第二十話 2人でいたら
職員室に戻ると、野々宮はもういなかった。作戦通りとは言わないが、先に帰っていた。
残っている教師たちの顔を、先ほど野々宮からもらったリストと照らし合わせる。
挨拶を交わす中、やはり来た当初と同じく覇気のない顔が多い。ただ、視線を合わせると一人は一瞬だけ目を合わせてすぐ逸らし、もう一人は瞬きが妙に多い。あるいは完全に目を合わせようともせず、魂が抜けたような表情をしていた。
藤守は辻村を見ているが少し背筋を伸ばして見ると目を逸らした。
(わかりやすい連中だ……)
途中、希菜子の実家の和菓子屋が目に入った。
「白常盤学園祭で和風喫茶やります!」と張り紙がガラスに貼られている。
(学園祭か……この一年で生徒や先生、街の人たちも色々思うこともあったろうに)
そして辻村は和菓子にさほど興味がない。希菜子が店頭に立つと聞いていたが、見た感じ姿はなかった。入らず、そのまま自宅へ向かうことにした。
張り紙の隣には「ひんやりおいしい和風シャーベットあります」の文字。少し気になるが、我慢した。まだ少し暑い夕暮れだった。
野々宮の伝えられた住所を頼りにたどり着いたのは、こぢんまりとしたアパート。三階建てで、階段しかない。二階まで上がり、指定された一室のドアをノックすると、すぐに開いた。
Tシャツに半ズボン、髪は半乾きの野々宮が立っていた。シャワーを浴びたばかりのようだ。その姿は教師の時の彼よりも昔の彼のような雰囲気が出ている。先日のクラブに行った時の彼とはまた違ったものを辻村は感じた。
「……おう、入ってけ」
「お邪魔します」
辻村はどこかよそよそしい。
部屋は狭い2DK。清潔ではあるが、物が多く雑然としている。
「お前が外に行ってからすぐ帰った」
「早く帰っていいのかよ、まだ生徒いたのに」
「帰れるときに帰らないと。学園祭の準備が始まると遅くなるしな。交代で少人数でまわしてるよ」
大学時代、野々宮は地方出身のため大学の学生寮に在籍していたがしょっちゅう辻村のアパートに入り浸っていた。
そんな彼の一人暮らしの部屋に入るのは、寮の時以来である。
「今から親子丼作るけど、その間にシャワー浴びてきな」
「おう……」
タトゥー隠しのために安易に脱げないシャツ。かなり汗ばんでしまっていて早く脱ぎたかった辻村。脱衣所は広めで、トイレは別。清潔感がある。つい観察ぐせでジロジロ見てしまったが服を一気に脱ぎ解放感。
両肩、胸元、背中など無数のタトゥーをこんなにしている教師なんてと思いながらも……それぞれには意味のあるもので消したくはない彼の信念でもある。それに教員を続けるわけでは無い。
ふと脱衣カゴをみると新しいタオルと上下のルームウェアが用意されている。
(……気が利くじゃん、あいつ)
ささくさとシャワーを頭から浴びる。
教師という仕事は、予想以上に体力と精神力を使うものだった。
これがあと半年続くと思うと、気が遠くなる。節子の言う通り気を病まないよう、と言われてもタフな彼でさえもいつまで保つか……若干心配していた。
教師の仕事自体は、普段の辻村の仕事よりもずっとクリーンで健全だ。だが、その裏に潜む人間関係の闇は、むしろそちらに近いものを感じていた。
「真面目そうに見えるほど裏がある」
教師も、生徒も、そして学校の伝統も――。考えるのが億劫になり、もう一度、頭から冷水を浴びた。
シャワーを終え、ルームウェアに着替えキッチンへ。
野々宮は手際よく料理をしていた。親子丼にはかまぼこや椎茸も入り、味噌汁まで用意されている。
「……何見てんだよ」
「お前が料理するとはな。しかも定食屋みたいなやつ」
「自炊するようになった。ここ数年でな」
どちらかといえば、料理を作るのは辻村の役目だった。
ザ・男飯といった簡素な料理だったが、それを後ろで見ては味見してくるのが、いつも野々宮だった。
昔はどちらかといえばお世話焼きなのは野々宮のほうだったが料理や家事は辻村の方が能力は高かった。
「かまぼこと椎茸って……俺のレシピ、パクっただろ」
と、野々宮が過去のレシピを真似するほど覚えていたのかと嬉しくなる辻村。
「具材あった方が栄養あるからな。バランスよく」
「……てか、お前が自炊……大雨降るわ」
辻村が親子丼をかきこみながら言うと、野々宮は机の上のケースから薬を取り出した。
辻村は、それが何の薬か知っていた。
