第六話 辻村side A
日にちは変わり、人通りの少ないその路地の奥、古びたレンガ造りの建物の一階にその喫茶店はある。
外観はどこか懐かしく、だが同時に時間が止まったような不気味さをまとっていた。
ガラリと開け放たれた扉の奥からは、昭和歌謡とジャズが入り混じったようなBGMが微かに流れている。店内はほどほどに涼しい。
「へっくしゅん!」
派手なくしゃみを一発かましたのは辻村琥太郎、職業探偵。
角の席。壁に背を預け、深く腰を沈めてタバコを燻らせる。
片耳だけイヤフォンをつけ、スマホをいじっていた。指が止まり、画面に映った動画に目を留める。
スマホの画面には、あるアダルト動画が映っていた。それはとあるきっかけでSNSで出回っており、有料動画だが簡単に見れてしまう。消しても消してもイタチごっこのようである。
その動画は去年、中堅のとあるAVサイトにアップされたもの。出演しているのは、私立S高校の制服を着た女性。卒業生を名乗り、インタビュアーと「伝統の学園祭の劇のジンクス」について真面目に語っている……と思いきや、途中から唐突に制服を脱ぎ出し、やがてインタビュアーの男との行為に至る。
いわゆる“真面目な学生だった素人の処女卒業記念モノ”。言うなればハメ撮り。
下品で、ありがちな構成。公開当時は再生回数も伸びず特に話題にもならなかった。
──だが、その私立高校で女教師と男子生徒の心中事件以降、状況は一変した。
動画はネットで再拡散され、学校側の削除要請も虚しくコピーが出回る。
さらにはその制服を使ったAVが次々とアップされ、ついには「女教師と男子生徒」ものまで登場。不謹慎だと炎上はしたもののいまだに出回っている。
制服も裏社会で高く取引されるほど。
警察が動き出したのは、制服の悪用だけが理由ではない。
動画や制服売買に絡む暴力、AV出演の強要、強姦、動画サイトの脱税、そして背後に特定暴力団の影……だが、証拠不十分で手が出せない状態が続いていた。
と週刊誌は報道していてまだ世間はこの事件を火消しできていないようだ。
その私立高校とは白常盤学園高校であった。
「ったく、どいつもこいつも……悪ノリにも程がある」
──とはいえ、本来こんなに悠長に過ごしている余裕は彼にはなかった。
数日前、思いもよらぬところから連絡が来た。
かつて彼は教職免許を持っていたこともあり、教員バンクに登録だけはしていたのだ。だが、実際に教師として働いた経験はない。教壇に立ったこともなければ、学校勤務の実績もない。
そしてよりによって、白常盤学園高校からの打診だった。
社会を騒がせた、あの“心中事件”の舞台となった学校である。
(よりによって、って感じだな……)
口の中でお通しのアーモンドを咀嚼しながら、辻村は舌打ちする。
今の本業は探偵。と言っても、ただの浮気調査屋ではない。
裏社会寄りの案件も請け負う。証拠の隠滅や、面倒な“示談”の仲介、脅し文句のアドバイス……合法か非合法かの境界線を、靴の先でこすって曖昧にしてきた。
グレーな依頼ほど報酬がいい。そして、汚い人間を見るほど冷静になれる。
それでも教師として名を登録したままにしていたのは、単なる気まぐれだった。いや単に登録していたことを辞めたかったがタイミングを逃してしまった為でもある。
(コロナ禍の頃、リモート家庭教師なんてのもやったっけな……あの時は、裏の世界でもディスタンスやらなんやらで依頼も無くて金がなかった)
今は小銭を稼ぐ程度の案件なら掃いて捨てるほどある。しかしまた閑散期に入る。
(白常盤……たしか、誰かが……)
ふと辻村の頭の中の何かがひっかかった。
だが記憶の断片はうまく繋がらない。喉元までは来ているのに、思い出せそうで思い出せない。
そのとき、壁の時計に視線がいく。
長針はすでに指定された時刻を回っていた。
(……やべ、もう行かないと)
