第八話 再会
二人は互いの名前を呼び合ったきり、それ以上は何も言わなかった。
「知り合いなのかね?」
と校長が問いかける。二人は顔を見合わせ、嘘を言ってもしょうがないと互いに思ったのか、ただ一言「ええ」とだけ返す。その声も同時だったので尚更である。
すると野々宮から補足として
「大学の同期です」
と言うと校長が辻村の履歴書を見て
「ほんとだほんとだ。同じ大学、学科……我が学校には優秀な人材が集まりますなぁ!」
と高笑い。
辻村と野々宮は同じ東京にある某有名大学卒である。
「すいません、お手洗い行きたいのですが……」
辻村は手を挙げると野々宮が
「僕も行きたいので案内しますよ」
と。
「おうおう、案内してくれ。いやー、同期同士なら大丈夫だろ、野々宮くん……よろしく頼んだ」
と野々宮の背中を叩き、校長と教頭はほっとした様子で2人を見送った。
「今度こそ大丈夫ですよ、校長……」
「ですな、教頭……でも探偵……探偵ですか……」
辻村は野々宮の後を追って廊下を出てその背中に黙ってついていく。言葉はない。
……だが、トイレに着いて野々宮が個室にも誰も入ってないことを確認して二人きりになったとわかったその瞬間――
「……辻村」
「野々宮……」
名前を呼び合い、互いに近づいていく――
……かに見えたが。
「辻村! なんで君がこの学校に!」
と、野々宮が鋭く言い放つ。
「何も聞いてなかったのか?」
辻村は飄々と答える。
「昨日面接に来るとか言ってたし何枚か履歴書はあったけど確認しなかった。……まさか……君が教師として来るとは。他の教員は午前中に面接したらしいが条件合わなかったらしいが……」
ため息混じりに言いながら、野々宮は辻村をみる。
苦笑いを浮かべる辻村。野々宮はその様子にますます不機嫌そうだ。
しかし二人の間に、ぎこちない空気が流れる。
沈黙を破るように、野々宮が言い放つ。
「せいぜい大学時代の同期で腐れ縁ってことにしておくか」
その彼の右手を辻村がすっと取って、指先にそっとキスをする。
野々宮は反射的に手を引き、顔を真っ赤に染めた。
「野々宮がそう言うなら、そうしておくか。この拒絶反応からして」
野々宮の目は辻村を強く睨みつけた。
「……いい、もうこの話は終わりだ。さっさとトイレ済ませて職員室に戻るぞ」
野々宮は先ほどキスをされた手を洗いだした。辻村はその反応に悲しくなりつつも用を足して手を洗って野々宮と一緒に職員室に戻ることにした。
中にいた教員たちは、一様に表情が暗い。だが辻村という“異物”に強く反応する者はいない。ただ軽く会釈してすれ違うだけ。他人に興味がないのであろうか。
辻村が臨時職員として即採用されたことははすでに共有されていたらしい。しかし歓迎されている雰囲気はない。
「……野々宮先生」
声をかけてきたのは、ひょろっとした細身の男性教員が立っていた。先ほど見た猫背の男だ。
「僕の部下の高橋先生です。高橋くん、こちらは先ほど採用が決まった臨時教員の辻村先生。年度末までとりあえず、てとこかな。《《いつも通り》》」
野々宮の紹介に、高橋は目尻を下げ深々と頭を下げた。語尾にはなにか違和感を感じるが。
「来ていただいて……本当に助かります。……でも、年度末までもつかどうか……」
その口調には、辻村個人への懐疑ではなく、臨時教員という存在そのものへの期待の低さがにじんでいた。
初対面にもかかわらず、当たり前のようにそんなことを言われ、辻村は眉をひそめる。
(……なかなかぶっ込んでくるな、この男)
そんな辻村に、野々宮がそっと耳打ちする。
「彼は僕の部下だが、年齢は四つ上。くれぐれも言葉遣いには気をつけろ」
言われて初めて、辻村は軽く驚いた。童顔でナヨナヨした高橋を年上とは思わなかった。だが、昇進していないのも頷ける“線の細さ”があった。経験上そう言われても世間的には高橋という男はどこへ行っても下に扱われる人間だと辻村は悟った。
「……僕、育休中だったんです。妻が妊娠出産で……でも、次から次へと教員が休職して……。結局、男の育休なんて、切り上げて戻されるだけなんですよ……。上の子はまだ小さいし、妻は難産で……家に帰っても育児が待ってて……もう、ほんとキツいです」
高橋の目はどこか虚ろで、声にも覇気がない。完全に限界の色が見て取れた。
「……ごめんなさいね、愚痴っちゃって」
「いえ、大変ですねー」
辻村は淡々と応じたが、内心では素早く相手を値踏みしていた。
(愚痴っぽいが、悪いやつではなさそうだ。何かあったとき、味方につけておくに越したことはない)
職員室全体の空気も、どこか疲弊していた。
そのとき、別の教師がドカドカと入ってきた。
「おい、野々宮。今日の一年三組、社会誰が回せる?」
ぶっきらぼうな口調と態度で、あきらかに職場の空気を支配している側の人間だった。野々宮は少し身を引き、柔らかい口調で応じる。
「はい、じゃあ……高橋先生にお願いしても?」
いつの間にか、野々宮の態度はさりげなく下手に出ていた。辻村はそのやり取りを見ながら、心の中で苦笑する。
(あら、野々宮。世渡り上手くなったじゃねぇか……それともあの男には逆らえないってことか?)
男は辻村に目をやり、ニヤリとした。
「臨時教員、ねぇ……。三年はな、何人か潰れてるからな。耐えられるかどうか……」
自己紹介の機会すら与えず、そのまま踵を返して去っていった。
辻村が視線を向けると、野々宮が低く言った。
「あれ……じゃなくてあの先生は一年の学年主任、藤守先生。僕らより五つ上。あの態度はデフォルトだから……基本は下に回ったほうがいい」
「お、おう……」
辻村が戸惑っていると、野々宮は続けた。
「臨時教員が続かないのは……あの人が理由でもあるんだよ。表立って何かするわけじゃないが……プレッシャーのかけ方がうまい。お前は体格がいいから舐められてないだけ。……でも、弱さを見せた瞬間に、食われる」
それに高橋もこくんと頷いた。
遠くから藤守がこちらを見ている。辻村は目をそらしながら、会釈だけは忘れなかった。
「……どうしちまったんだよ、この学校……」
思わずこぼれた辻村の独白に、野々宮が小さく笑った。
「……もう、崩壊寸前さ。でも、生徒たちは毎日学校に来る。俺たち教師がこんなんじゃ……不安にさせるだけだ」
野々宮はそう言いながら、無人の机を指差す。
「ここ、空いてるから使っていいぞ」
辻村はさっそく椅子に腰を下ろしてみた。自分の机があるという現実に、少し感動を覚える。フリーで働いている身としては、自分の固定した場所があるだけでも心強い。
ぐっと背伸びをすると、野々宮はじっとその様子を見ていた。
「……ちなみにそこ、何人か臨時教員が使ってた席だ」
そう言われ、曰く付きな席だと思いつつ不吉な予感がよぎるが、辻村は気にも留めず肩をすくめる。
(だがネガティブな言い方は昔から変わってないな……)
「君のように教員バンクから他業種に勤める経験のない、または浅い人間から潰される。だがそうでないベテラン教員も潰れてるからな……全員人間だ……同じ……しょうがない」
野々宮の目は濁っている……あの時のような輝きはない……辻村はそう思った。




