第十八話 信用できる?
午前の授業は野々宮のクラスだった。綿密に準備された指導要領と、生徒たちの穏やかな空気に助けられ、辻村はなんとか授業を無難に終えることができた。希菜子や葵がさりげなくフォローしてくれたのも大きかった。
かつて家庭教師をしていた頃の感覚がよみがえり、続く二年生のクラスでも、朝練帰りの部員たちと軽口を交えながら、授業をスムーズに進行。自分なりに「やり切った」という手応えを感じていた。
満足げな顔で職員室に戻ると、辻村はさっそく野々宮に感想を求めた。
「いやー、どうよ俺。結構ウケよかったよな? ちょっと教師の勘、戻ってきたかもって感じ?」
しかし、返ってきたのは冷ややかな一言だった。
「……たった一日で調子に乗らないほうがいい」
「厳しいなー……ま、さすがベテラン教師の野々宮先生には敵いませんってことで」
辻村は肩をすくめて笑ってみせたが、その笑顔の奥には、どこか「認めてほしい」という気持ちがにじんでいた。
昼休み、向かった先は、昨日と同じバスケットコートだった。
すでに先客がいた。日陰になってはいるが暑さは変わらない。
「来たな……」
コート中央には、体操服姿の葵が仁王立ちしていた。ベンチには日傘をさした希菜子が座っており、あんぱんをゆっくり頬張っている。
「あの……辻村先生、自己紹介の時に前の仕事探偵さん、て仰ってましたよね?」
辻村は頷いた。あくまでも臨時教員としてつなぎで来てるわけだからと野々宮からは自己紹介はそう長々するものでないと言われたがやはりしなくては、と。
そしてステレオタイプな探偵では無いがそんなことを高校生に言うのもかなり問題があるため普通に探偵をしていた、とは話はしていた。
「今までどんなこと解決してきたの?」
と希菜子は聞く。辻村は鼻で笑って
「そんなカッコいいもんじゃないよ……君たちが思うような探偵とは違う、それだけは言える」
と返した。それでいいかわからないが短い付き合いで自分の身の上話を語ることは良く無いことは経験上周知の上だ。
希菜子はそれ以上追及しなかった。ただ、興味ありげな目でじっと辻村を見つめていた。
「チャラそうに見えるけど、ちゃんと話すと意外と真面目」
辻村が苦笑すると、希菜子はくすっと笑った。
そんなやりとりを聞きながら、葵は腕を組んだままコートの中央でじっと立っている。
ふと、野々宮の方をちらりと見る。
「それよりも……希菜子さん。何か用があったんじゃ?」
「そうそう」
希菜子は紙袋を取り出し、その中から一冊の台本を差し出した。
「去年の台本と3年前の台本です。三年前のはうちの和菓子屋で住み込みで働くお弟子さんが卒業生で……持っていたんです」
この学校では、毎年学園祭の演目として指定の印刷所に台本を発注しており、しっかりと製本されたものだった。辻村は台本を手に取る。
「衣装も台本も、けっこう金かけてるんだよな……」
と、興味深げにページをめくる。
「……辻村先生も、ある程度ご存じなんですよね?」
実のところ、「心中姫」のシナリオは暗黙の了解で校外秘となっている。原作者が不明というのも理由のひとつだ。
とはいえ、例のAV事件や心中騒動を経て、卒業生や関係者がまとめサイトを立ち上げたり、掲示板に書き込んだり、台本がフリマアプリで流通するようになり――内容はすでにほとんど知れ渡ってしまっていた。
「本当はこの劇、在校生だけで演じて、在校生だけで観る……みんなの大事な思い出なんです。それが外に漏れてしまうなんて、悲しいですよね」
希菜子はしみじみと言った。差し出されたのは、昨年上演されなかった幻の台本だった。
「去年、私も出る予定でした。葵は恥ずかしいからって、当日カメラ係をやるつもりで」
「へぇ……希菜子さんは、どんな役だったの?」
辻村はキャスト一覧に目を走らせる。姫は教師・友里恵、王子の欄は空白だった。
