第十一話 生徒たちの祈り
希菜子と葵は見たことのないガタイのでかいスーツ男、辻村を見て頭を下げる。特に驚きも怯みもしていない。
「今新しい先生に学校の中を案内してたんだ。あ、この人は……」
辻村はすっと前に出た。
「初めまして辻村琥太郎と申します。多分明日からここに教員としてお世話になります」
と丁寧に挨拶する。しかし先ほどの簡易通行書を見せるがやはりひらがなだと説得力がない。二人が特に彼を不審に思ってないのも臨時教員の入れ替わりが多い証拠でもありそうだ。
続けて野々宮が生徒を紹介する。
「この街の……有名和菓子店の飯塚希菜子さんと、そのお友達の岐部葵さん。二人とも僕のクラスの生徒だ」
希菜子はニコッと微笑んだ。そして無言でボールをついていたのは、葵。
「…………女の子……なんだよな?」
辻村が少し慎重に言葉を選びながら尋ねると、葵は無表情のまま辻村を見返す。
「女子生徒だ。うちはスラックスを採用しているからね」
葵は辻村をじっと見ている。何かを言いたそうな感じで。
「すみません、葵はちょっと……ぶっきらぼうというか、人と話すのがあまり得意じゃなくて」
希菜子が少し困ったように肩をすくめる。
「いや、別に謝ることじゃないよ。俺こそ、その失礼なことを」
そう辻村が言うと、葵は何の反応も見せずにまたボールを手に取る。ただ希菜子の方は、そんな彼女の横で軽く肘を突きながら、
「葵ー、スマイル、スマイル〜」
と口にし、小さく笑う。葵は顔をそむけながらも、どこか照れくさそうに見えた。
そんな彼女の前に、辻村はふらりとハーフコートに足を踏み入れた。ポケットに手を入れたまま、葵の前に立ちはだかる。
「ちょっとだけ、相手してみてもいいか?」
葵は無言のまま頷いた。
「持ってて」
と野々宮にジャケットをホイッと投げつけた。気合いが入る辻村。
「ちょ、何してんだよ……たくっ」
野々宮はスーツを咄嗟に受け取り丁寧に持ち直した。
コートではもう始まっていた。葵はボールを突きながら静かにステップを踏んだ。辻村は背をわずかに屈め、動き出しに備える。なるべく触れないよう、けれど手加減はしない。彼なりの礼儀だった。
コートの上で二人は静かに対峙する。ボールがアスファルトを叩く音と、スニーカーと革靴が地面を擦る音だけが響いた。
葵は鋭く切り返しを仕掛ける。辻村も身体を預け、前に出る。
右、左、また右――彼女は隙を探り、抜け道を見つけようとするが、辻村は経験でその動きを読む。ギリギリの距離で身体を寄せ、行く手を塞ぐ。
一瞬の間。葵の目が揺らぎ、辻村が一歩だけ遅れた。
その隙を突いて、彼女がボールを弾いた。フットワークで空間を作り、鮮やかにシュートモーションに入る。
しかし――辻村の腕がそれを上から叩いた。
「ほいっと」
長いリーチが、まるでカーテンのように軌道を遮った。
「くっそー!」
悔しがる葵に、希菜子がすぐタオルとペットボトルを手渡す。葵はそれを受け取ると、軽く額の汗をぬぐった。
希菜子は続けて、辻村にも冷たい麦茶を差し出す。
「サンキュー。葵さん、いやーなかなかタフだな。希菜子さんはバスケやらないの?」
そう尋ねると、希菜子は首を横に振って笑った。
「私は……見てるだけで満足なんです。運動、ほんっと苦手で」
葵はどこかまだ勝負に未練があるような目で、再びコートに視線を向けていた。
「いつもひとりでやってるのか? ……バスケ部かと思った。動き、かなり冴えてたから」
辻村の問いかけに、葵と希菜子が一瞬ぴくりと肩を揺らす。互いに目を見交わし、何かを確認するように黙り込む。
少し間が空いてから――
「……バスケ部じゃない」
そう答えたのは葵だった。目を伏せたまま、小さく吐き出すように。
その言葉に合わせるように、希菜子がそっと視線を落とす。葵は、両腕にバスケットボールを抱きしめた。まるでそれが何かの代わりであるかのように。
「去年の夏までは……龍弥と、やってた」
声はかすかに震えていた。口に出すことで何かがこぼれ落ちそうになっているような、そんな響きだった。
希菜子がそっと葵の肩に手を添える。柔らかなその手が、彼女の背を支えていた。
(龍弥……? てかなんか悲しそうな顔をしてる)
隣の野々宮が小声で伝える。
「一ノ瀬龍弥……例の、あの心中事件で亡くなった生徒だ」
「最初は、葵が一人でボールをついてて。私はそばにいただけだったんです。でも、一年の終わりごろ……龍弥くんが突然現れて、何も言わずにボールを持って……」
「それからは、いつも二人で」
希菜子は葵の代わりに伝えた。
そして葵は、静かに口を開く。
「……あの夏休み明け、龍弥は変わった。何か……背負ってた。急に黙り込むことが増えて。私には言わなかったけど」
「それって、やっぱり……」
辻村が問いかけようとしたその瞬間、葵がまっすぐこちらに歩いてくる。
「先生と付き合ってたなんて、あんなの……嘘です。ひどい噂が……SNSで出回ってて……」
葵は校舎の真下を指差す。
「あそこで2人が落ちたって。結ばれない恋だからと一緒に心中したとか……なにそれって感じですよ」
「事件の後、警察にも記者にも、何度も聞かれました。2人ともそんなことをするような人じゃない」
希菜子が言葉を続けた。
「私たち、もう何度も説明したんです。でも、心中って言葉で全部まとめられて……もう、誰も話を聞こうとしない」
葵はバスケットボールをそっと地面に置き、辻村を見据える。
「警察も、世間も……みんな決めつけて終わらせようとしてる。でも、私たちは納得してません」
辻村は、ゆっくりと深く頷いた。




