第三話 野々宮side A 2
「あら、葵。大学の見学……だったよね?」
希菜子の問いに、葵は無言でうなずくだけだった。可憐で温かみのある希菜子とは対照的に、葵は口数の少ないクールな雰囲気の少女。二人が幼なじみであることは、担任の野々宮も知っている。
葵はそのまま無言で、野々宮の前の席に腰を下ろした。普段はもっと快活なはずなのに、今日は様子が違う。希菜子から受け取ったお茶を飲んではため息。ういろアイスを食べてはまたため息。もう何度目か分からない。
「……葵さん。大学の見学会、どうでしたか?」
昨日今日と名古屋の某大学にて見学会があり、受験予定の生徒たちは放課後に参加していた。野々宮は、担任として一人ひとりの感想を気にしていた。
葵は少し俯き、言葉を探すように答えた。
「……学校の担当の人と話す機会があったんですけど、散々でした」
元気がまるでない。またため息をつく。
「そこで……去年の事件のことばかり聞かれて。まるで、腫れ物でも扱うみたいにされて」
その言葉に、希菜子がハッと息をのむ。葵はそれに気づいたようで、少し眉を寄せた。
野々宮は希菜子に「大丈夫か?」と目で問いかける。彼女は小さく頷いて応えた。
一年前。白常盤学園高校の学園祭当日の朝、教師と生徒の二人が屋上から飛び降り、命を落とした。
誰も真実を知らないまま、“教師と生徒の叶わぬ恋と心中”という筋書きだけが、一人歩きしていった。
世間では、そう解釈された。
だが、生徒たちも、教職員も、町の人間でさえ、その“結論”に納得していたわけではなかった。
それは、心のどこかにずっと残る不可解な事件がいまだに尾を引いている。
「昨日行った子たちも、事件のこと聞かれたって言ってたな……その担当者、名刺とかあるかな?」
野々宮の問いに、葵は首を振った。
「……腹が立って、名刺もパンフレットも全部駅のゴミ箱に捨てました」
そこまで傷ついていたのだ。自分たちの学校が、過去の“事件”として世間に扱われる、そのこと自体が。
葵は自分が履いているスラックスを指差した。ショートカットの彼女にはよく似合っている。
白常盤では、制服のリニューアル時にスカートかスラックスを選べるようになった。だが、スラックスを選んだ女子は葵を含めて二、三人程度だ。
「他にも、この制服のことも聞かれたよ。生活指導の先生には、スカート履いてったほうがいいって言われた。でも、これが私の制服だって突っぱねたの。……そしたらね、何人かの大学の人にジロジロ見られて、なんでズボンなんだって。男かと思ったら女の子なの? とか。……鬱陶しかった」
葵の口調は淡々としていたが、明らかに傷ついていた。
野々宮は、制服について生徒に強制することはなかった。生徒が自分らしくいられることが、結果的に学業にも部活にも、人間関係にもいい影響をもたらすと考えていた。
「……野々宮先生、このまま試験受けるの、不安になってきたよ」
「葵さん。学校からも大学には事情を説明できます。もしそれでも不安なら、君の希望してる経営学を学べる大学は他にもある」
野々宮ができる限り冷静に声をかけたが、葵は席を蹴るようにして立ち上がった。
「無理だよ! 他の学校の子も言ってた。白常盤ってだけで落とされるって……!」
その声には、抑えきれない悔しさがにじんでいた。
「生徒とふしだらな関係があったとか、制服の流出があったとか……いかがわしい動画にまで使われて……もう、“問題校”扱いだよ……!」
その言葉に、野々宮は胸が締めつけられるような思いがした。
そうだった。あの心中事件だけではない。
かつて、生徒が着用していた制服の写真が外部に流出し、フリマサイトなどで高値で転売されていた事件があり、それが制服の選択制を導入する直接のきっかけにもなった。
だが、外部から見れば「変わった学校」「危ない学校」としか映らないのかもしれない。
——制服ひとつ、噂ひとつ、事件ひとつで、若い子たちの未来が断たれる。
教師として何ができるのか。野々宮は悔しさをにぎりしめたまま、黙るしかなかった。
女将がふたりに声をかけた。
「困ったものですねぇ……。希菜子も、ちょっと休んでおいで。葵さんも、奥に入って」
希菜子は野々宮に軽く頭を下げ、悩ましげな表情のまま、気の落ちた葵と一緒に店の奥の住まいへと姿を消した。
「また、企画書は主人と見てからお返事しますね。去年あんなことがあったから……今年こそ、良い学園祭にしましょう」
女将は目尻を下げて笑った。
野々宮は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「本当に野々宮先生は真面目で素晴らしい方ですわ……」
「いえいえ」
彼は和菓子屋を後にした。
外に出ると、一気にむわっと暑さがくる。
(……どうして、こんなに簡単に人生が潰されるんだ? どうして、制服一枚で否定されなきゃいけない? 事件があったからって、誰かが死んだからって、どうして、残された生徒たちまで裁かれるんだ……)
野々宮は眼鏡の奥で目を細めた。
教師として、自分の無力さが悔やまれるようだった。