「教師2年目のとき、メンタルやられてな。スクールカウンセラーに勧められて受診した」
辻村はハッとした。大学時代一緒にいる際に不安定な時があったことを思い出した。
「子供の頃から受験や勉強やらで縛り付けられてたからその抑圧的なストレスや親の干渉、暴言で抑うつ、不安障害、自律神経失調症、抑うつ、パニック障害、貧血、不眠……おまけに」
野々宮は一拍置いて、
「薬の副作用で、勃起不全」
その一言で、辻村は思い切りご飯を吹き出した。
「なんでそんなこと今言うんだよ……!」
辻村は思わず顔を赤くして、箸を置いた。野々宮は真顔のまま、薬をケースに戻す。
「……いや、別に深い意味はない。しょうがないけど……心身ともに少しでも良くなるように食事はしっかりしないとと思って自炊してるんだ」
そう言いながら、あぐらをかいた二人の膝が、自然と触れ合っている。離れようともしない距離だった。
「……あのことが関係してるわけじゃないから」
野々宮がぽつりと呟く。
その“あのこと”が何を指しているのか、二人とも分かっていた。誰も言葉にはしなかったけれど。
親子丼を食べ進めながらも、会話は自然と学校の話題になっていた。
「今日さ、職員室で話してた連中……あの四人、野々宮は接点ある?」
「……前はあったけど担当の学年が変わってからは接点は減った。ビジネスパートナーって感じだよ」
「そんなものか、教師ってやつは。にしてもなんかわかりやすい連中だったがなんも証拠が掴めない……警察が何か発見してくれたら一番楽だろうが」
辻村が言うと、野々宮は苦笑する。
「警察頼みか……警察は当てにしてない。心中事件としてさっさと片付けてしまった……」
「……んー、まぁ……警察が今日の家宅捜索でどこまで色々見つけてくれることか」
親子丼をかきこんだ。辻村とは違って具材がかなり細かく刻まれているあたりが野々宮の性格が反映されていて喉越しも良い。
「でも、気になることがある。去年さ、王子と姫の立候補者――いなかったんだよ。毎年だいたいカップルが出るのに、去年は珍しく誰も手を挙げなかった」
「へぇ。そんなこともあるんだな。恋愛ばかりの年頃の子達なら我先にとか飛びつくだろ、いいジンクスあれば」
「……うん。確かにどうやって選ばれるんだろうとかいう子達は多いが実際手を挙げるのは少なくてね。練習量が並大抵では無いから」
台本のページ数を見れば確かに、と。
「で、そこに友里恵先生が姫役に立候補した。“結婚相手がいるから、みんなに披露したい”って。でもさ、当日まで相手の名前はナイショ。変だろ?」
「で、それまで王子役を仮でやってたのが……一ノ瀬くんで……」
「そう。たまたま裏方で手が空いてたからって。でもさ、龍弥くんの性格考えると、きっと断りきれなかったんだと思う。素直な子で。門倉先生もかなり図々しいところもあるからね」
辻村はわずかに眉をひそめる。
「……その友里恵先生と結婚相手の王子の練習は誰も見てないのか」
「そりゃ、もし家でやってたら、誰にもわからない」
野々宮は一度、視線を落とし、言葉を選ぶように言った。
「龍弥くんとほぼ毎日練習してたし……結ばれちゃいけない相手でも、惹かれることって、あるのかもしれない」
短い沈黙。
空気がぴんと張り詰める。
辻村は湯呑を手に取り、一口すする。口を湿らせると、低くつぶやいた。
「……お前も、そうだったか?」
「……」
「毎日のように顔合わせて、あれだけ言い合って、腹立てて……でも、気づいたら俺に惹かれてたってことか?」
野々宮はうつむいたまま、ほんの少し頷いた。
辻村はその横顔をじっと見つめる。
言葉を失いながら、思わず苦笑するように言った。
「……最初は、野々宮……俺のこと嫌ってたくせに」
「本気で、嫌いだったよ。グイグイくるし、うざかったし」
野々宮は笑うでもなく、淡々と返した。
「なのに……気がついたら、目で追ってた」
ふたりの視線が合う。
時間が、ぴたりと止まる。
辻村は喉を鳴らし、ごくりと唾を飲み込んだ。そっと身体を寄せていく。
……だが。
「勘違いすんな、ボケ」
野々宮が不意に、無言で辻村の顔を手のひらで押し戻した。
ぐい、と押されて、辻村はわずかに仰け反る。
「いてっ……」
「そういう空気になったからって、そうすぐ流されるなよ」
「流されたんじゃなくて、つい……」
野々宮は赤面して立ち上がって慌ただしく食器を二人分流しに持っていった。




