第五話 迫る影達
朝焼けの空の下、禍野街の広場には掛け声が響き渡っていた。
「あと十回だ! 声を出せ!」
五十嵐が腕を組み、見守る。リキとヨル、柚は息を切らしながら腕立てを続けた。汗が土に落ち、地面を濡らす。
「……はぁ、はぁ……っ」
リキは腕を震わせながらも歯を食いしばる。横でヨルは冷静な表情を崩さず、ただ静かに耐えていた。
一方、柚は顔を真っ赤にして
「もうムリィィ!」
と叫びながらも、結局最後までやり遂げてしまう。
その様子を見て、五十嵐は豪快に笑った。
「よし!まだまだこんなもんじゃないぞ!」
三人は同時に地面に崩れ落ちた。
日々の修行は過酷だった。体力訓練、五十嵐との組手。霧原からは神気の調整法を学ぶ。リキは力を抑え込むことに苦戦し、ヨルは歪曲する時間の範囲を広げようと試みる。柚は自分の吸放の流れを繊細に操る練習を繰り返した。
修行の合間には、禍野街のみんなと食事を囲むひとときもあった。木の長机に並んだ皿には、質素だが温かいスープが並べられた。
隅の方には、リキが以前話した瓦礫の陰にいた男が誰とも会話せず、じっと皿を見つめている。
リキは迷わずそっと近づき、声をかけた。
「……隣いいですか」
男はゆっくりと顔を上げた。血管の浮いた腕に針のような刺し傷が多く残っていた。目にわずかに光はあるものの、どこか諦めた色を帯びていた。
「……すきにしろ」
男は機械のようにただ口に食べ物を運んでいた。
リキは腰を下ろし、笑みを浮かべた。
「みんなと食べないんですか?」
男は答えた。
「……俺は、もう……どうせ長く生きられねえ。誰とも関わらない方が楽だ」
リキはじっと男の目を見つめ、少し笑って言った。
「それでも、生きてる間は一緒にご飯食べた方が楽しいじゃないですか」
男の肩が微かに揺れ、匙を握る手に力が入った。「……楽しいか、……俺にも生きるのが楽しかった頃はあったな」
リキは男の目をみて、聞いた。
「もしよかったら、話聞かせてもらえませんか?」
男はため息をつき、視線を遠くに泳がせる。
「……俺たち五年子は、どこへ行っても疎まれ、仕事も断られる毎日だった」
リキは黙って頷く。男の指先が器の縁をなぞる。
「そんな時、女房に出会った。あいつは俺の目を見て笑ってくれたんだ。気づいたら娘も生まれてた。小さい手で握られた時、初めて守るって思った」
男は少し笑っていた。
「俺は身体中から針を出す能力でな、娘にはよくその針で縫いぐるみを作ってやった。その度にあいつは目を輝かせて喜ぶんだ。『お父さんのぬいぐるみ』って。そいつを抱いて寝る姿、今でも忘れられねえ」
男は笑おうとしたが、すぐに表情が曇る。軽く首を振って、次の言葉を吐いた。
「……あの日はな、ただ助けたつもりだったんだ」
男はうつむき、スープに映る自分を見ながら語った。
「仕事帰りに通りで、小さな子供が男に襲われていた。手には刃物が握られていた。見ているだけじゃ何もできねえ、そう思った」
男の声は低く、でも震えていた。
「咄嗟に身体中から針を出して、その腕を押さえた。男は倒れ、血が滲んだが、子供は無事だった……助けたつもりだったんだ」
リキは息を飲む。男の瞳には過去の光景が浮かんでいるようだった。
「でも、その瞬間だ……近くの人間が叫んだんだ。 『五年子に襲われた!』って。真実なんて関係ねえ。気づいたら周りに人が集り、俺に怒号を浴びせてきた。すぐに否定しようとした、
だがな、助けた子供は血のついた針を持った俺を指差して大声で泣いていた。子供の泣き声が針よりも鋭く胸を裂いた。……もう誰も信じてくれねえ。そう悟った瞬間、俺は逃げるしかなかった」
匙の音だけが、少しだけ大きく響く。
