第5話 罠の罠
罠を仕掛けてきたということは、つまり、追い詰められているということですわ。
再審理四日目の朝。ゲストハウスの応接室に、見知らぬ女生徒が訪ねてきた。
「クレイシス嬢。わたくし、あの夜のことで──お伝えしたいことがあるのです」
栗色の巻き毛の少女。名乗ったのは低学年の男爵令嬢、フローラ。目元に涙を浮かべ、声を震わせている。
「パーティーの夜、私、見てしまったんです。クレイシス嬢が──聖女様の杯に、何かを入れているところを」
──ほう。
私は微笑みを崩さなかった。内心では、前世の推理小説の棚が高速で回転している。
(新しい「目撃証言」ですか。タイミングが良すぎますわね。断罪から四日経って突然出てくる証人──これは)
「フローラさん。パーティーの夜、あなたはどこにいらしたの?」
「え──大広間の、東側の柱のそばで……」
「東側の柱。なるほど。では、聖女様の席はどちらにありましたか?」
「……西側の、お花の近くに」
「ええ。正解ですわ。──ところで、東側の柱から西側の聖女様の席までは、柱が四本と氷の彫刻が二つ、遮っています。あの配置で、杯に何かを入れる手元が見えましたの?」
フローラの顔色が変わった。
ノエル様が作成した配置図を広げる。東側の柱から聖女の席への視線。完全に遮られている。
「そ、それは──少し移動して……」
「移動した先は? ノエル様の配置図には、あなたのお名前がありませんわ。当夜の出席者名簿にも」
フローラの唇が震えた。顔が蒼白になる。
「あ……あの、わたくし──」
「フローラさん」
声を柔らかくした。この子を責めたいわけではない。
「あなたに証言を頼んだのは、誰ですか?」
沈黙。長い沈黙の後、フローラは泣き崩れた。
「ご、ごめんなさい……セレスティナ様に頼まれて……断れなくて……」
(やはり)
偽証言者を送り込むとは、セレスティナ様も焦っている。それ自体が、あの方が無実ではない証拠だ。
「フローラさん、泣かなくていいですわ。あなたは巻き込まれただけです。──でも、この事実は記録させていただきますね」
ノエル様が静かに記録を取っている。
フローラが帰った後、応接室に沈黙が落ちた。
「偽証を送り込んできたということは、正攻法では止められないと判断したということだ」
ノエル様の声は平坦だったが、目は鋭い。
「ええ。そしてもう一つ重要なことがありますわ」
私は窓際に立った。朝の光が差し込んでいる。
「無実の人が──証拠を偽造する必要がありますか? 証人を買収する必要がありますか?」
「ない」
「この妨害そのものが、セレスティナ様が犯人であることの傍証になります。私たちは妨害をされたのではなく──新しい証拠を手に入れたのですわ」
ノエル様の口元が、ほんの微かに動いた。笑った──のかもしれない。この方の表情はいつだって読みにくい。
フローラの証言を記録書類にまとめ、ノエル様の署名と共に保管した。今度こそ、二重に鍵のかかる場所に。
◇
その夜。
ゲストハウスからヘルガ先生の研究室へ向かう道すがら、暗がりから人影が出てきた。
三人。いずれも体格の良い男たち。顔を布で覆っている。
「クレイシス嬢。これ以上首を突っ込むと──」
言い終わる前に、横から銀色の光が走った。
ノエル様の剣が、先頭の男の頬を掠めた。抜刀から一閃まで、瞬きの間だ。
「騎士団副長の護衛対象に手を出すか」
低い声。普段の淡々とした口調とは違う。冷たく、鋭く、断定的な声。
三人が一瞬で青ざめ、布で顔を隠したまま走り去った。
……あっという間だった。
「怪我はないか」
「え──ええ、ありませんわ」
心臓がまだ暴れている。恐怖ではない。いや恐怖もあるけれど──それ以上に、ノエル様の動きに圧倒された。
「今後は一人で出歩くな。俺が──騎士団副長として護衛する」
「……過保護ですわね」
「任務だ」
そう言いながら、ノエル様は私を先に歩かせ、自分は背後に立った。帰り道のあいだ中、周囲に目を配り続けている。
(……任務、ですか。まあ、そういうことにしておきましょう)
帰り道、ふと気づいた。ノエル様は、私が夜に外出するたびに「偶然」近くにいる。一日目は応接室に残っていた。二日目はゲストハウスの前で待っていた。そして今夜は、暗がりの少し手前を歩いていた。
偶然ではない。この方、毎晩ゲストハウスの周辺で待機していたのではないだろうか。
(……聞いたら「任務だ」と言うのでしょうね)
なぜかその想像に、胸の奥がくすぐったくなった。気のせいだ。きっと気のせい。
ゲストハウスに戻り、今日の成果を整理した。
ノエル様が小さなメモ帳を取り出して、何かを書き込んでいる。覗くと──私が今日話した推理の内容が、要点を箇条書きにして記録されていた。
「ノエル様、それは何を?」
「捜査記録だ。貴女の推理は口頭が多いから、記録しておかないと後で齟齬が出る」
(……真面目な方。本当に真面目な方だこと)
私の推理を一言一句、取りこぼさずに記録している。字は意外に几帳面で、小さく整っていた。騎士の手とは思えない……いや、この人は武人であると同時に、実務家でもあるのだ。
ふと、ノエル様がメモを書く手を止めた。
「クレイシス嬢」
「はい?」
「明日はロランに接触するつもりか」
「ええ。あの方は鍵です。崩せれば、一気に核心に近づけますわ」
「……気をつけてくれ。追い詰められた人間は、何をするか分からない」
その声には、いつもの無機質さとは違う──温度があった。ほんの微かな。
◇
日付が変わる頃、ゲストハウスの裏口から外の空気を吸いに出た。ノエル様は先に帰った──と思っていた。
学園の渡り廊下を歩いていたロラン様の姿が、月明かりの下に浮かんだ。
一人だった。壁に手をついて、俯いている。
「もう……耐えられない……」
小さな声が、夜の静寂に落ちた。
誰にも聞かせるつもりのない呟き。でも、私の耳には届いた。
ロラン様の肩が震えている。風紀委員長の制服が、月光に白く浮かんでいる。まるで──囚人の衣のように。
(あの方は、犯人ではない)
確信した。あの震えは、悪意の震えではない。良心の震えだ。何かに苦しめられている。何かに縛られている。
明日。ロラン様に話しかけよう。敵としてではなく。
月明かりの下で、ロラン様がもう一度「姉さん」と呟いたのが聞こえた。




