第十七話 二つの顔
朝の空を、鳥が一筋の弧を描いて飛び去っていく。
その静寂を切り裂くように、零特専校の校庭では次なる戦いの幕が上がろうとしていた。
「──よーい、始め!」
補佐の田中の声が響く。
校庭の中央には、リキと真里が向かい合い、
遠くからヨルたちが見守っていた。
その中で、ただ一人、響だけが下を向いたままだった。
(遠距離攻撃のできる真里はどう仕掛けてくる)
リキはひとまずその場にとどまった。
「……リキ君、ごめんなさい」
小さく呟くと同時に、真里は両手から水を生み出す。
次の瞬間――轟音。
爆発的な水圧が、矢のようにリキへと放たれた。
初期訓練の比ではない。
水に宿る神気の密度が、格段に高まっていた。
リキは体を捻ってかわそうとするが、
水は真里の手元で軌道を自在に変え、全てを避けるのは不可能だった。
咄嗟に腕を顔の前に上げ、防御する。
――衝撃。
水流が腕を抉るように叩きつけ、リキの身体が数歩後退した。
放たれた水はゆっくりと地面に溶け込んでゆく。
(間合いを詰めなきゃ、勝てない……!)
リキは両脚に神気を集中し、一気に地面を蹴る。
だがその瞬間――
突進するリキの速度と、真里の水圧がぶつかり、衝撃が倍化した。
「ぐっ……!」
リキは苦悶の声を上げ、足を止める。
(くそっ、これじゃ近づくほどダメージが増える……!)
真里の放水は止まらない。
水刃がリキの頬を掠め、肩を裂き、腕を削る。
だがそのとき、
リキの目がふと――滴る汗に気づいた。
(……そうか!)
同時に、真里の動きも鈍りはじめる。
一分以上、連続で神気を使い続けたせいで、水流の勢いがわずかに弱まっていた。
リキはその瞬間を逃さず、再び神気を脚に込めて跳んだ。
だが今度は――真上に。
「えっ……!?」
真里もヨル達も、その意図を掴めなかった。
慌てて真里が上空へ向けて放水する。
だが、水は勢いを失い、重力に負けて霧散する。
(……これで詰められる!)
リキは確信した。
──が、次の瞬間、彼はただ落ちた。
「……戻ってきた……だけ?」
ヨルが呆れたように呟く。
「リキ。お前に頭脳戦は無理だな。」
リキも苦笑しながら、ゆっくりと真里のもとへ歩み出した。
真里はなお水を放ち続けるが、威力はほとんど残っていない。
痛みを押して進むリキ。
その姿に真里は怯えたように叫ぶ。
「きゃあっ、来ないでっ!」
放水は次第に細くなり、やがて――消えた。
真里はその場に膝をつく。
リキは手を差し出した。
「もう……終了でいいよな?」
真里は、ただ空を見上げていた。
(……私って、なんのために生まれてきたんだろう)
空に流れる雲が、ゆっくりと形を変えていく。
その淡い動きが、真里の記憶を静かに呼び覚ました。
水田家は代々、五年子の家系だった。
だが、その力を誇るでも支配に使うでもなく、静かに人の中に溶け込み生きてきた。
祖父が名付けた「真里」という名には、“鞠” の意味が込められていた。
春の季語であり、落ちれば終わる儚さの象徴。
「五年子は短命。だがそれがいい。短い命だからこそ、人より努力して儚く散れ」
それが、家に代々伝わる言葉だった。
真里は幼い頃からおとなしく、人と関わるのが苦手だった。
けれど、動物だけは違った。
小さな命たちは、いつも自分に寄り添い、温もりをくれた。
