第八話 波動の行方
禍野街の外では激しい戦闘が繰り広げられていたが、街の奥も騒がしくなっていた。
「とりあえず手当だ。俺の能力で止血はできる」
針で胸を刺された市民を、他の五年子たちが必死に手当していた。針のおじさんは何もできず、ただ放心したまま一点を見つめる。
その横を、一匹のネズミがすばやく通り過ぎる。闇に溶けるその小さな影は、禍野街の奥を静かに探索しているかのようだった。
さらに奥へ進むと、柚は避難している子供や女性の人数を数えながら、厳しい目で見張っていた。
彼女の視線は鋭く、異常の気配を決して見逃さない。子供たちは怯えた表情を浮かべていたが、柚の存在に少し安心しているようだった。
すると、一人の男の子が小さく手を挙げた。
「……柚、トイレに行きたい……」
柚はすぐさま頷く。
「わかった。近くの岩陰で済ませておいで。すぐ戻ってくるんだよ」
男の子は頷き、急いで岩陰に向かう。
そのすぐ脇を、先ほどのネズミが音もなく通り抜けた。薄暗い岩陰の中で、赤い瞳がわずかに光る。
街の外では、依然として戦闘が続いている。遠くで響く怒号や爆発音が、空気を震わせる。
遠くの門前から、数珠の音が風に乗って街全体に響く。
数珠使いの両腕の数珠が弾丸のように飛び出す。五十嵐は腕で弾き、肩で受け止めながら、間合いを一気に詰める。
拳を振り抜く瞬間、散らばった数珠の球が数珠使いの前に集まり、両腕の数珠は瞬時に円形の盾となって五十嵐の拳を止めた。
「お前の拳では、この盾は壊せん……」
数珠使いは余裕の笑みを浮かべ、五十嵐を見下ろす。
五十嵐は笑っていた。
「はは、壊すつもりは最初からねえよ」
「な……?」
「オメェの球は手元に戻るのに時間がかかる――その隙を狙ってんだ」
五十嵐は、散らばった球が再び盾を形成する前にもう一度拳を振り抜いた。
ドゴッ!
直撃の衝撃が数珠使いを吹き飛ばす。瓦礫の上で膝をつき、顔を歪める敵。周囲には散乱した数珠の球が点在し、月明かりに金属光を反射している。
五十嵐は拳を下ろし、静かに息をつく。
「……終わりだ」
だが、不意に振り払った拳の先を見ると、視線の端に不穏な動きが映った。
相手の首の数珠が、蛇のように五十嵐の腕に絡みついていた。
――まだ、終わってはいなかった。
目線を敵に戻すと、倒れていたはずの相手が、既に姿を消している。
「首にも数珠があるのを忘れたか?」
敵が五十嵐の耳元で囁く。
「ふん、数珠如きで俺を縛るのは無理だ」
五十嵐は力づくで引きちぎろうとする。
だが、首の数珠はびくともしない。
「私の本命は首の数珠だ。両腕より神気を多く含んでいるだけでなく、数珠一つ一つについている針でお前の気を吸い取る――徐々に力を奪い、お前は死ぬ」
「……こりゃ、少しヤベェな」
勝利を感じていた五十嵐に、新たな危機が迫る。
そのころ、瓦礫の上で霧原は影の男を睨みつけていた。体はすでにボロボロで、影に翻弄され続けている。
「くっ……!」
影の男の蹴りが宙を切り裂き、霧原の側頭部をかすめる。霧原は辺りに波を巡らせ、周囲の位置を把握しようとするが、無数の影の分身が現れ、どれが本体なのか見極められない。
「こっちが本体だぞ」
影の男は笑みを浮かべ、攻撃を重ねる。霧原は回避を試みるが、タイミングがわずかに狂い、背中や脇腹に直撃を受ける。連続する小さな衝撃に、息が詰まる。
霧原の目の前で、影の男が滑るように移動し、連続で攻撃を叩き込む。波を周囲に張るだけでは本体を捕らえられず、回避は常に後手に回る。
「ぐっ……!」
波を広げても、目に映る影はすべて同じに見える。 分身の一つに当たったかと思えば、それは偽物。実体の拳が霧原の横腹を直撃し、体が一瞬宙に跳ねる。「は……はあっ……」
息を整えようとするが、次の攻撃がすぐに襲いかかる。地面に膝をつき、血を吐きながら、霧原は歯を食いしばる。
(これじゃ、本体を確実に狙えない)
影は無表情のまま近づき、鋭い蹴りを放つ。霧原の波は届かず、腕を貫かれかけ、咄嗟に回避しても全身が痺れるような衝撃が走る。
「お前は弱いな、もう終わりそうだ」
影の男は嘲笑う。
(……くそ……どうすれば……!)
