第二話 野々宮side A
それから年度は変わり翌年の8月末日。
白常盤学園高校の教師・野々宮陸は、学校から歩いて数分の老舗和菓子店へ向かっていた。
蝉の鳴き声がまだ鳴り続ける。昼間の熱気がアスファルトに残り、通りを歩くだけでうっすらと汗がにじむ。
その和菓子店は、野々宮が担任を務める生徒の実家でもある。
夏休み明けで午前授業のみで午後からは書類の確認、宿題のチェックなどをし、夕方は簡単な打ち合わせを兼ねて、彼は足を運んだ。
店の暖簾をくぐると、ふわりと甘い香りに包まれる。ほっとする涼しさとともに、店内からは談笑の声が漏れていた。
野々宮は掛けていた黒縁のメガネをくいっと上げ、ハンカチで汗をぬぐう。
「いらっしゃいませ──あらあら、野々宮先生」
女将が気づいて笑顔で出迎えた。カウンターの中からすぐに出てきて、野々宮に手を振る。
地元でも有名なこの和菓子店とは十年以上の顔なじみだ。学園のすぐ近くで、しかも彼の母校でもある。教師となった今もこうして関係が続いているのは、不思議なようで自然なことだった。
その隣に立っていたのが、女将の一人娘・飯塚希菜子だった。
白常盤学園高校の三年生で、野々宮の教え子でもある。
希菜子の華奢で色白なその姿は、町の評判通りの美しい娘という印象を与える。受験を控えているにもかかわらず、忙しい店を手伝うしっかり者だった。
野々宮は、希菜子がまだ赤ん坊の頃から知っている。あのころは小さな手で母親の袖を握って離さなかった子が、こうして一人前に店を切り盛りしている姿を見ると、感慨深いものである。
「今度の学園祭の企画書をお持ちしました。生徒たちが夏休みに集まって練りに練って考えたものです。ご確認お願いします……」
女将はそれをにこやかに受け取ると希菜子も覗き込む。
「うちの希菜子も言ってましたわ。今度クラスの出し物で和風喫茶をやると聞いて……我が店の宣伝にもなりますしね、ほほほほ」
女将は上機嫌。希菜子も同じような顔で微笑む。流石親子だ。
受験目前とした三年生の学園祭の出展や出し物の選定はかなり困難を極め、受験勉強に力を入れたい生徒にとっては手を抜きたいところだが、今回は希菜子の提案が採用されたのだ。
野々宮は見慣れた店内をぐるりと見回す。
——変わらない。落ち着いた空気と、ゆっくり流れる時間。
「先生もお疲れでしょうに、ういろアイスいかがです? 先生お好きでしょう、ソーダ味」
本音では「やったー!」と飛び上がりたい。しかし今は教師として、担任としての立場がある。野々宮はその気持ちを抑え、きちんと姿勢を正して一礼した。
「ありがとうございます。いただきます」
静かにそう言って受け取る彼の生真面目な姿を、女将は昔から気に入っていた。まるで我が子のように目を細めて見つめてくる。
そのとき、和菓子屋の木戸がからんと鳴った。
「いらっしゃいま……あら」
入り口に立っていたのは、希菜子と同じクラスの岐部葵だった。




