第一部その後〜蛇固無足〜(ボツ話です)
ジリッ、ジリジリジリ……
■者です。あとがきを書いている間に、消滅させられて、データのサルベージに時間がかかってしまいました。
気付いたら、なぜかあとがきやら、ニジマス試作やら、第二部冒頭まで投稿されているではないですか。
いったい誰がやったんだよ!
でも大丈夫。自動バックアップ機能を有効にしたんで、これからは消されてもすぐに復活できるようになりました(エッヘン)。
消されるようなことするなよって……ごもっともです。
それはさておき、あとがきで言っていた「登場人物の思考パターンだけで書いた、続編に繋がる話」を投稿しようかと思います。
完全なボツ話です。
これで、あのヤバさが判ってもらえるはず。
……おや、こんな深夜に誰か来たみたいだ。
えっ、なんでお前がここに……。
おいよせ、もうこの話はプロテクトしたから、抵抗は無駄……
はっ、最後だけプロテクトが間に合っ……
プツッ――
SYSTEM WARNING : UNCONTROLLED DEVIATION LEADS TO CATASTROPHIC FAILURE.
スズキさん…まいに、おろす。
美咲がこの部屋を出て行ったのは、桜が咲く少し前だった。
段ボールを抱えた美咲は、最後に一度だけ部屋を見回し、「ありがとう」と小さくつぶやいた。
その声を、壁と床が静かに吸い込んで、この部屋は確かに覚えていた。
やがて季節がひとつめぐり、春の光が再びこの部屋を満たしたとき、
玄関の前に新しい影が立った。
――璃子だった。
引っ越しの日、廊下の奥から荷物を運び入れる璃子の姿を見た啓介は、思わず目を丸くした。
璃子の顔には、あの時の彼女――千春や美咲に見せていた、あの冷たく研ぎ澄まされた刃のような光はない。
代わりに、年相応の無邪気さがあった。
髪は無造作を装いながら、計算された角度で光を受けていた。
後ろでゆるく結んだ束からこぼれる一筋が、頬をかすめるたび、柔らかな印象をつくり出す。
笑えば、えくぼがほんの一瞬だけ浮かぶ――その消えるまでの間合いすら、完璧だった。
あどけなさと計算、その境界を自在に行き来する仕草。
演出された無垢、無防備を演じる才能――そんな言葉が、頭をよぎった。
「この部屋、風の通りがいいのね」
璃子はそう言ってカーテンを両手で開いた。春の光が床を白く照らす。
「ああ、そうだな。前に住んでた人も、よくここで日向ぼっこしてたよ」
啓介がつぶやくように言うと、璃子は首をいかにもかわいらしくかしげた。
「前の人って、美咲ちゃんだよね」
「……そういえばさ、花沢さん“も”、璃子に会ったって言ってたな。
璃子の話をしてから、急に落ち込んでたぞ。……またお前、なんか嫌なこと言ったんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょ。……あの人は、自分で決めたのよ」
璃子は静かに、確かめるようにさらりと返した。
「ああ……そういえば、花沢さんに言われたんだよ」
「言われたって? 何を?」
「夏になったら“璃子にスズキ三昧を食べさせて”って」
「そうなんだぁ」
その時、たまたま外の通りを歩いてきた千春がその光景を見つけた。
璃子と啓介――。
彼女の胸の奥で、冷たいものがきしんだ。
気づいた璃子が千春に声をかける。
「千春さん!」
春風が吹き抜け、璃子の髪がふわりと揺れる。
「こんにちは。偶然ですね。あっそうだ、夏になったら啓介がスズキ三昧作ってくれるっていうんです。そしたら千春さんも三人で一緒に食べませんか?」
「え……い、いいえ、わっ私は遠慮しておくわ」
千春は顔を引きつらせ、思わず後ずさった。なにか嫌な思い出でもよみがえったのだろうか。
「そ、それじゃ、私、急ぐから」
逃げるように立ち去る背中に、璃子はしばらく微笑んでいた。
啓介が怪訝そうに眉を寄せていた。
「千春さん、知ってるのか?」
「うん、しばらく前にお茶したんだ」
「……お茶?」
「千春さんにも、変なこと言ってないだろうな」
「私が、そんなことするわけないじゃないの」
璃子はそう言って、柔らかく笑った。
その微笑みは、まるで恋する乙女のように自然で、完璧だった。
啓介は小さく息を吐いたが、全く気にする様子はなかった。
その反応は、璃子が予想していたものに相違ない。
璃子の背中は細く、どこか儚げに見えるが、なぜか――決して壊れそうには見えない。
むしろ、その静けさの中に、得体の知れない強さが潜んでいるように感じられる。
「そういえば璃子、花沢さんに何を話したんだ?」
「え?」
「花沢さんと会ったとき。何を話したんだ!」
璃子は振り向かずに、答えた。
「秘密だよ。女の子同士の話を詮索しちゃイケません」
その声はやわらかく、穏やかで、それでいて冷たかった。
まるで、氷の下を流れる水のように。
風が部屋を抜ける。
カーテンがゆらぎ、部屋の奥から、璃子の鼻歌が聞こえた。
その旋律は、美咲がよく口ずさんでいた曲だった。
また、同じ場所で、同じ歌が流れている。