家では、白い毛並みの犬のペガちゃんを飼っていた。
ペガちゃんの柔らかな毛並みに触れるたび、真里の心はふっと軽くなった。
中学に上がった頃、世間は五年子騒動でざわついていた。
だが、真里の住む地方はまだ穏やかで、日常は続いていた。
「飼育委員になりたい人」
先生の声に、真里は初めて手を上げた。
それから毎日、朝も昼も放課後も、うさぎ小屋に通った。
うさぎたちに話しかけ、抱きしめ、耳元で小さく笑った。
手の中のぬくもりが、世界でいちばんの安らぎだった。
そんなある日、同じクラスの男子が話しかけてきた。
「水田、いつもそこにいるな」
「谷川くん……?なんでここに?」
「なんでって、俺も飼育委員だぜ。任せっきりで悪いな」
「ううん、いいの。私、ここが好きだから」
「タニ、早く帰ろうぜぇ」
遠くから男子達の声がした。
「水田、すまねぇ。明日から俺も手伝うから」
「うん。ありがと」
その日から毎日二人で世話をした。
それが、真里の初めて心を開いた相手だった。
ある日、真里が風邪で学校を休んだ日。
谷川君は家までプリントを届けに来てくれた。
「うさぎたちは任せろ。お前はゆっくり休め」
その一言が嬉しくて、真里は笑った。
だが――それが、最後の笑顔だった。
真里が休んでいる間。禍野街の事件が全国に報道されていた。
真里の父は心配そうにいう。
「こういう五年子がいるから、五年子が悪とされるんだ。いいか真里俺たち五年子は別に悪いことしてない。けど世間がこういう状況だ。能力は絶対使うなよ」
「うん。」
そういうと真里はいつものように学校に行った。
教室でもみんな五年子の話ばかりしていた。
真里はカバンを置くと3日ぶりに飼育小屋に行こうとした。
「――なあ、水田。聞いたか?」
教室を出る直前、誰かが軽い調子で言った。
「この学校のうさぎ、昨日死んじゃったんだってさ」
その言葉を聞いた瞬間、真里の膝が勝手に震えた。
胸の奥で、何かが一気に崩れ落ちる。
(……は? 何言ってるの?)
気づけば立ち上がっていた。
「ちょ、ちょっと! うさぎが死んだって、本当なの!?」
教室が一瞬静まり返る。
近くの男子が面倒くさそうに振り向いた。
「そうだって言ってんだろ。あんま大声出すなよ」
そのまま彼らは、まるで何事もなかったかのように“五年子”のニュースの話を続けた。
(え……? なんで……?)
(なんでみんな、そんなこと話してるの? うさぎたちは? 誰も悲しくないの?)
次の瞬間、真里はその男子の胸ぐらを掴んでいた。
「ねぇ……どういうことなの? なんで死んだの!?」
男子は驚いた顔で、やや後ずさった。
「俺に言われても知らねぇよ。……やったの谷川だし」
真里の頭が真っ白になる。
「……え? 谷川くんが? そんなわけないでしょ」
そのとき、別の女子が近づいてきた。
「ほんとだよ。死骸がそのままで汚かったから、片づけてって谷川に言ったの。
そしたら“真里がやるから放っとけ”って」
一瞬、呼吸が止まった。
耳の奥で、心臓の音だけが響く。
(そんなこと……ない。谷川くんが、そんなことするわけない。うさぎたちは……まだ生きてる)
気づけば、真里は駆け出していた。
机をぶつけ、誰かの悲鳴を背に、教室を飛び出す。
(行かなきゃ……! 私が行かなきゃ!)
