第1話 断罪の場で、推理が始まる
「リーネ・フォン・クレイシス。貴様の罪を、ここに告げる」
あら、やっと始まりましたのね。
大広間のシャンデリアが、何百もの魔法灯に照らされて煌めいている。卒業パーティーの華やかな装飾はそのままに、しかし空気だけが凍りついていた。
ヴィクトル殿下が壇上から私を見下ろしている。蒼い瞳には正義の炎──いえ、正義だと本人が信じているもの──が燃えていた。
「聖女セレスティナに毒を盛り、害をなさんとした罪。その証拠は風紀委員長が提出した通りだ」
隣に立つロラン様が、書類の束を掲げる。
……ああ、なるほど。手が震えていますわね、ロラン様。
私は大広間の中央に立ったまま、ぐるりと周囲を見渡した。三百人はいるだろうか。貴族の子弟たち、教職員、来賓の保護者。全員の視線が私に突き刺さっている。
哀れみ。軽蔑。好奇心。──そして、ほんの少しの愉悦。
人の不幸は蜜の味、とは前世でもよく言ったものだ。ドレスの裾を踏みそうになって、かろうじて堪えた。膝が震えている。ここで転んだら、それこそ道化だ。
マリーが目を逸らした。五年間、隣の席で笑い合った友人が、唇を噛んで俯いている。昨日まで一緒にお茶を飲んでいたのに。紅茶のカップを並べて、卒業後の夢を語り合ったのに。
(──痛いな、それは。思った以上に)
奥歯を噛みしめた。泣いている場合ではない。
前世の記憶が、頭の奥でざわめいている。OL時代、帰りの電車で貪るように読んだ推理小説たち。法廷ミステリーの名作を年間二百冊。あの膨大な物語が、今、私の血の中で騒いでいる。
泣くのは後でいい。今は──観察する時間だ。
◇
壇上に並べられた証拠品に、視線を走らせた。
毒が入っていたとされる杯。セレスティナ様が倒れた時に飲んでいたものだ。銀製の杯は磨かれてはいるが、縁の内側に──ある。
杯の縁に残る薄い変色。嗅がなくても分かる。この独特の青みがかった沈着は──。
(……ベルガモア草の精製毒。間違いない)
前世の親友が製薬会社に勤めていた。週末の飲み会のたびに「今日はこんな成分の分析をしてね」と楽しそうに語っていた彼女のおかげで、毒物の知識だけは妙に豊富なのだ。あの頃は「へぇ」としか思わなかったけれど、まさか異世界で役に立つとは。人生、何が武器になるか分からない。
ベルガモア草。王宮薬草園にしか自生しない希少種で、精製には専門的な知識が必要。しかも乾燥させると毒性が変わるため、新鮮な状態で加工しなければならない。
私は薬草園に入ったことすらない。
「──おかしいですわね」
声が出ていた。自分でも驚くほど、冷静な声だった。
「殿下。一つ、確認させていただいてもよろしいでしょうか」
ヴィクトル殿下の眉が跳ねた。泣いて許しを乞うと思っていたのだろう。
「……何だ」
「この杯に残る毒物は、ベルガモア草の精製毒です。王宮薬草園にのみ自生する希少種で、入園には三等級以上の許可証が必要。そして──」
私は微笑んだ。壇上のセレスティナ様に、まっすぐ視線を向けて。
「私は入園許可証を持っておりません。殿下、この毒を入手できる人間は、限られているのではありませんか?」
大広間が、しん、と静まった。
セレスティナ様の完璧な微笑みが──ほんの一瞬、固まったのを、私は見逃さなかった。
(今の。今の表情。見たことがありますわ、推理小説で何度も)
犯人が、予想外の指摘を受けた時の顔だ。
◇
「黙れ、リーネ!」
ヴィクトル殿下の声が大広間に響いた。
「証拠は揃っている。これ以上の弁明は──」
「弁明ではありません」
私は殿下の言葉を遮った。不敬だと分かっている。でも、前世の私が叫んでいる。ここで黙ったら終わりだ、と。
「王立学園裁定規則、第十七条。『被告人は断罪の裁定に対し、七日以内の再審理を請求する権利を有する』。──ヴィクトル殿下、私はこの権利を行使いたします」
殿下が言葉を詰まらせた。
ロラン様の顔から、さらに血の気が引いていく。
セレスティナ様だけが、変わらない微笑みを浮かべていた。けれど──指先が、ドレスの裾をきつく握りしめているのが見えた。
「……よかろう」
殿下は苦々しげに頷いた。規則を無視すれば王族の権威に関わる。断るわけにはいかない。
「七日だ。七日以内に再審理を行う」
「ありがとうございます、殿下」
深々と頭を下げる。完璧な礼。公爵令嬢としての所作は、この世界で十八年かけて叩き込まれたものだ。
頭を上げた時、視界の端に一人の男性が映った。
騎士団の制服。銀灰色の髪を後ろで束ねた、背の高い青年。大広間の柱の陰に立って、鋭い目でこちらを見ている。
騎士団副長、ノエル・ヴァルトシュタイン。
彼が一歩前に出た。
「殿下。騎士団副長として、一点だけ申し上げます」
低く、静かな声だった。
「証拠品の保全が不十分です。杯は提出前に複数の人間が触れており、指紋の採取も行われていない。再審理においては、適正な証拠管理を求めます」
ヴィクトル殿下の顔が歪んだ。だが、騎士団副長の正式な進言を無視することはできない。
「……善処する」
殿下が壇上を去り、人々がざわめき始めた。
私は柱の陰の騎士に歩み寄った。
「ノエル様、でしたわね。先ほどのご発言、感謝いたします」
「感謝は不要だ。証拠の扱いがずさんだったのは事実だ」
愛想のない返答。表情も変わらない。声も低くて平坦で、お世辞にも親しみやすいとは言えない。
だがその目だけが、まっすぐ私を見ていた。嘘の色がない、灰色がかった碧い瞳。
ふと気づく。この方、さっきの断罪の最中もずっと腕を組んで柱に凭れていた。壇上のセレスティナ様ではなく、証拠品を見ていた。
(……観察していたのは、私だけではなかったということですわね)
不謹慎だと自覚はある。でも、推理には相棒が必要なのだ。前世で読んだどの名作にも、探偵の隣にはパートナーがいた。頭脳担当の探偵と、行動担当の相棒。この方は──行動力がありそうだ。
「ノエル様。七日間で真犯人を見つけます。──協力していただけませんか?」
彼は数秒、私の顔を見つめた。
「……俺は正しいことをしたいだけだ」
それは「はい」とも「いいえ」とも言っていない。
でも、彼の目は「やる」と言っていた。
七日間。たった七日で、この冤罪を晴らしてみせる。
大広間の魔法灯が、夜の闇に揺れている。
「それで、クレイシス嬢。まず何から始める」
「……毒の出所からですわ」
ノエル様が微かに顎を引いた。それが「了解した」の合図だと知るのは、もう少し先のことだ。