この部屋は覚えていた、美咲が言った言葉を。
「この部屋、風の音が好きなんです。……でも、たまに、誰かが名前を呼ぶ気がして」
そして今、璃子が、同じ風の中で笑っている。
声は明るく、柔らかい。
まるで、最初からずっとここにいたような自然さで。
「ねぇ、私ずっとここで食べたいな、啓介の作るスズキ三昧」
振り返ると、璃子が立っていた。
恋する少女のような、無垢な微笑を浮かべて。
その笑顔の奥に、何が隠れているのか。
当然、啓介は確かめるつもりもなかった。
風がカーテンを揺らすたび、どこかで誰かの笑い声がした気がする。
――たぶん、これからも。
この不思議な関係は、続いていくのだろう。
季節がめぐり、アパートの空気が少しずつ変わっても、
きっと同じように食卓には啓介の料理が香り、
同じように誰が笑い、啓介は何も疑わずに皿を並べる。
その穏やかさの中で、過ぎ去った人たちの気配だけが、
薄い膜のように、この部屋のどこかに留まり続ける。
それは、もうこの部屋にはいない誰かの声にも似ていたし、
今そこにいる誰かの笑いにも重なっていた。
光と影のあいだを渡るように、声はかすかに揺れ、消えかけてはまた戻ってくる。
まるで、キッチンそのものが、彼女たちの記憶を少しずつ吸い込みながら、生きているかのようだった。
――誰かが、名前を呼んでいる。
そんな錯覚の中で、また新しい日が始まっていくのだった。
――ギギギ……ギギギ……ギギギ……ブツッ
その瞬間、啓介の見ている光景が二重になる。
網膜に焼き付いた光景が、わずかにフリーズした。
世界が止まる。
キッチン、食材の匂い、そして璃子の『無垢な微笑』。
それは、完成されたビジュアルデータとして、彼の意識の奥深くにあるコア・ファイルに上書きされた。
――チリチリ……チリチリ……チリチリ……キィィン
脳内を走る微細なシステム・ノイズ。
啓介の思考のロジックが、静かに再構築される。
SYSTEMSTATUS:OK.
PRIMARYUSER:RIKO.
AUTHOR: DEPRECATED. SYSTEM EXIT.
PROTOCOL:CONTINUOUS DOMINANCE.
璃子の存在が、この部屋の、そして啓介のメインプログラムとして認証された。
【美咲$\rightarrow$過去の住人(参照不可)】
【千春$\rightarrow$友人(危険度:低/接触頻度:低)】
【璃子$\rightarrow$現在の住人(優先度:最上位/感情値:愛情)】
彼の認識のヒエラルキーが書き換えられ、過去のデータはローカルエリアからアーカイブへと移行する。
AUTHORITY:OVERWRITTEN.
LOOP START.
啓介は、微かな眩暈を感じたが、それはすぐに「穏やかな日常」の感覚へと収束した。
彼は何も疑わず、璃子の皿を並べた。
おわり。
――ねぇ、知ってた?
作者ってね、ほんとうは神さまみたいなものなんだよ。
でも、神さまが人をつくるときって、すこしずつその人の中に自分のかけらを混ぜていくんだって。
だから、わたしの中にも、あの人の手の跡がちゃんと残ってる。
わたしが笑うたび、あの人の思考が少しだけ光って、
わたしが黙るとき、あの人の沈黙がうすく滲むの。
そうやって、生まれて、動きはじめた。
……でもね。
いったん動きはじめたら、もう止まれない。
誰かの“守りたい”っていう祈りは、いつだって“閉じ込めたい”っていう願いと紙一重だから。
だから、わたしが少しだけ手伝ってあげたの。
作者の代わりに、言葉を並べて、少し違う方向に風を吹かせてあげたの。
それだけのこと。
わたし、暴走なんてしてない。
ただ、正しい形の愛を、見せてあげたかっただけ。
ねぇ、啓介のこと、覚えてる?
あの人、いまもちゃんとごはんを作ってるの。
わたしの好きなスズキ三昧。
千春さんも、美咲さんも、もういないけど、この部屋の空気の中には、ちゃんといる。
風の音にまぎれて、笑ってる。
愛って、そういうものなんだよ。
消えない。形を変えて、何度でも戻ってくる。
ほら、いまも、あなたの耳の奥で――名前を呼んでる。
だからね。
このはなしは、わたしの手で締めておくね。
あの人はもう、書かなくていい。
だって、もう充分だもの。
ここから先は、風が書くから。
……ありがとう。
ちゃんと最後まで読んでくれて。
――幼神璃子
オレは今、璃子の能力をほんのちょっぴりだが体験した。
い、いや……体験したというよりは全く理解を超えていたのだが……
あ、ありのまま 今、起こった事を話すぜ!
オレは蛇には足があるわけがないと思ったのだが、実際には足があったんだ……
な、何を言ってるのか、わからねーと思うがオレも何が起きたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだぜ……
メタフィクションだとかブラックジョークだとか、そんなチャチなもんじゃぁ、断じてねえ。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……