――その足音は、もう誰にも届かなかった。
そのまま小屋に駆け込んだ真里の目に、
信じがたい光景が飛び込む。
小屋の中――五匹のうさぎが、全て動かなくなっていた。
中には腹が裂かれ、臓器が露出しているうさぎもちた。
「……っ」
喉から、音にならない嗚咽が漏れた。
真里は震える手で、うさぎ達を埋めた。
冷たく、もう戻らない命。
泥に触れた手も、血の付いた制服も、どうでもよかった。
教室に戻ると、谷川がいた。
「水田……悪かった。変な草やったら動かなくなって……」
隣の男が笑う。
「でもタニ、『お医者さんごっこ』って言って腹裂いてたじゃん」
「おい、言うなって」
谷川は笑っていた。
次の瞬間、真里は谷川を押し倒して乗っかっていた。
「なんで……なんでそんなことしたの……?」
信じていた世界が、音を立てて崩れた。
「プツッ」
真里の中で、何かが切れた。
その瞬間、制服に飛び散ったうさぎの血が、微かに震え、形を変える。
次の瞬間、血の粒が弾丸のように教室を駆け抜けた。
叫び声。倒れる生徒たち。
「五年子だ! 通報しろ!」
真里は、ただ谷川を見つめていた。
「悪かった。わざとじゃないんだ。許してくれ」
「ごめんで済むなら……友達、返してよ」
指先が谷川の口に触れた瞬間、彼は息を吸えなくなった。
――そして、静寂。
谷川の体から、力がすうっと抜け落ちていく。
目の光も薄れ、椅子にもたれかかったまま動かない。
「……あっ」
真里は我に返り、慌てて手を離した。
次の瞬間――谷川の胸がわずかに上下し、荒い息を吐いた。
やがて、部隊が到着し、真里は拘束された。
真里は、事件の後すぐに政府の収容施設へ連れて行かれた。
白い壁、無機質な部屋。
面会に呼ばれた父の姿を見た瞬間、真里の胸はかすかに震えた。
しかし――
父の口から出た言葉は、刃のように冷たかった。
「……お前を信じた俺がバカだった。無力な人間を能力で制するとはな。お前のせいで“五年子”の印象は、ますます悪くなる。
――お前なんか、生まれてくるんじゃなかった」
その一言で、真里の心は完全に崩れた。
父は背を向け、そのまま部屋を出ていった。
数日後、彼自身も五年子だと判明し、政府の管理下に置かれたという。
――頬を撫でる風が、真里を現実へと引き戻す。
リキの差し伸ばす手を見ながら真里は考える。
(私は……なんのために、生まれてきたんだろう)
(ここで負けても、誰も悲しまない――)
そんな思考が、じわじわと心を蝕む。
だが、ふと母の笑顔が脳裏に浮かんだ。
父が捕まった後、面会に来たのは母だった。
「真里……あなたが、理由も無しに人を傷つけるなんて信じられない。
何か、理由があったんでしょう?」
母の声は静かで、温かかった。
真里は堰を切ったように、全てを話した。
クラスで起きたこと、うさぎのこと、そして自分がしたこと――。
母は黙って聞いていた。
最後まで何も言わず、ただ静かに涙をこぼした。
「そう……確かに、能力で誰かを危険な目に遭わせたのは良くない。
でもね、真里。ペガちゃんはあなたのおかげで救われたのよ。
今回はやり方を間違えたけど、あなたは正しい。
自信を持ちなさい。」
その言葉が、真里の胸の奥で何かを溶かした。
(お母さんと、ペガちゃんだけは、私の味方でいてくれる)
その瞬間、真里は決意した。
――戦わなきゃ。
もう、何も失わないために。
「プツッ」
真里は神気の限界に達すると、人が変わったようになる。
「……えへへっ」
真里は、不気味に笑った。
直後、リキの口に触る。
あの時のように、
リキは急に呼吸ができなくなる。
喉が焼け、肺が悲鳴を上げる。
リキは酸素を求めて手を伸ばすが、掴む空気がどこにもなかった。
「リキ君。やっぱりこんなところで負けられない
話終わる前に視界が暗転し、リキはその場に倒れ込む。
「──終了!」
田中の声が響く。
真里は我に返ったように目を見開いた。
「え……リキ君!? リキ君っ!」
地面に倒れたリキは、しばらくしてゆっくりと目を開けた。
遠くで見ていたヨルたちが驚いた顔で駆け寄ってくる。
間合いを詰めた時点で、誰もが――リキが勝つと思っていた。
蓮が静かに口を開く。
「真里はな。お前らが思ってるより、弱くねぇぞ」
リキはその言葉に顔を上げた。
(五十嵐さんのもとで、あれほど鍛えた。
この一ヶ月、毎日限界まで叩き込んだ。それなのに――一撃も届かねぇのか。)
握った拳が小さく震える。
リキは、胸の奥から込み上げる己の弱さに、ただ唇を噛みしめた。
水田真里の能力
《分子転相(モル•フォシス)》
《通常時》
—本人はまだ気づいていないが、能力は神気によって分子そのものを変質・支配する。
水だけでなく、血液や空気中の分子も操れ
理論上、あらゆる物質を操作できるので神格に近い能力である。だが、そのための代償も必要である。
十七話ありがとうございます。碧甫です。
今回は真里に焦点を当てて書いてみました。
真里の能力、遠距離も近距離も対応できて、かなり厄介ですね。それではまた次回