「家には戻れなかった。……戻れば、家族に矛先が向くかもしれない。……金と手紙を残して、俺はここに来た」
リキはかける言葉が見つからず、ただじっと見つめていた。
「俺はもうすぐ死ぬ。……最後にもう一度だけ家族に会いたいな」
リキはそっと肩に手を置き言った。
「必ずまた会えます。それまで生きましょう」
男は少し笑った。
「……こんなこと人に話したの初めてだ。ありがとな。」
こうして、修行と日常の中、五年子達の間にささやかな絆が生まれていった。知らぬ間に、街の片隅で生きる人々の心にも、少しだけ光が差していた。
その夜。禍野街のラジオから穏やかな声が流れる。『先月まで各地で相次いでいた暴動は、ここに来て収束の兆しを見せています。避難生活を送る人々の不安は、少しずつ和らぎつつあるようです』
リキは、ふっと胸を撫で下ろした。
「よかった……。もうあんなこと、起きないんだな」 ヨルも小さく頷き、柚はほっと息をついた。
三人の顔に、久しぶりに安堵の色が浮かんでいた。
一方その頃、政府特務機関――五年子対策本部。 その中枢である零部隊の隊室。厚い鉄扉の奥、無機質な部屋に隊員たちが集められていた。
部屋の中央に立つ男が口を開く。
「……上からの命令だ。禍野街に潜む五年子たちを、一斉に確保する」
零部隊隊長・望月感司。その言葉に、空気が一瞬にして重くなる。
沈黙を破ったのは、一人の青年だった。
「ふざけるな……!」
青年の名は神楽蓮。怒りを押し殺した声で言い放った。
「守るための確保じゃない。利用するためだろう……! そんな命令に従えるか!」
望月は苦い表情を浮かべる。
「気持ちはわかる。だが……上層部の命令には逆らえない」
蓮の眼は鋭く望月を射抜いた。
「隊長は、命令に従うだけなら……五十嵐さんに顔向けできるのか?」
部屋に緊張が張り詰める。誰も声を上げられなかった。
そして、さらに別の場所。
黒陽会の本拠地、豪奢な和殿の奥の広間。古びた肖像画が仄暗い灯の下で睨みをきかせ、壁の影がじっと息をしているようだった。
そこに、しわがれた老人と鋭い目つきの若者が向かい合って座していた。
老人は低く掠れているのに、不気味に残響する声で聞いた。
「暴徒した市民達は?」
若者は頭をわずかに下げ、慎ましく返すように口を開いた。
「既にこちらでなだめ、収束に見せかけております」
老人は薄く笑みを落とす。その笑みを若者はじっと見つめていた。
若者はさらに身を乗り出し、低く問いかけるように尋ねた。
「今後彼らを禍野街へ誘導した先で、我らはどのように振る舞えばよいでしょうか?」
老人の笑みは冷たく、爪先で机を軽く叩いた。
「演出だ。市民を禍野街へ押し込み、そこで小競り合いを起こさせる。混乱と怒号が生じた瞬間、我らの手下がその混乱に紛れ込み、市民を皆殺しにする。
見せ方さえ誤魔化せば、矛先は禍野街の五年子へ向く」
若者は深く頷き、折り目正しく答えた。
「承知しました。その通りに運びます。世論は我らの手の中にあると示してみせましょう」
老人は満足げに目を細めた。
「それと、有望な器は我らが確保すること。月影の血筋の末裔と、柚と言う娘は必ず生け捕れ。その他は淘汰して差し支えない」
若者は礼を尽くすように微かに頭を下げる。
「かしこまりました。我らの未来のために、無駄は排します」
広間には凍りつくような静けさが戻った。
禍野街には、リキ達の知らぬ二つの影が迫っていた。
黒陽会の狂気と政府の思惑
やがて街を呑み込む嵐が、静かに近づいていた。
第五話ありがとうございます。碧甫です。
第一章のクライマックスに向けて禍野街に危険が迫ってきています。果たしてリキ達の運命はいかに、ぜひ楽しみにしておいてください。それではまた次回




