落ちこぼれの魔法使い
大陸中央に君臨する魔法大国。
そこは――かつて大魔王を討ち滅ぼした勇者と、その仲間《七雄》が今なお暮らす国である。
豊饒な草原と清らかな水脈に恵まれた大地は、二重の白壁と赤煉瓦の街並みに護られ、空を突く高塔からは昼夜を問わず魔力の灯が瞬いていた。
人も獣もエルフもドワーフも、ここに生きる者なら誰もが魔法を使える――その光景は、他国から見ればまさしく理想郷である。
そんなメルティエールには、各国から選び抜かれた教師陣が集う名門学園があった。
その学園の名は〖メルティファッロ〗
エルフの賢者、ドワーフの工匠、獣人の戦士までが教師として指導し、日々、未来の魔導師を育む場所だ。
魔法を学ぶことは、この国に生まれた者の誇りであり、当然の義務でもあった。
――だが、そこにただ一人、「落ちこぼれ」と呼ばれる少年がいた。
僕の名はリーク・ランフォード。
今朝の実演試験で暴発させてしまった火花に焼けた紫のローブの袖口は、まだ黒く焦げている。
銀白の魔導杖をぎゅっと握りしめながら、心の中でそっと呟く。
(また失敗してしまった……僕は、どうして……)
僕の両親は、《七雄》として名を馳せた伝説の魔法使い。大魔王を討った英雄で、人々の憧れになっている。
母エレノアから譲り受けたこの杖は、世界でも希少な魔導具だ。制御しきれない僕の魔力を安定させ、かろうじて小さな火花程度の術を「魔法」と呼べる形にしてくれる。
でも、それは僕の力じゃない。ただの道具にすがっているだけ――そう思うと、胸がぎゅっと痛む。
今、僕は学長室の椅子に腰かけている。ベルン先生――見た目は小柄な少女だが、成人済みの獣人族。茶色の獣耳がぴくりと揺れ、丸眼鏡の奥から冷静な瞳が僕を見据えている。
「……残念だけど、このままだと君は進級できないかもしれないよ?」
机の上に広げていた書類を閉じながら、ベルン先生は淡々と告げる。
温厚そうに見える口調の奥に、容赦のない現実が隠れていた。
「私は君の努力を否定しない。だけど、成績は事実として残る。唯一の救いは“成果物”の提出で挽回できる点だけど……君に、何か見通しはあるのかな?」
成果物――それは魔法学校で卒業に必要とされる最も重要な課題だった。
学生はそれぞれ、自らの魔法の力で「何かを創り出す」ことを求められる。単なる点数や試験よりも、その独自性や実用性が重んじられるため、落ちこぼれと呼ばれる生徒でも大逆転の可能性があった。実際、かつて提出された成果物の中には、のちに王国の発展を支えた発明や魔導具も存在するという。
「……い、今はまだ……ありません」
か細い声で答えると、涙が滲んでしまう。
杖を握る手には力がこもるが、胸の奥に広がるのは絶望だけだった。
「……ふむ。早めに方針を決めなさい。さもなくば、君は“繰り返す一年”を過ごすことになる」
その言葉は、魔法の失敗よりも重く、僕の心に突き刺さった。
追い出されるわけではない。だけど、前には進めない。
終わっていない落伍者――その烙印は、誰よりも僕自身がよく知っていた。
(何かを……何かを成し遂げなきゃ……でも、僕にできることなんて……)
僕は今にも落ちそうな涙を堪え、ただ頷くしかなかった。
◆
学長室の扉を押し開け、重い足取りで廊下に出た。
まだ胸の奥はモヤモヤとした絶望でいっぱいだ。
――そんな僕の耳に、軽やかな声が届いた。
「やっぱり、リークも“成果物”で詰まってたんだね」
振り返ると、赤髪のポニーテールを揺らす少女が立っていた。
テレサ・フォグエン――大商人アドルフの娘で、学院でも街でも知らぬ者はいない存在だ。
制服の上に小さな革のベストを羽織り、背には木剣を背負っている。
戦士の風格を持ちながら、商才にも長けている――彼女の才能の幅広さは誰の目にも明らかだった。
「……テレサ?」
僕が口を開くと、彼女は軽く肩をすくめて笑う。
「そう。私も先生に言われたの。“剣士を名乗るなら成果で証明しろ”ってね」
彼女の瞳には迷いがない。
僕にはその輝きが、商人の娘としての責務を越えた、純粋な“夢”の光に見えた。
「でも……テレサ、アドルフさんの跡を継がないの?」
僕は素直に聞いた。彼女なら、商人としても十分に成功できると思うのに。
テレサは少し目を伏せ、でも口調は明るい。
「お父さんのことは尊敬してる。でも私は、もっと広い世界を見てみたいの。
憧れのユウリ様みたいに剣を振って、人々を守ることが夢だから」
僕は思わず息を呑む。
自分は両親の期待に応えようと必死なのに、彼女は自分の信念だけで進む――少し羨ましくもあった。
「……でも、成果物って言われてもさ、戦場でしか証明できないものを、どう出せばいいのか分からないんだよね。だから、一緒に手を組まない?」
「え、僕……?」
テレサの意外なお誘いに僕は目を丸くする。
「そう!一人より、二人の方が大きな成果が残せそうな気がするし、リークがいた方が心強いもの」
僕は思わず目を伏せ、袖口の焦げ跡を握った。
今日の実演試験での失敗の証が、まだ痛々しく残っている。
「でも、僕は魔法が苦手だし、テレサの足を引っ張っちゃうよ」
僕の心臓が跳ねる。
自分の欠陥が、誰かの夢と重なるなんて――初めての感覚だった。
「ふふ。私はこれでも大商人の娘よ? 品物だけじゃなくて、人を見る目も一流なの!」
テレサが手を差し伸べる。小さな震えもなく、確かな意志がそこにあった。
僕はそっと、その手を取った。
胸の奥に、初めて“光”が差した気がした。
「ありがとう、テレサ」
僕は震える声でそう答え、差し出された手を握り返した。
けれど胸の奥には、別の思いが渦を巻いていた。
「じ、実は僕、ポーションを作っていて、明日シルフィンさんに渡しに行く約束があるんだ」
「シルフィンって……あの七雄の?」
驚いたように目を見開くテレサ。
僕はこくりとうなずいた。
「小さい頃から何度か世話になってて、成果物のことも相談できるかもしれない」
テレサの顔にぱっと笑みが浮かぶ。
「それだよ!ちょうどいいじゃない。私も一緒に立ち会うわ!」




