3.突然の提案
母と侯爵家の使者が応接室に入り、屋敷に糸を張り詰めたような空気が立ち込める。
ファルネーゼ侯爵家という響きに私の心はざわめく。しかし、私には関係のないことだと自分に言い聞かせ、私は無心に厨房で薬草を切っていた。
「アリーチェお嬢様、奥様がお呼びです――応接室に」
家令のアグスティン・フォルネルが私のもとへ静かに近寄り、小さく私を呼ぶ。
私は頷き、応接室へ重い足を運ぶ。ドアの前で静かに呟いた。
「……お呼びでしょうか、お母様」
「入りなさい、家のことで大事な話があるの」
母の声は冷たく重い。部屋の奥には、初老の男性がやわらかな顔をして座っていた。
(……話って……?)
座っていた初老の男性が立ち上がり、私に一礼し、話し始める。
「お初にお目にかかります。アリーチェ様。私はファルネーゼ侯爵家にお仕えするフリオ・チャセルと申します」
「……アリーチェ・オルドランと申します。ようこそお越しくださいました」
私は心臓が跳ね上がるのをおさえつつ、笑みをたたえ一礼する。
彼――フリオさんは長年ファルネーゼ侯爵家に仕えている人物だ。
緑色の髪に少し銀色が混じっている髪が、外の光を受け、わずかに光る。
――そして、フリオさんは手紙を差し出し、重々しく話し始めた。
「話というのは、他でもありません。オルドラン伯爵家へ資金援助を申し出ます。伯爵の治療費と借財は、当家が負担いたします。その代わり――」
一瞬、息を呑む音がする。
「アリーチェ様を、ファルネーゼ侯爵家へ……当主アウレリオ様の、配偶者にと」
それを聞いた途端、母の顔が晴れわたる。そして、私の方を向く。
「アリーチェ、聞いたわね? ……あなたはファルネーゼ侯爵のもとへ、忌まわしい子はせめて役に立ちなさい」
私は、視線を床に落とす。視界が僅かに揺れる。
(ファルネーゼ侯爵の妻に――私を? なぜ?)
なぜ、災いを呼ぶ翡翠の瞳を持つ私を選ぶの?
私の頭には、疑問符しか浮かばない。しかし、あの日侯爵様は私に言った――それを呪いと呼ぶ者は、何も知らない、と。
初めて私の瞳を見て侮蔑を向けなかった人。しかし、なぜこのタイミングでこの家に援助を申し出てくださったのだろう?
(何か裏がある――じゃないと、私なんて)
胸がぎゅっと軋む。体の震えが止まらない。
その時、母の高い声が私の耳に重さを持って響く。視線は鋭く、私を射抜く。
「お受けなさい、アリーチェ」
ああ、この人にとっては私はただの忌まわしき駒でしかないのだ。
家を回し、家のために生きる道具であればいい。母はそう私に言葉の裏で告げている。
災いなど、他の家にくれてやれ、そう言っているようにも感じる。
(どこにいたって、オルドラン家にいるよりは――たぶん、マシ)
この家に残されるファビオとお父様が心配だけど……、初めて私の目を見て否定しなかった人。その人のもとへ行ってみたい。
私の胸の中に暖かな光がふわりと灯る。
資金援助の代わりに嫁がされる、売られるような話だが、廊下で見たあの優しい表情を思い出すと、とても『血霞』の名をあらわす方とは思えない。
駒として扱われるなら、喜んで駒になろう。これでお父様とファビオ――オルドラン家が助かるなら。
どのような扱いを受けようとも、少なくとも現状よりは悪くならない。そのような気がする。
「――謹んで、お受けいたします」
私は、思わず声を出す。
母の打算を含んだ下卑た笑みが、こちらに向けられる。皮肉にも、それが母から向けられた初めての笑顔だった。
それを聞いたフリオさんは、深々と一礼する。
「――ありがとうございます。では、正式なお話は後日改めて」
あの方の言うように、私の翡翠の瞳が呪いではないとしたら、忌むべきものではないとしたら、ふとそのような考えが浮かぶ。
なぜ、私を選んでくださったのか、目的はわからない。裏があるかもしれない。
それでも私が役に立つのなら――今度はあの方を支えたい。




