第十三話 蘇る記憶
電車に揺られる二人。職員室で何度も野々宮や高橋からアドバイスを受けて書類と睨めっこし気づけば19時を過ぎにようやく学校を後にした。
高橋とは電車に乗る前に最寄りの駅で別れ、辻村は野々宮に着いて来いと言うと二つ返事で野々宮は着いてきた。
電車内は帰宅ラッシュだがそこまで混んではいない。
「……歓迎会……ってのは、やっぱりないよな?」
「ここ最近はそんな文化はない。そもそも、入ってすぐ辞めるやつばかりだ、誰も期待してないしな。僕も無理に付き合うタイプじゃない」
そう言いながら、野々宮はリュックを前に回し、両手で吊り革を持つ。揺れにもブレない体幹。姿勢が崩れないのは昔からだ。
(……変わんねえな。無駄に体幹がいいのとこだわりが強いの)
辻村は内心でそう思いながら、揺れる車内で軽くバランスを取り直す。こうして電車に揺られるのも、大学時代以来だと気づいた。
あの頃もどこかに電車で出かける時もこんなふうに並んで立っていたが、今は微妙な距離がある。肩が触れないように保たれる間隔に、少しだけ時間の経過を感じた。
窓の外では、ビルの隙間にちらつき始めるネオン。
「……若いっていいよな」
どこかから聞こえてきた大学生らしき笑い声に、辻村がぽつりとこぼす。
「そうか? 自分はもう若くないとでも言うのか?」
「気持ちは若いつもりでも、体力はそうもいかねぇんだよ」
「……高校にいると、気持ちだけでなく体力もそれなりに必要になる。維持はされるよ、ある程度は」
「へぇ。教師って意外と体育会系なんだな」
野々宮は、そうでもない、とでも言いたげな顔をしたまま黙りこむ。彼の視線は、車窓の外を遠く見ていた。
20時過ぎ。すっかり当たりは暗くなった。電車を降りた二人は、繁華街のネオンの下にいた。
パチンコ屋、ガールズバー、クラブ、ホストクラブ……雑居ビルに詰め込まれた夜の店たち。辻村は何も言わず歩いていく。それに着いていく野々宮。
「……ロッカーあるか?」
「あ、ああ。まぁ安全なのはあっちかな」
そう言われ辻村は近くのロッカーに荷物を入れた。
「手慣れてるな、こうやっていつも着替えて行くのか?」
野々宮は黙って頷き、ロッカーに荷物を入れて出てくる。
「ここの街は担当外だが定期的に夜の街で生徒たちが出歩いていないか任意でパトロールしてるんだ」
着替えた野々宮は、シャツのボタンを二つほど開け、手をペーパータオルで丁寧に拭ってからメガネを外す。ケースにしまい、代わりにコンタクトを装着。
手慣れた動きでピアスを耳につけ、細いチェーンのネックレスを首にかける。香水を手首に一吹きして馴染ませ、仕上げに髪をかき上げる。
(そのピアス、まだ塞いでなかったのか)
その一連の所作に、辻村はふと懐かしさを覚えた。
(……根っこは変わんねぇな、こいつ)
「……何ジロジロ見てる。お前もそのスーツだと浮くぞ」
そう言われて特に着替えはなかったが辻村はジャケットや黒色の肌着を脱ぐと黒のタンクトップ姿になった。タンクトップから覗く厚みのある筋肉と胸元と両肩、背中のタトゥー、黒の肌着はそれらを隠すためであった。
「まぁこれで行ってもいいよな」
「いいんじゃね? ……てかタトゥー増えたな。胸元の右腕」
「おう、かっこいいだろ……右腕は一度事故した時に怪我したからそれ隠すためと、これ以上事故しないための太陽神のデザインで、胸元のは……」
と話をしていたが野々宮は聞いていないようだった。
野々宮は胸ポケットから電子タバコを取り出して口にくわえる。その仕草ひとつで、大学時代の空気が一瞬、辻村の中に戻ってくる。辻村もタバコを手にする。
「いや、やっぱ見た目って大事だなって。これで教師やってます、なんて誰も思わねぇよ。てかパトロールって建前で、結局遊びに来てるんだろ?」
「……そのつもりで誘ったのはどっちだ」
野々宮の言葉に、辻村は笑いながらタバコに火をつけた。二人の視線の先、夜の路地の奥でネオンが静かに瞬いている。
やがて、通りには若者たちが集まり始める。呼ばれるように、吸い込まれるように、夜の街に紛れていく彼らの流れに混ざり、二人はとあるナイトクラブの前にたどり着いた。
店に入る直前のことだった。
突然、何人かの大柄な外国人グループが横から割り込んできた。その一瞬、離れかけた二人の距離――
野々宮が、辻村の右手をさっと取った。
「……琥太郎」
下の名前で呼ばれたのは、いったい何年ぶりだろう。辻村は思わず目を見開き、野々宮を見た。
「まぁ明日から大変だけど……楽しもうな、今夜」
ふっと、野々宮が微笑む。
その笑みに触れた瞬間――
辻村の中で、遠い記憶の底に置き去りにしていた何かが、静かに目を覚ました




