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悪役令嬢の断罪イベント中ですが、犯人は私じゃないので推理していいですか?  作者: 秋月 もみじ


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第10話 新しい朝と、次の事件


 事件が解決して三日。私の日常は──まったく、日常に戻らなかった。


 クレイシス公爵邸の朝食室。テーブルの向かいにお父様が座っている。三日前、学園に駆けつけた父は、公開審問の結果を聞いて──泣いた。


 泣いたのだ。あの威厳ある公爵閣下が。「リーネ」と私の名前を呼んで、人前も憚らず。


 今朝はさすがに落ち着いているが、目元がまだ少し赤い。


「リーネ。朝から手紙が山のように届いている」


「ええ、存じておりますわ」


 テーブルの隅に積まれた手紙の束。断罪の夜に手のひらを返した貴族たちからの謝罪状、社交界からの招待状、そして──見知らぬ人々からの応援の手紙。


「『推理の令嬢』と呼ばれ始めているらしいな」


「大袈裟ですわ。ただ証拠を集めて、論理的に並べただけですもの」


 父が苦笑した。


「それができる十八歳が何人いると思っている」


 褒められると弱い。頬が熱くなった。この欠点は前世から変わらない。褒められ慣れていないのだ。前世のOL時代も、上司に「よくやった」と言われると固まっていた。


(……そういえば、ノエル様の「よくやった」でも固まりましたわね)


 その名前が浮かんだだけで、胸がざわつく。三日前の審問後から、まだノエル様には会っていない。騎士団の事後処理で忙しいと聞いている。



 午後。学園を訪れた。


 荷物の整理と、いくつかの人に会うために。


 まず、ロラン様。


 風紀委員長のバッジを外したロラン様は、三日前より少し──穏やかな顔をしていた。


「クレイシス嬢。ご報告です。姉の治療は、殿下のお計らいで王室の費用で継続されることになりました」


「よかった。ロラン様のお姉様が回復されることを祈っていますわ」


「……ありがとうございます。そして──申し訳ありませんでした」


 深く頭を下げるロラン様に、私は首を横に振った。


「あなたはもう償いましたわ。原本を残してくれたこと──あれが全てを変えたのです」


 ロラン様は法務官への道を閉ざされた。だが、私とノエル様の嘆願書が受理され、減刑されている。新しい道を歩き始める彼の背中は、もう震えていなかった。



 次に、ヴィクトル殿下。


 学園の庭園で、殿下は一人で佇んでいた。三日前の蒼白さは消えたが、目の下の隈はまだ深い。


「リーネ。……いや、クレイシス嬢」


「殿下」


「婚約破棄の正式手続きを、父上に申請した。書類は来週中に届くだろう」


「承知いたしました」


「……一つだけ、聞かせてほしい」


 殿下が私の目を見た。真っ直ぐに。もう曇りのない瞳で。


「お前が言った、“最初から信じてくれた人”。それは──ヴァルトシュタインか」


 心臓が跳ねた。


「……殿下。そのような話は」


「いや、いい。答えなくていい。──顔を見れば分かる」


 殿下が微かに笑った。悲しそうで、けれどどこか晴れやかな笑み。


「あいつは、いい男だ。俺が保証する」


「……ありがとうございます、殿下」


「頑張れ、リーネ。お前の幸せを──心から願っている」


 もう恋人ではない。婚約者でもない。でも……この瞬間、ヴィクトル殿下と初めて対等に向き合えた気がした。



 夕方。学園の中庭を歩いていたら、ノエル様がいた。


 騎士団の制服ではなく、簡素な白いシャツに黒の上着。髪はいつも通り後ろで束ねている。腰に剣はない。


 三日ぶりに見る横顔。相変わらず──無愛想で、背が高くて、目つきが鋭い。


(……好きだなあ)


 もう誤魔化せなかった。推理の余地もない。被疑者は私、容疑は確定だ。


「ノエル様」


「……クレイシス嬢」


 まだ「クレイシス嬢」か。六日間を共に過ごしたのに、律儀にも距離を保っている。


「事後処理は終わりましたの?」


「ああ。──それで、一つ、伝えたいことがある」


 ノエル様が一歩近づいた。碧い目が、まっすぐ私を見ている。いつもの視線だ。でも──今日は、どこか違う。


「俺は──」


 口を開いて、閉じた。開いて、また閉じた。


(……この方、何度やり直していますの?)


「俺は、貴女の傍にいたい」


 低い声が、夕暮れの空気に溶けた。


「捜査のためではなく。騎士団副長としてでもなく。──俺自身の意志として」


 心臓が、うるさい。


「ノエル様、それは──つまり……」


「好きだ。──リーネ」


 名前で呼ばれた。初めて。六日間、ずっと「クレイシス嬢」だった人が、今──リーネ、と。


 その声が耳の奥で何度も反響する。低くて、少しだけ掠れていて、不器用で。


 頭が真っ白になった。推理ができない。論理が組み立てられない。前世で読んだ二百冊のミステリーも、この瞬間には何の役にも立たない。


「そ、それは──つまり、論理的に考えますと──」


「論理は関係ない」


「で、ですが、証拠の検証が──」


「証拠も関係ない」


「え、えっと──」


 ダメだ。推理で誤魔化そうとしているのが自分でも分かる。顔が熱い。耳まで赤いだろう。


 深呼吸した。


「……私もです」


 やっと出た。たった四文字。でも──それで十分だった。


「私も──ノエル様の、おそばにいたいです」


 ノエル様が、目を見開いた。そして──笑った。三日前の審問後よりも、もっと。この六日間で一番の……いや、おそらくこの人の人生で一番の笑顔だった。


 夕日が二人の間を橙色に染めている。学園の時計塔が、六つの鐘を鳴らした。



 それから数日後。


 クレイシス公爵邸の書斎で、朝の手紙を開いていたら──見慣れない封蝋の手紙が混じっていた。


 差出人は、隣の領地の子爵。内容は──。


『領内で不審な事件が発生しております。毒物が関係している可能性があり、クレイシス嬢のお知恵を拝借できれば幸甚です』


「……また推理ですの?」


 呟いた瞬間、書斎の扉が開いた。


「リーネ。何か面白い手紙が来たようだな」


 ノエル様だった。──最近、よくうちに来る。父が妙に嬉しそうに迎えるのが困る。


「事件の相談ですわ。毒物が絡んでいるらしいのですけれど」


「ほう」


 ノエル様の目が光った。この人、こういう時だけ表情が動く。


「調査に行くなら、護衛が要る」


「……任務ですか?」


「いや。──俺が行きたいだけだ」


 目が合って、二人で小さく笑った。


 窓の外では春の風が吹いている。新しい季節。新しい事件。


「ノエル様、いえ……ノエル」


「何だ」


「お弁当、作っていきますわ。捜査に空腹は禁物ですもの」


「……頼む」


 頼む。この人がその二文字を言うのを聞いたのは、初めてかもしれない。


 推理令嬢と堅物騎士。どうやらこの組み合わせは、もう少しだけ続くらしい。

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