「私は……姫の結婚に賛成するメイド役でした。あと王子は……友里恵先生が当日発表したいって言ってて、記入されてなかったんです。それまでは練習で裏方の龍弥くんが代役で……前日まで……だから王子が誰か全くわからなくて」
希菜子の声が少しかすれた。黙り込んだ彼女に、葵がそっと目線を送る。
「今もわからないってことか?」
「……うん。だからみんなは龍弥くんじゃないかって掲示板でも荒れてたし、先生もかなり追い込まれてて。先生はみんなの前で違うって何度も否定してたんだけど……ああいう騒ぎに」
王子の代役が一ノ瀬龍弥……接点は確実にここであったということになる。
希菜子だけでなく葵も悲しい顔をしていた。
辻村は、希菜子の台本にびっしりと書き込まれたセリフの修正、立ち位置のメモ、ダンスや歌の注意点などを見て、彼女がどれほど真剣にこの劇に取り組んでいたかを感じ取っていた。
それはもう、痛いほどに。
「あー、でも……ちょっと汚くてすみません。あんまり見ないでくださいね」
そう言って、希菜子は恥ずかしそうに笑った。
使い込まれた台本のページには、セリフの修正や立ち位置、歌やダンスの細かな書き込みがびっしりと記されている。丁寧で、真剣な跡だった。
そんな様子を見ながら、野々宮がふと口を開いた。
「でも……これは昨日来たばかりの辻村先生に見せてよかったのか?」
少し意地悪にも思える問いかけだったが、希菜子は首をかしげながら、やんわりと答える。
「んー……なんか、お二人……昔からの知り合いっていうか……そんな感じがしたんです」
思いがけない言葉に、辻村も野々宮も一瞬目を見開く。
希菜子はにこりと笑って続けた。
「なんか、空気が似てるというか。あ、もしかして、学生時代の友達とかですか?」
「わかる?」
辻村が調子よく野々宮の肩に手を置く。
しかし野々宮は、無言でその肩を上げ、あっさり振り払った。
その様子を見て、希菜子がふふっと笑い、ベンチにいた葵もつられて笑った。
「ほんと、昔からの友達みたい。昨日もなんとなくそう思ったけど……」
「え、昨日って……?」
「バスケしてたとき。辻村先生がジャケットを野々宮先生に投げたじゃないですか。でも、そのあと野々宮先生、ちょっと嫌な顔しながらも、ちゃんと畳んでたから」
思わぬ観察眼に、辻村と野々宮は顔を見合わせてしまう。
(そんなところまで見てたのか)
「私、野々宮先生が先生になる前から知ってます。だから、先生の仲のいいお友達さんなら、信頼できると思って」
希菜子のその言葉に、辻村は少し驚いた表情を浮かべた。
「あと、今年の学園祭で心中姫の今までのことを展示するらしいです……私たちは去年参加で誘われたけど……クラスの和菓子屋喫茶の方でリーダーやるから……」
希菜子が参加しない理由もわからなくもない。
「台本はそれで持ってきたの?」
「……はい」
辻村はこれまで自分が担当してきたクラスの生徒たちは、臨時の教師というだけで距離を置いてくることが多かった。
この学校にはすぐ何かしらの理由で消えていく教師も多々いたであろう——今回も辻村はそんな風に見られていることを、ずっと感じてきた。
「あ、じゃあこれ少し読みたいから借りていいかな?」
そう辻村が希菜子に聞くと
「ええ、読み終わったら展示に出すので……」
と渡してくれたのだ。少し興味はあった心中姫の台本が辻村の手元に来たのだ。
「辻村先生、また試合やりましょう」
葵が声をかけてきた。
「お、おう。まかせとけ!」
と勢いよくジャケットを脱いだ辻村だが野々宮を見てゆっくり渡した。
野々宮はよしよし、という顔をしてジャケットを丁寧に持ち直した。
そして葵と辻村はまたバスケを始めた。
「また汗だくになるぞ」
「シャワー浴びればいいことだ!」
と葵とバスケに興じる辻村。
——このまま、傍観者ではいられない。
辻村は心の中で言葉を繰り返す。
——誰が、何を隠しているのか。
——なぜ、あの事件は起きたのか。
——そして、本当に心中だったのか。