霧原は攻撃を受けながらも、必死に最善策を探る。
その時――霧原の脳裏に閃きが走る。
(……待て……本体は必ず、俺を狙う……!)
影の拳は再び迫り、霧原は膝をつきながら血の味を噛みしめる。押され、追い詰められ、勝ち目のない戦い。瓦礫と影の連撃に打ちのめされ、視界は血と土で揺れ、呼吸は浅く、脚は鉛のように重い。
影の男は短く吐き捨てた。低い声が瓦礫に反響する。
「次で終わらせる」
その言葉を合図に、影の拳が連打となって迫る。
命中寸前――脳裏に、子どもたちの顔、五十嵐の背中、禍野街のすべてがスローモーションのように浮かぶ。今しかない。
霧原はゆっくりと息を吸い、吐いた。
波を外へ伸ばす感覚を、強引に内へと引き戻す。皮膚の下、筋繊維の隅々、骨の奥底にまで神気を押し込み
――全身に波を巡らせる。
切り替わった感覚は異様だった。外界に広げていた視界は一瞬で霞み、代わりに自分の呼吸の振動、心臓の鼓動、血流のさざめきが鮮明に広がる。
四方八方から影が現れ、本体は判別できない。
――それでいい。
敵の拳が霧原に触れた、その瞬間。内に巡らせた波が感覚を爆発させ、敵の居場所を瞬時に掴む。反射的に身をひねり、体軸を入れ替える。
拳は虚しく空を切った。影の男の顔に、一瞬の驚愕が走る。
すかさず霧原は、体内に溜めた波を刃のように叩き放つ。地面を伝った衝撃が影の足元を砕き、虚像が次々と崩れ落ちる。本体がよろめいたところを逃さず、霧原の掌が胸倉を掴む。
渾身の一撃。
──ズシリ
と鈍い感触が骨を伝い、影の男は後方へ吹き飛んだ。瓦礫を巻き上げ、仰向けに転がる。その体から立ち昇っていた影は薄れ、周囲の分身も一斉に消え去る。
霧原は膝をつき、血を吐きながら顔を上げた。夜風が傷口を撫で、神気の余韻が体表を震わせる。影の男は起き上がれず、荒い呼吸を繰り返すだけだった。
勝負はついた。だが代償もまた重い。筋肉は裂け、肺は潰れかけ、呼吸はなお乱れていた。
霧原索斗の能力
《波動感知(ウェイブ•リンク)》
《通常時》
—自身の神気を「波」として放ち、その反射で敵の位置や動きを正確に把握でき、波を一気に放出すれば辺りを押し流すことも可能。さらに戦いの中で、この波を自らの肉体へ巡らせることで、敵の攻撃が触れた瞬間に本体の位置を感知できる。高速の奇襲や不意打ちさえも見切る切り札となる。
勝負を終えた霧原の視線は、ふと遠くへ吸い寄せられた。
門前の別の戦場――そこに立つ五十嵐の姿。
だが、その光景は霧原の想像をはるかに超えていた。
五十嵐の右腕は布ごと裂け、血を滴らせながら地面に転がっている。彼の表情は相変わらず鋭いが、どこか疲弊した影が差していた。その傍らには、なおも数珠を握りしめる男の姿があった。
霧原の喉から低いうめきが漏れる。勝利の余韻は一瞬でかき消え、胸の奥に重苦しい予感だけが沈み込む。
――戦いは、まだ終わっていない。
八話ありがとうございます。碧甫です。
霧原の勝利からの五十嵐の右腕、そして街の中に入り込んだネズミ、ますます重くなってきました。
それではまた次回




