 ……あるいは、何だ。自分でも分からない。


(……やめましょう。今は事件に集中する時ですわ)


 考えを振り払った。ノエル様のことは事件が終わってから考えればいい。今は明後日の公開審問に向けて、最後の証拠を固める時だ。


 けれど胸の奥に、小さな棘のようなものが刺さったまま取れなかった。ノエル様がいない夕暮れの庭園は、いつもより少し広く感じた。



 夜。ゲストハウスの部屋で、マリーからの手紙を読んだ。


『学園内の噂で、セレスティナ様が「最後の手段」を準備しているという話を聞きました。具体的に何かは分からないけれど、気をつけて』


 最後の手段。


 追い詰められた獣は、もっとも危険だ。残り一日──明日中に、全ての準備を完了させなければならない。公開審問で使う証拠の整理、宣誓の水晶の前での質問の設計、証人の手配。やることは山ほどある。


 窓の外には、半月が出ていた。銀色の光が部屋の床に落ちている。


 明日の夜もこの月が出ているだろう。その時、私はどこに立っているのだろうか。勝者として? それとも──。


 不安を噛み殺して、ベッドに潜り込んだ。ノエル様の外套は、三日前に返した。なのに──あの革と石鹸の混じった温かさだけが、まだ肩に残っている気がした。


 ノエル様のよそよそしい横顔が、まぶたの裏に浮かぶ。


(……明日は、ちゃんと話さないと)


 何を話すのかは、自分でも分からないまま。眠りに落ちた。

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