第4話 繰り返される嘘
マリーがゲストハウスの前に立っていた。
目が赤かった。
「リーネ。私──ごめんなさい」
朝靄の中で、マリーの声が揺れている。伯爵令嬢らしい気品のある顔が、今は泣き腫らしてくしゃくしゃだ。
「あの場で、あなたから目を逸らした。五年も一緒にいたのに。あなたが毒なんて使う人じゃないこと、誰よりも知っていたのに」
「……マリー」
「怖かったの。殿下に逆らうのが。聖女様に睨まれるのが。でも──昨日、あなたがサロンで証拠を突きつけたって聞いて、自分が恥ずかしくなった」
手紙の束を差し出された。
「これ。私の実家が、セレスティナ様の前の学園──シュテルン女学院と取引があるの。そこの卒業生に手紙を出して、返事がきた」
手紙を受け取った。封を切る前に、マリーの顔を見た。
裏切った友人。でも──今、ここに立っている。目を赤くして、手紙を握りしめて。
(……恨めない。恨みたいのに、恨めない)
五年前、入学式で隣の席だった。緊張でガチガチだった私に「お菓子、食べる?」と差し出してくれたのがマリーだった。あの時のバタークッキーの味を、まだ覚えている。
「マリー。あなたを責めるつもりはありませんわ」
「リーネ……」
「ただし、この借りはいずれ返していただきますからね。高級茶菓子の詰め合わせくらいで」
マリーが泣き笑いの顔になった。
──よかった。まだ、友人だった。
◇
応接室で手紙を広げた。ノエル様も同席している。
シュテルン女学院の元生徒、カタリナという女性からの手紙だった。
『三年前、シュテルン女学院でも同じような事件がありました。聖女様──当時はまだ聖女の認定前でしたが──セレスティナ・マールスさんが「毒を盛られた」と倒れ、同級生のエルザ・ホフマンさんが犯人とされました。
証拠はセレスティナさんの証言と、風紀委員の報告のみ。エルザさんは退学処分になりました。
ただ、不思議なことがあったのです。エルザさんは薬学の成績が学年最下位で、毒の精製など到底できるはずがありませんでした。それを指摘した教師もいましたが、セレスティナさんの涙の訴えの前に、うやむやにされました。
エルザさんは今も実家に引きこもっていると聞いています。退学の汚名は、消えていません』
手紙を読み終えて、私は白紙にペンを走らせた。
「同じ手口。同じ構造。被害者を装い、邪魔者に罪を着せて排除する」
ノエル様が手紙を読み返している。
「三年前と今回。毒物の種類は違うが、やり口が同じだ」
「ええ。偶然が二度重なるのは……推理小説では偶然と呼びません。それはパターンと呼ぶのですわ」
ただ──手紙の最後の一行が、妙に引っかかった。
『エルザさんが退学になった翌日、セレスティナさんは一人で泣いていたそうです。それが本当の涙だったのか、演技だったのかは、誰にも分かりません』
演技かもしれない。でも……もし本物の涙だったとしたら。自分がやったことの重さに、一瞬でも気づいていたのだとしたら。
……いや、今は感傷に浸っている場合ではない。
ペンが紙の上を走る。カタリナさんの証言は間接的なもので、法的な証拠にはならない。けれど──状況証拠としては強い。
「セレスティナ様は、この手口を『成功体験』として持っている。一度うまくいったから、同じことを繰り返した。完璧主義者の弱点ですわ──成功した方法を変えられない」
前世で読んだ犯罪心理学の本を思い出す。連続犯の多くは、最初の成功に囚われる。手口を洗練させることはあっても、根本的な構造は変えない。だからパターンが見える。
「だとすれば、次はどう動く」
「証拠の隠滅と、私への妨害。──すでに始まっていますわ。昨夜の部屋荒らしがその証拠です」
ノエル様が顎を引いた。了解の合図だと、三日間で学んだ。この人は言葉が少ない代わりに、動作で答える。
◇
夜になった。
ゲストハウスの応接室で、二人で捜査資料を読み合わせている。テーブルの上には書類が山のように積まれ、魔法灯の光が橙色に揺れていた。
「この証言と、こちらの時系列を照合すると──ここに空白の三十分があります。セレスティナ様がパーティー会場から姿を消していた時間帯」
ノエル様が配置図を指で辿る。黙々と。
気づくと、テーブルの隅に温かいお茶と小さなサンドイッチが置かれていた。
(……あら。いつの間に)
見ると、ノエル様の手元にはお茶の入っていない空のカップがある。自分の分は用意していない。
(この方──気が利くのか不器用なのか、判断に困りますわね)
サンドイッチを一つ食べた。ハムとチーズ。素朴な味が、空っぽだった胃に染みる。
「ノエル様もお食べになったら?」
「俺はいい」
「いいえ、お食べになってください。捜査に倒れられたら困りますもの」
ノエル様が一瞬だけ目を瞬かせて、黙ってサンドイッチを一つ取った。
二人で資料を読む。時計の針が深夜を回る。魔法灯が静かに揺れている。
不思議な時間だった。断罪された身でありながら、今この瞬間だけは、恐怖も孤独もない。隣に、同じ方向を見ている人がいる。それがこんなにも心強いとは、前世でも知らなかった。
窓の外で、夜鳥が一声鳴いた。ノエル様がペンを置いて、窓の外に目をやる。その横顔は相変わらず無表情だったけれど──どこか穏やかに見えた。
◇
翌朝。
ヘルガ先生のもとを訪ねると、開口一番にこう告げられた。
「鑑定書の提出が遅れます」
「……なぜですか?」
「教頭から『鑑定の正式な手続きを再確認してほしい』と依頼がありましてね。書類が一つ足りないと」
足りない書類など、あるはずがない。ノエル様が完璧に揃えたのだから。
ヘルガ先生は老眼鏡を押し上げながら、淡々と言った。
「私は学者です。手続きに瑕疵がないことを確認してから提出します。──それが、結果的に鑑定書の信頼性を高めますから」
その言い方で察した。ヘルガ先生は妨害に気づいている。気づいた上で、手続きを完璧にすることで「妨害を無効化する」つもりなのだ。
教頭がセレスティナ様の治癒を受けていたことを、私は知っている。だからこの妨害の出所も想像がつく。
(追い詰められた犯人は、証拠を消しにかかる。──セレスティナ様、あなたの焦りが見えていますわよ)
ゲストハウスに戻る道で、ノエル様に報告した。
「妨害は想定内だ。ヘルガ教諭は信頼できる。手続きが完了すれば、あの鑑定書は覆せない」
「ええ。むしろ、妨害してくれたことが好都合ですわ」
「なぜだ」
「だって──無実の人が、証拠の提出を妨害する必要がありますか?」
ノエル様がわずかに目を細めた。
笑ったのかもしれない。いや、多分気のせいだ。この方の表情筋は常に休業中のようだから。
「ノエル様」
「何だ」
「明日はロラン様に直接お話しします。あの方は……犯人ではないかもしれませんわ」
「根拠は」
「犯人は、あんなふうには震えません」
ノエル様が少し間を置いて、「……なるほど」と呟いた。あと四日。追い詰めているのは、どちらだろう。