辻村はポケットからミントキャンディを取り出してひとつ口に放り込み、レジで会計を済ませる。
店を出たところで、常備していたミストシャワーを浴びるようにしてスーツの匂いを飛ばした。
煙草と古びた喫茶店の混ざった香りを少しでも中和するために、襟元をクンクンと鼻で嗅いで確かめる。
そして辻村は足を速めた。
向かう先は――もちろん白常盤学園高校。
暑い中紺色のスーツに身を包み、整えた髪と無難な革靴で、白常盤学園高校の校門をくぐった。
ちょうど昼休みの時間帯。広場やグラウンドには生徒たちの声が響き、思い思いの時間を楽しんでいる。
「こんにちはー!」
すれ違った女子生徒たちが明るく挨拶してきた。
辻村は柔らかく微笑んで、軽く会釈を返す。
──視線が一瞬、スカート丈に向かいかけたが、すぐに逸らした。
(若いな……まあ、これが青春ってやつか。事件があったようには思えない)
歩きながら、さりげなく校内を観察する。
監視カメラの設置場所、照明の死角、整った植栽。校舎を囲む塀の高さと内側のカメラ角度。
──事件後の“対外的な体裁”に、相当な予算を注いでいることがうかがえる。
(やっぱりな。マスコミ対策には過敏になるのも当然か)
「こんにちは」
前方から歩いてきた背の高い猫背の男が、気の抜けた声で挨拶をしてきた。
白いワイシャツの襟は少しよれていて、目の下にはクマ。髪も整っておらず、まるで一睡もしていないような顔。だが肌の感じからすると、辻村より年下のようだ。
(あれがここの教員か? ……お疲れすぎだろ)
男は辻村を一瞥して、無言で通り過ぎていった。
見知らぬスーツ姿の来客など、もはや気にする余裕もないのかもしれない。
校舎の一角、受付前にたどり着くと、ドアには札がかかっていた。
『管理人 昼ごはん中 ご用のある方はインターフォンを』
辻村がインターフォンに手を伸ばそうとした、その時──
「ガチャッ」
隣の扉が急に開き、中年の女性がひょいと顔を出した。
「うわっ……!」
思わず声が漏れた。
「すいませんね、監視カメラに映ってたもんで、気づいたんです」
女性は無表情のまま言い放つと、じっと辻村を見た。
「は、はあ……失礼しました」
辻村は軽く頭を下げ、名乗る。
「臨時教員の面接で来ました、辻村と申します」
「はい、伺っております。校長に連絡しますので、しばらくお待ちを」
そう言って、女性はまた無言でドアを閉めた。
「……愛想もへったくれもないな」
小声でそう漏らしながら、辻村は周囲に目をやった。
──制服。
今の生徒たちが着ているそれは、どれも新しい型だった。生地も色味も変わり、細部に微調整が加えられている。
(旧制服は……二年前までか。裏ルートで出回ってる、今じゃ飽和状態だ)
AV、風俗、制服プレイ、挙句には事件を模した動画まで。
(……なるほど、これは完全に世間体対策だな)
白常盤学園という名が、裏社会のネタにされている。
だからこそ、この学校の顔である制服に、手を加えるのは当然の措置だった。
(でもまあ、どうせこの制服も数年後にはまたどこかに流れる。またまたイタチごっこだ)
再びドアが開いた。
「職員室へどうぞ」
女性が短く促す。
辻村は会釈しながら一歩踏み出した、そのとき──
「……また、臨時教員かね」
ぼそりと呟かれたその言葉に、呆れと疲労と、そしてほんの少しの侮蔑が混じっていた。
辻村は何も言わず、作り笑いを貼りつけたまま、その場をやり過ごした。
職員室へと向かう途中、数人の教員たちとすれ違った。
誰もが伏し目がちで、顔色が悪く、どこか覇気がない。小声での会話も、ただ事務的なものに聞こえた。
(……まじで、この学校、大丈夫か?)
心の中で呟きながら、辻村は歩を進めた。
探偵として、数々の裏を見てきた男が──「教師」という仮面をつけて、今その裏の現場に足を踏み入れようとしていた。




